2012年2月20日月曜日

【アニソンとJ-POPの可能性】

先週、ふと耳にして、久々にこれはすげー曲だと思ったのが中島愛というアーティストの曲「TRY UNITE!」と「金色~君を好きになってよかった」。知らなかったですが中島愛という方は声優さん、曲はいわゆるアニソンなんですかね。

しかしその楽曲のハイクオリティな感じ、隙のないメロディと浮遊感あふれるコード進行とハウスなアレンジ。聞けば編曲はラスマス・フェイバー!なんですね。そしてアルバムの作曲家陣をみるとサエキけんぞうさんや大江千里さんなど懐かしい名前も。80年代から90年代を生き抜いてこられたプロフェッショナルな方々です。

-*-*-*-*-
AKB、ジャニーズ、K-POP、アニソン以外、なかなかヒットが出なくなっている音楽業界ですが、しかし実は、そんなAKBやアニソンの音楽的背景を支えているのはこういったプロフェッショナルな作家だったりするんですね。確かにAKBの曲もクオリティの高い曲が多い気がします。

「80年代、アニソン、作家」で検索したら、次のようなブログもみつかりました。
http://d.hatena.ne.jp/fg730/20100731 。。。確かにそうかもしれません。

音楽が元気のよかった80年代、なんだかんだ言ってもヒット曲の中心は歌謡曲でした。聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョン、ジャニーズ、おにゃんこ。歌手のストーリーや下世話な感じを含め楽曲のパワーがありました。そして、それらの楽曲を支えたのは実力ある多様な職業作家でした。

しかし、90年代以降に、○○ブームの名の下で作家陣の寡占化→画一化傾向や、アーティスト性の訴求を重視する中での自作自演が一般化→作詞作曲の素人化も同進んでしまったのかもしれません。その結果、J-POPの歌詞は「翼広げすぎ」「桜舞いすぎ」「私弱すぎ」「瞳閉じすぎ」「君の名を呼びすぎ」などと揶揄される状況に至りました。(もちろん、いい曲はたくさんあるんですけどね。)

そんな中でのアニソンです。アニソン歌手は声優だったりするので楽曲を自らつくることは少ないようです。そこに多様な職業作家が楽曲を提供する。ラスマスのように海外からの才能も集まってくる。楽曲には必然的にアニメのストーリー性が付加される。制約条件が逆にクリエイティビティを生む。

そこには80年代にあった歌のストーリー性とプロフェッショナリティの復権があるのかもしれません。

そんなことを感じた中島愛の楽曲だったのでした。




参考)翼広げすぎなJ-POP
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/04/news089.html


参考)ラスマス・フェイバー、日本のアニメーターとのコラボMV

2011年12月4日日曜日

【意思決定における儲かる度、わくわく度の話】

ビジネスにおいては、常に大小様々な意思決定をしていかなければなりません。経営とはヒト、モノ、カネといった限られたリソースをどこに投下してリターンを目指すのかを考えることと言えるかもしれません。

辞書によれば「意思決定」とは「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと」とありました。やりたいこと、やれそうなことは沢山あるかもしれません。しかし成果をあげるためには選択し集中することが定石です。網羅して拡散していてはリターンは得られないからです。

このように「意思決定」というのは経営の根幹ということもあり、先人が意思決定をサポートするフレームワークを山ほど考案してくれています。SWOT分析、PEST分析、3C分析 、アンゾフマトリックス、BCGマトリクス、バリューチェーン分析、、。一見小難しい感じもしますが、一度覚えてしまえば考える時間が大幅に短縮できる効果があるものです。

-*-*-*-*-*-
そんな中、先日、新しいエンタメサービスの企画を議論している中で、新たな意思決定フレームワークが思い浮かびました。

それは「もうかる度軸」と「わくわく度軸」による2×2マトリックス分析です。

◆「もうかる度軸」=収益基準
事業として企画を考える限り、収益を無視する訳にはいきません。収益性をブレイクダウンすると、市場規模、市場成長性などの外部分析、自社リソースなどをふまえた実現可能性、既存ビジネスとの近接性、強みを生かす競争優位性がとれるかなどの内部分析などに分解されると思います。それらをふまえ、儲かる可能性があるかないか、これを冷静に判断する必要があります。情報流通量が増大し、ソーシャルメディアが普及する昨今、ユーザーから、その分野において「最高」、「No1」だと思われなければ共感は得られにくいです。また環境変化のスピードがあがっている昨今、「最速」で進めなければ他に負けてしまいます。なんとなくでは収益をあげることもできないことを肝に命じて判断すべきです。

◆「わくわく度軸」=価値基準
一方で事業である以上、その社会的意義にもとづく志、価値観があるはずです。特にそれがエンターテイメントに関わる仕事であれば、そこに「わくわく感」がなければ良いものができるはずもありません。その昔、世阿弥は能の心得として「おもしろきこと、めずらしきこと あたらしきこと」に挑戦しなければいけないと説いたそうです。自分がわくわくしないことで、ユーザーがわくわくしてくれる筈もありませんよね。仕事のモチベーションがあがらなければ品質も効率も悪くなります。

このマトリックスによって企画アイデアを4っの事象に区分することができます。

①「わくわくする」且つ「儲かる可能性がある」企画
②「わくわくしない」でも「儲かる可能性がある」企画
③「わくわくする」でも「儲かる可能性が低い」企画
④「わくわくしない」且つ「儲かる可能性が低い」企画

④は即、却下ですよね。儲からないし、わくわくしないことを実行する意味はありません。
逆に①は即、実行決定です。
判断に迷うのは②です。わくわくしない理由を分析し、わくわくできるモノにできる可能性の有無がポイントです。
③も判断が必要です。収益性が低くても社会的に付加価値がある、あるいは他サービスを含め総合的に考えた収益があがるのであれば実行すべきという判断もできます。いかに収益性を高められるのかということも考え抜くべきですよね。

意思決定とは選択すること。捨てることです。全部盛りでは成功しません。何かの本にこんな例がありました。塩ラーメンしかメニューにない店と、いろんなラーメンや蕎麦やカレーライスもやっている店でどちらが成功しそうか。足し算ではなく引き算を極めること、それが成果を得るポイントだと考えます。



.

2011年12月2日金曜日

【モノとコトのコンバージェンス】

前回は音楽ビジネスにからめて「モノからコトへ」というテーマで考えてみました。モノを所有することより、体験、共感、知識、絆、、というコトに価値観がシフトしている世の中を見据えると、”コト”にフォーカスすることによって、新たなビジネスの可能性が広がるんじゃないかという仮説です。

しかし、これはモノを売るのをやめて、コトだけで儲ければいい、という話ではありません。価値観の重心は「モノからコトへ」移っているとしても、それは製造業をやめててサービス産業にシフトしようっていう単純なことではないはずです。

ここで重要な視点は「モノからコトへ」の流れの中で、いかに「モノ」と「コト」を融合させたビジネスモデルをつくれるかということではないかと思う訳です。

-*-*-*-*-
例えばモノを売っている製造業にしても、モノを機能として売っているというより、コトを提案した売り方に移行しているように思います。

HondaのHPを覗いてみると「大人の自由がそこにある」CR−V、「毎日をスペシャルに」Life、というコピーに出会います。昔「こどもといっしょにどこいこう」Stepwgnっていうのもありました。要するにHondaはコトとして提案をしながら自動車というモノを売っているとも言えます。
最近のエコカーもユーザーはその性能というよりエコという社会的な付加価値のほうに意義を見いだして買っている訳ですものね。

サクラクレパスという会社は初めから「モノ」を売るのではなく、絵を描くという「コト」を普及させることにより、売り上げを伸ばしてきたといいます。学校を巻き込んで絵のコンクールをしたり、幼稚園に子供に絵の描き方を教える講師を派遣したり。結果クレヨンというモノも売れるようにする。

日本酒メーカーの菊水は「モノとコトの融合で日本酒を面白くする」といっています。「お酒そのものにこだわるのも大事ですが、もっとこだわるべきは、お酒がつくりだしてくれる愉しさ」。良い酒とは単に酒質の善し悪しじゃない、ここに面白さや楽しさといったものが付加されてはじめて「良い酒」の資格があるんだと言っています。

-*-*-*-*-
一方、「コト」を売っているサービス業にしても、最終的なマネタイズポイントはモノを売ることによって成立していることも多いと思います。

スターバックスはコーヒーというモノを売っているのではなく自宅とも職場でもない「第三の場所」を提供するんだ、という理念を掲げています。でも代金はコーヒー代(モノ)として回収しています。

Appleの本質的な提供価値はアプリとWEBサービスを含む全体のエキスペリエンスだと思いますがメインのマネタイズポイントはiPhoneなどのデバイスですよね。

前回もふれたAKBも握手という体験(コト)を提供しますが、代金はCD代(モノ)で回収したりします。ライブ興行も、最終的に利益を稼ぐのは物販だったり、飲食だったりのモノである場合があります。

来春開業の渋谷ヒカリエの新店コンセプトの中には「モノ・コト・キモチが融合した」出会い、発見の場を目指すというキーワードがありました。単に商品が整理され区分されたデパートじゃないんです、、ということです。

-*-*-*-*-
単純にモノが機能や性能で売れる時代は終わりました。

でもモノの提供によって価値あるユーザーエキスペリエンス(コト)を提供し、その対価をモノを売ることによって回収するモデルは有効だと思います。

逆に価値あるコトを起こして、そのコトをモノに転換して売って回収するというモデルもあると思います。

そんなことを考えるとキモチを込めた”モノとコトの融合”、そこにもビジネスのヒントがあるのではないか?、そう思う訳なのです。


.

2011年11月28日月曜日

【モノからコトへ】

「これからの音楽ビジネスを考えたとき、やっぱり、もう音楽そのもので儲けるってのには限界があるんじゃないかなぁ」。 これは音楽業界の見識ある方から最近、お聞きした言葉です。確かにCD市場が縮小し、配信市場も頭打ち、少子高齢化が進む日本の中で、音楽ソフト市場がもう一度、成長軌道に回復するというシナリオはなかなか描きにくい状況です。
そんな中で次はアイドルだ、アニソンだ、K-POPだ、、というジャンルの問題だけを語っていても仕方ないし、これからはライブだ物販だと、次の「音楽の売りモノ」は何か、という議論だけをしていても駄目なのかもしれません。

一方で”音楽コンテンツビジネス”以外に目を向けると、音楽をコアにしながら成功しているビジネスや企画はたくさんありますよね。
・Appleの快進撃のきっかけは音楽をコアにしたデバイスとWEBサービスでした。
・かつてmyspaceは音楽を軸にして巨大なSNSに成長しました。
・GoogleもついにGoogle Musicという音楽サービスを立ち上げ話題になっています。
・そういえばヒット映画「モテキ」も音楽なしでは成立しない映画でした。

音楽コンテンツ業界は厳しさを増していますが、音楽をコアにしたビジネスは依然大きなポテンシャルをもっているように思います。

-*-*-*-*-*-

こう考えていくと、
「音楽をモノとして売る商売形態は縮小しているけど、音楽でコトを起こす商売形態には成長余地がある」ってことなんじゃないか、と。

音楽ビジネスをCDやアーティストグッズなど音楽に関連する「モノ」を売るコンテンツビジネスとして捉えると、その市場は限定されてしまうように思います。ライブイベントも単にアーティストの生演奏を聴かせてその対価としてチケット代収入を得る場として捉えると単発的な「モノ」的な感じがします。

一方でAKBのようにCDを一つのツールとしながら投票権、応援料、体験料への対価として、モノからコトへ枠組みをかえたモデルは盛況です。これはもはや”音楽コンテンツビジネス”ではないのかもしれません。
ap bankは「環境プロジェクトなどへの融資をはじめ持続可能な社会を創るためのさまざまな活動を行う組織」であり、「ap bank fes」はその為の手段と位置づけています。ロジックとしては音楽フェスをやるから社会貢献をするということではないんですね。

同じCD販売でも楽曲データというモノを買うのか、握手券というコトを買うのか、によって意味合いが違います。
同じライブでも「音楽演奏会」に参加するのか、「社会貢献活動支援」というコトに参加するのかで意味合いが違います。
音楽ニュースといっても、楽曲リリース情報と、例えば被災地支援のライブでのアーティストの思いを伝えることは全く意味合いが違いますよね。

-*-*-*-*-*-

震災の影響も加わり、物質的な価値観から精神的な価値観に社会がシフトしています。マーケティング3.0、スペンドシフト、ソーシャルシフト、、が進む中で、単に「モノが欲しい」という欲求は相対的に減っていくように思います。それよりも「自分にとって意味がある」、「自分が価値があると思う」コトに対してお金を払う世の中になっていく。だからこそ音楽を使って新しい価値を生み出す、価値あるコトにフォーカスする必要がるのではないかと。つまり、、

「モノとして音楽を売る」のではなく「音楽でコトを起こす」

「モノからコトへ」の発想を転換することによって広がる可能性があるのではないか。今、人々が潜在的に強く求めていること、知りたいことは単なるクオリティの高い楽曲や最新音楽情報なのではなく、音楽によって巻き起こるコトのほうなんではないのか、、。
そんなことを思った次第なのです。

.

2011年11月10日木曜日

【「ネクスト・ソサエティ」】

「ネクスト・ソサエティ」といドラッカーさんの本があります。2001年の9.11の前に書かれ、まだFacebook、YouTubeもかげも形もなかった時代に発行された本です。

10年前に読んだことが、だんだんと現実となって表れてきているように感じます。やっぱりドラッカーの洞察力、予言力はすごいです。


今でこそ「ソーシャル」って言葉がクローズアップされ、ビジネスの世界でもソーシャルイノベーション、社会貢献が重要視されてきていますが、ドラッカーさんは そんなことは、とうの昔にお見通しでした。 "ITとインターネットによって社会が変わる"。 みんなITだ、インンターネットだ、なんだって騒いでるけど、本当に重要なのは社会(ソサエティ)なんだよと、、、。 ソーシャルの重要性を既に見通していたんですね。


ドラッカーは本を出版した1991年当時、進行しつつあった「IT革命」はやがて「産業革命」のごとく技術を超えて世界を変えていくだろう予言しました。
本を参考に「産業革命」の進行と「IT革命」の進行を対比してみます。

◆1760年 蒸気機関発明から始まった産業革命
イギリス産業革命は1760年から1830年まで70年間続きました。
・ まず蒸気機関が発明され、生産プロセスの大変化が起こります。
・ 50年後の1810年頃には蒸気を使った鉄道が発明されます。
  技術革新がインフラ革新を呼んだわけです。
・ そして鉄道網の整備が次に郵便制度、電報、新聞などを生み出します。
  これによる情報流通インフラ発展による産業の発展は銀行や公務員制度に
  つながっていきます。
・ 人々の生活が変わっていきます。工場勤労者層を増えて、農業や家内制
  手工業は崩壊します。

、、、蒸気機関発明から100年かけて社会が変わっていった訳です。

◆1940年 コンピューター発明から始まったIT革命 
・ 蒸気機関の発明にあたるのが1940年のコンピューターの発明です。
・ 鉄道の始まりが1990年のインターネット。丁度50年後です。
・ 鉄道網の整備がブロードバンドを前提にしたeコマースです。
  それが2000年ぐらいの話でした。
・ そして2011年、インターネットをベースとしたコミュニティインフラが普及。
  エジプトではFacebookインフラを使った革命が起こるまでに至ります。

、、、、コンピューターの発明から70年で社会が大きく変わりはじめたということだと思います。

鉄道の整備が始まった段階にも鉄道バブルがあったそうですが、インターネットの整備が始まった段階でもITバブルがありました。ITバブルは大昔に弾けましたが本当の大変動はこれからということです。

1991年のドラッカーは言います。

「蒸気機関や鉄道は、それまでの家内制手工業でやっていたことや、馬車でやっていたプロセスを、置き換えたに過ぎない。同じようにコンピューターや今のeコマースは、会計計算や在庫管理、商品受発注プロセスをPC上に置き換えたに過ぎない。まだ何の本質も変化していない。
印刷技術発達によるキリスト教思想の浸透、それによる社会、制度、理念、思想の大変化みたいな本質的変化はほとんど起こっていない。」

「かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれるであろうことである。」

そして、これまた「確実に」 これから”社会、制度、理念、思想が大きく変化していく”と予言しています。 既存の枠組みを置き換えているだけでは今後のブレークスルーはないってことですね。

昨今の「ソーシャルシフト」っていうのが、その大きな変化の始まりの一つのキーワードのような気がします。今後10年で何が起こってくるのかわかりませんが、きっと産業レベル、社会レベルでの変化が起こってくるんだろうなと思います。


.

2011年11月3日木曜日

【美魔女ブームと女子大生ブームの関連性】

前回9月投稿から2ヶ月たってしまいました。この2ヶ月でジョブズが亡くなってしまい、タイでは大洪水に見舞われ、ギリシャは財政破綻、日本では野田内閣が発足しつつ、株式市場は9000円を割り込んだまま、為替は70円台、日本のテレビメーカーも軒並み業績悪化です。

そんな決して明るい世の中でない中で、最近、案の定出てきた「美魔女ブーム」です。一昨日11月1日には国民的美魔女コンテストが開催され45歳の女性がグランプリ、芸能界デビューらしいです。ファッション雑誌に仕掛けられたとは言え、マスコミなどで盛り上がるということは、ここらへんにきっと消費のニーズがあるということですよね。

だいたいこの「美魔女」年齢層っていうのがくせものです。例えば今回の美魔女グランプリの方は45歳、1966年生まれです。この年代の方々は20歳前後のとき、80年代初頭の「女子大生ブーム」をつくりだし、企業の大量採用期に入社し、就職後はバブル期のOLとして90年代前半まで活躍し「ジュリアナブーム」等を先導しました。30代も後半に差し掛かった2004年頃には一部「負け犬ブーム」もありましたが、40代を迎える2006年〜2008年には「アラフォー」に突入します。(一部の親は「モンスターペアレント」と化したようですが)。それから3年、今度は40代を積極的に楽しむ「美魔女」ときました。

要するにみんな同じ方々(属にいうバブル世代)なのですね。やっぱり指向性の本質は年齢ではなく年代によって形作られるところが大きいようです。

このブームをつくりだしている1965年〜1969年生まれぐらいの層は、実は日本の人口構成上のボリュームゾーン(団塊ジュニア1971年〜1974年生まれ)ではなく、その上の年齢層です。なぜかここが消費を牽引し、ブームを作りだし、いい思い?をしているんですね。
一方、その下の団塊ジュニア層は属に「貧乏くじ世代」「不運の世代」と呼ばれているようです。人口が多いがゆえの受験戦争、なのに成人する頃にはバブルが崩壊し就職氷河期に突入、就職しても賃金削減、可処分所得減少に見舞われました。

下の人口構成グラフでもわかるとおり、現在の日本の最大ボリュームゾーンは団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)62〜64歳の方々です。この層も日本の消費や文化を牽引してきた世代です。ここが一斉に定年リタイアの時期を迎え、シニアマーケットが新たな局面を迎えると想定されています。

そしてその次の牽引役がバブル世代。きっとこれからも、50代になっても60代になって○○ブームを作りだすことは間違えありません。

マーケティングを考えるときの一つの考え方として、このトレンドをつくる層にターゲットを絞ってプランニングするというのも有効だと思います。年齢別による指向性より年代による指向性のが分析しやすそうですしね。

.


2011年9月4日日曜日

【音楽と社会のリンケージ】

スティーブ・ジョブズを”ロックスター”に、アップルを”ロックバンド”に例えたブログを読みました。「スティーブはもうライブをやらない

確かにジョブズはビートルズやローリングストーンズが出てきた1960年代以降の最高のロックスターの一人だと僕も思います。彼は「世界を変える」と宣言して、音楽を軸にしながら最高の作品群をつくりだし、人々を熱狂させ、実際に世界を変えた訳ですからね。


昨今、音楽周辺ビジネスの可能性をいろいろ議論したり考えたりする中で、いろんな努力や取り組みの問題ではなく構造的に、もとのパッケージや配信を中心とした「音楽産業」というもの自体は、もう元には戻らないんだろうなと感じてます。もちろん音楽の素晴らしさはなくならないし、音楽の力はこれからも可能性は広がっていることは疑わないのですが、だから音楽産業も成立するというのとは話が違うということです。ジョブズのように、次の「ロックスター」は音楽産業から生まれるとも限りませんし。

-*-*-*-*-*-

そもそも今の音楽産業の発展のきっかけは1920年代頃からの音源複製技術やラジオなどメディアの発展から。テクノロジーの進化は、ビートルズなど大きな才能とリンクして、次々と刺激的な作品や文化を生み出しました。1960年代に若者による「カウンター・カルチャー」なるものが、大きな社会的影響を及ぼすように。日本でもそんな社会運動が起こる中で、若者文化の反抗や主張が音楽と結びつき、音楽は若者の精神に多大な影響を及ぼす存在となっていったのではないかと思います。

1970年代以降は日本の高度経済成長の中で、豊かになる生活の先行指標としてテレビや音楽が位置づけられていたのではないかと思います。歌謡曲、ロック、ニューミュージック、アイドル、化粧品のイメージソング、、曲は社会を反映し、社会に影響を及ぼしました。ステレオ、ラジカセ、カーステ、ウォークマン、次々と革新的な音楽再生装置が出て、若者文化の舞台装置として機能します。ギターを弾けるとモテる、バンドをやってるとめっちゃかっこいい、洋楽に詳しいとクラスで一目置かれる。音楽と社会と文化は密接にリンクしていた訳です。

1980年代以降も、音楽はコマーシャリズム化しながらも、依然、大きな影響力を持ち続けます。アメリカではMTVが放送開始。マイケルジャクソンの「スリラー」発売とあいまってミュージックビデオ時代に突入。日本でもザ・ベストテンなど歌番組やドラマから次々と新しいスターが生まれました。学校の話題の多くの部分が音楽でした。放課後はギターを弾いているやつはいるし、レコードの貸し借りをしたり、ピンクレディのフリ真似を練習する女子がいました。企業はメセナと称して音楽に対してお金を出しました。ここでも音楽と社会と文化は密接にリンクしていたと思う訳です。

そして1990年代、CDの普及とともに一足遅れたバブルが音楽業界にやってきます。ドラマやCMなどのタイアップ曲を中心にミリオンヒットが連発。ビーイングブームや小室ブームも巻き起こりました。
しかし、このへんから、音楽と社会や文化のリンクが少し外れてきたのではないかと思います。若者の中で、音楽は消費される「商品」のように位置づけられるようになってきたのではないか。もちろん全ての音楽が、という訳ではありません。それでも若者文化の中で、音楽の占める割合、濃度は確実に下がり始めたのではないかと思う訳です。


そして2000年代に入って音楽パッケージは右肩下がりトレンドに入ります。パッケージや配信は落ちても、ライブが発展する、物販やコミュニティ運営で補完する、、というのは一つの方法論として有りだと思います。でも、それは方法論であって本質ではないように思う訳です。



1960年代からある時代まではそうであったように、今後、音楽や音楽を中心とするアーティストが大きな影響力を持ち得るとすれば、それは、社会や文化へのリンケージによってではないか。ビートルズは最初はともあれ、少なくともジョンは音楽で世界を変えようとしました。マイケルも同様です。

そういった意味で、日本においては震災に端を発する問題を始めとした様々な社会問題やグローバル化、ソーシャル化の流れの中でのアイデンティティや文化に関わること等が音楽の力とのリンクがとれ始めたときに音楽も新しい可能性が広がっていくのではないか。もはや、いい曲、いいライブをすることだけがアーティスト、スターの要件ではなくなっていくのではないか。そんなふうに思う訳です。

参考)
◆スティーブはもうライブをやらない
http://blogs.itmedia.co.jp/closebox/2011/08/post-9a24.html
◆ソキウス「音楽文化論」
http://www.socius.jp/lec/18.html
◆さよならポニーテールは「アーティスト」や「ミュージシャン」ではなく、、、。
http://natalie.mu/comic/news/55497
◆坂本龍一の「こどもの音楽再生基金」
http://www.schoolmusicrevival.org/

.

2011年8月28日日曜日

【スペンド・シフトの話】

『スペンドシフト~〈希望〉をもたらす消費』という本があります。そこで紹介されているのはアメリカにおける消費や生活トレンドの劇的な変化とそこから見えてくるマーケティング分析の話です。


アメリカでは経済危機を境に、借金をしてまで消費するような購買層は影を潜め、「消費をとおして自分の理念に合った信頼できる企業を応援し、地域社会を大切にしながら生きよう」という意識変化が起きているということです。宣伝に踊らされて、利己的にお金を使うのではなく、希少な「購買力」を「投票権」のように行使して、社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援する。有名企業でなくても信頼できる企業から買う。

-*-*-*-*-*-
この「スペンド・シフト」のトレンドは、きっと日本においても震災を契機にして、これから加速してくると思ったりします。今の日本の危機的な状況の中で、企業がどのように考え、どんな動きをしているのかも、消費者はちゃんと見ていると思うんです。

そして昨今、いくつかの事例を見聞きする中で、この「スペンド・シフト」、実は日本の若い世代にとっては、既に当たり前に感じている人も多いのではないかと再認識しました。今の20代ぐらいからみると、マスに踊らされて大量消費を行い続けてきた、上の世代のほうが理解不能なのかもしれません。

先般、有料放送市場の市場調査に関わっている方とお話する機会がありました。現在、有料多チャンネル放送は1000万世帯を超えるまでに成長しましたが、昨今は市場の伸びが鈍化し、先行き不透明感も増しています。一つの問題は新しい若い層を獲得できていないことです。そもそもテレビ離れした若者が、これから、何かのきっかけでテレビに戻ってくるのだろうか。

そんな中、若者を集めたグループインタビューを行い、その様子を見学して驚いたという話がありました。いわく「今の20代の若者達は世間からニートだ、ゆとりだ、オタクだ、草食系だのなんだの言われているが、いやいや、ちゃんと自分の意見をもってますよ」、「親の世代からしてバブル後の社会人生活で、本人達は生まれてこのかた不況しか経験していない、そんな彼らは消費に対しても自分の考えを持ってシビアに行っていることを再認識しましたよ」ということでした。

そもそも多チャンネル放送の魅力は、その多様性にあります。40チャンネル、いろいろ見れて4千円!お得でしょ、っていうセット売りのビジネスモデルです。しかし、今の若者にとっては、”テレビで何十チャンネルも見る事ができる”事自体に、何の驚きもありません。そりゃそうです。HDDレコーダーもあるし、YouTubeもニコ動もあります。
更に、彼らにとっては”見ないチャンネルの分まで、なぜお金を払わなければいけないか意味がわからない”ということです。見たいチャンネル一つが1,000円で、それが4っで4,000円ならまだ分かるけど。

自分が付加価値があると判断するものに対してはお金を払う、それ以外は払わない。金額の多寡の問題ではないんです。

-*-*-*-*-*-
そして、これから、自分にとってだけの価値だけでなく、自分の消費が社会に対して、どのように貢献するのか、それが重要なポイントになってくると思います。テレビのイメージ訴求や機能訴求の広告宣伝テクニックだけでは消費者は選択してくれない、伝わらない世の中に入ったと思う訳です。

震災の緊急事態の中で、普段からの企業の志が本物かどうかも試されました。一つ感動的な事例としては、糸井さんの”ほぼ日”で連載されている「クロネコヤマトのDNA」の話があります。こういう話を聞くと、宅配便を頼むならクロネコヤマトだな、って思いが沸いてきます。こういう「スペンド・シフト」な流れが、モノやサービス、音楽などのエンターテイメントにも波及していくのではないかと思います。


(参考)
◆ほぼ日刊イトイ新聞「クロネコヤマトのDNA」http://www.1101.com/yamato/
被災地のなかを進む、一台のトラック。
荷台には「クール宅急便」の文字が見て取れます。
「すごいな‥‥すごい写真ですね‥‥
このドライバーは一生この景色を忘れないだろうね」
http://www.1101.com/yamato/2011-08-17.html


◆若者の気持ちを代弁!スペンド・シフト
http://kuwako-lab.com/wordpress/?p=4052
◆スペンドシフトは日本のレジャーでも起きている
http://ameblo.jp/jonetu/entry-10979122004.html

2011年8月13日土曜日

【ソーシャル化の中の3Sとか3Cの話】

CNETJapanの記事で本田さんという方が、これからの日本の消費のトレンドとして「3S」を提言しています。その「3S」とは、ソーシャル(Social)、サスティナブル(Sustainable)、シェアラブル(Sharable)のこと。

その昔、高度成長時代のキーワードは「3C」。それはカラーテレビ、クーラー、自家用車(Car)のことでした。特にテレビは戦後復興を経た国民に対して、明日は、来月は、来年は、今日よりも豊かになる、その姿を映し出す装置として有効に機能し、広告を通じて大量生産、大量消費社会を先導しました。

しかし、モノの所有が豊かさだった時代が終焉しつつあるなか上述「3S」で取り上げられているキーワードは「モノ=商品」のではなく「コト=行動」へのシフトのことです。

アメリカでは「スペンド・シフト」という本が話題になりました。大量消費社会の権化のようなアメリカさえ消費行動の価値観の変化が進んでいるという話です。従来、消費とは自分が所有するモノを買うため、自分が受けるサービスのためのものでした。しかし、今現れてきている消費トレンドは、”社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援するための消費、希少な「購買力」を「投票権」のように行使する消費”です。

これから日本でも震災を経て生活者の消費トレンドがきっと大きく変わっていくと思います。「3S」つまり、消費自体が社会貢献につながり、持続可能社会を実現させ、みんなとの共有につながる、そんな行動に価値を見出す消費社会への転換です。

-*-*-*-*-*-*-*-*-
そんな「3S」(SocialでSustainableでSharable)な社会への移行の中で、変化のキーワードにいろんな「3C」を使った考え方みつけたので紹介します。

◆まず夏号の「Think! ソーシャルメディアインパクト」で取り上げれられていた3CはCommunication(通信業界), Commerce(広告業界), Contents(コンテンツ業界)。ソーシャル化によって、この3業界に大きな変化がもたらされるだとうという話です。ここらへんはまた別途の機会に考えたいと思っています。

◆次にソーシャル化の中で、変化する情報流通形態の中で、人々もその役割、立場によって3Cに分類されるという話です。それはCreator, Curator, Consumer。経済活動がソーシャル化される中で、元情報を発信する人、有用な情報をあるテーマをもって収集し再発信する人、それを受け取る情報消費者が生まれます。これはある人がCreatorになることもあれば、Consumerになることもあるということ。でも間にCurator,が入ることが、これからの社会の変化を現していると思います。

◆こんな3Cもありました。それはCommunication(対話)、collaboration(協力)、contribution( 貢献)です。ソーシャル化の中で人とのコミュニケーションが容易になり、関心がある事項に対して人と人との協力が容易になり、社会に対して自分ができる範囲での貢献ができるようになる社会の到来です。

◆ちょっと毛色が違いますが将来を決める結婚相手の条件の3Cの話もあります。それはcomfortable、communicative、cooperative、快適で、理解しあえて、協調的であること。つまり贅沢をしなくても子育てができる程度に充分な給料があって、価値観やライフスタイルが一緒で、家事をすすんでやってくれる人と結婚することが幸せなんじゃない、という考え方です。ここでも一昔前の「三高」(高学歴・高収入・高身長)みたいな「モノ」的なことから「コト」へのの価値感の変化が加速していると思います。

こんな3Cな変化の中で有名なマーケティングの3C、Customer、Competitor、Companyを分析する切り口も変化してくるに違いないですよね。もちろん昔ながらの3S(整理、整頓、掃除)もビジネスの基本として忘れてはいけません。

生活者の消費行動が変われば当然のこと産業の構造も社会も変わっていくはずです。2011年は、そんな人々の生活や社会や国家の変化の始まりの年のように思います。そんな年に震災が起こったにも偶然と思えない気がする訳なのです。

(参考)
3S (Social, Sustainable,Sharable)
3C
Curation Economy (creator, curator, consumer)
書籍


2011年8月9日火曜日

【アーム社の話】

今週号の日経ビジネス(2011.8.8号)で、”アームホールディングス(ARM Holdings)”というイギリスの会社が紹介されてました。知る人ぞ知る有名な会社なのかも知れません。なんたって記事によればインテルに匹敵し、超えるかもしれない会社ということです。PCの世界で圧倒的だったインテルに対して、アーム社は使いやすく消費電力の少ない特徴をもつMPUによってApple社やNokiaなど携帯電話会社、日本の家電メーカー等にこぞって採用され一気にその存在感を増しているようです。その結果、2010年のインテル社のMPUの出荷台数は3.2億個に対してアーム社のMPUは61億個

しかし両者のビジネスモデルは根本的に異なっています。売上高からしてインテル社の売上が3.4兆円に対してアーム社の売上はたったの?520億円。記事によればアーム社はMPUの設計をして、そのライセンスとロイヤリティのみの収入で成立している知的所有権の会社なんですね。当然、自社工場を持たず生産委託会社さえもありません。ファブレス企業でさえないということです。

アーム社の売上は520億円ですが、アーム社設計のMPU 61億個による経済規模は相当レベルであろうと想定します。要するにアーム社は単独で成立しているのではなくアーム社設計のMPUを活用したチップを生産する多くの企業、そのチップを使うデバイスメーカー、Appleやマイクロソフトなど巨大なIT企業を巻き込んで、壮大なエコシステムを生み出すコア企業の一つになっているということだと思います。

一時期のWindowsとIntelは自社のコアテクノロジーとネットワーク外部性によって市場を独占、寡占しながら、PC産業で中心的役割を果たしてきました。他社の参入を阻みながら大きな利益を獲得してきた訳です。しかし、アーム社が違うのはテクノロジーを囲い込むのではなく、ライセンスによってオープンにしながら、多業種が連携、協同する仕組みの中で経済圏を拡大、産業全体で付加価値をつくっていく方法論をとっているということだと思います。

-*-*-*-*-
これまで「ビジネスモデル」が語られるときは、企業毎に戦略を研究検討されることがほとんどでした。「トヨタの研究」、「ソニーの研究」、「アップルの研究」、、という具合です。ビジネスモデルが垂直統合型か水平分業型かという議論もありました。テレビでいえば液晶パネルの開発製造からに組み立て工程まで全部やるべきか、外部からパネルを調達したほうがいいのかとか。

しかしこれからは、こういった企業毎のビジネスモデルや戦略オプションを越え、産業さえも横断した考え方をする必要があるのではと思います。世界の環境問題、貧困格差問題、エネルギー問題、食料問題など社会問題が山積する中で、企業が一社の最適化だけ考えている場合じゃなくなっている。そういう認識の仕方が広がっていると思います。
例えばエネルギー問題を考えるとき、もはや電力会社の問題だけではなくなっていますよね。太陽光パネルから蓄電池、電気自動車、情報制御技術、公共交通機関やカーシェアリングなの社会インフラ、ルールに至るまで総合的なビジョンと産業連携が必要です。

-*-*-*-*-
前回、音楽ビジネスのエコシステムについてを話題にしました。これまで音楽産業も、パッケージビジネスを中心にしながらあまり開放的ではない形で市場を形成していました。レコード会社は自社で新人を発掘、開発し、音源を制作し、工場でCDを生産し、プロモーションし、自社の販売網で流通させる意味で個々企業として垂直統合型のモデルで事業を行ってきたわけです。テレビ局もそうでした。電波帯域を基盤にしながら、番組制作から放送送出、配信インフラ、営業までの総合力で利益を作り出していました。良い悪いではなく、そういうオプションでやってきた訳です。

しかしデシタルネットワーク化の進展やそれに伴い加速するグローバル化やソーシャル化の大きな変化の中で、ビジネスのバリューチェーンを構成していた一つ一つの要素の競争原理が変化しています。コンテンツ制作コストはデジタル化によって格段に低コスト化、コンテンツ流通コストもインターネットとグローバル配信プラットフォームによって劇的に安価になってきています。プロモーションコストはマスに拡散させるには、依然として多額なコストが必要かもしれませんが、特定のターゲットやコミュニティに届けるだけなら、ソーシャルメディアの活用だけでも十分に伝達可能です。そうすると当然、企業がどこで付加価値を訴求し、どこで収益を確保するかが変わってきます。

こういった環境変化の中で、エンタテインメント産業においても、これまで別々の産業と捉えられてきたコンテンツビジネス、メディアビジネス、WEBメディア、興行ビジネス、ゲームビジネス、ソーシャルビジネスなどが、産業を超えた形でエコシステムを形成していくのではないかと想像したりします。企業が一社の最適化だけ考える時代ではなくなってきていると感じるわけです。

-*-*-*-*-
自然界のエコシステムにおいては光合成をする植物、草食動物、肉食動物、死体や排泄物を分解する微生物に至るまでトータルで環境のバランスを維持しています。

きっと産業界も、個々の会社で成立するようなモデルから、共生型のモデルに変化してくのではないかと思います。得意分野をもつ多業種が連携、協同することによって、より大きな付加価値をつくっていく時代になるのかもしれないな、ということです。

これから企業や個人が、生き残っていくために、アーム社のように規模の大きさが絶対条件ではない構造になるように思います。小さな企業や個人が「知識」や「知的財産」をコアにして大きな経済圏を形成することが可能な時代です。

その中で、重要なのは、社会に対して、どういう問題を解決していくのか、どういう付加価値を創出していくのかといった、自ら果たすべきミッションを明確に掲げ、唯一無二の役割を果たすこと、そしてビジョンを同じくする他企業や個人とオープンにWin-Winの関係を築きながら連携、協働していくことが重要になるのではと思うわけです。


ARMの企業ページ
ファブレスの意味
スマートグリッドとは
垂直統合のiOSと、水平分業のAndroid──エコシステムの「隙間」の違いを考える

2011年8月6日土曜日

【音楽・エコシステムの話】

最近、音楽とソーシャルとキーワードにした意見交換をしたり、ブログを読ませていただく中、これからの新しい音楽ビジネスの可能性について考える機会が多くなっております。それは環境変化の中で音楽産業の新しいエコシステム(生態系)をどうつくっていけるのか?という問いでもあります。

”エコシステム(生態系)”で辞書検索すると「本来は生物学における生態系を意味する単語だが、近年ではビジネスにおける特定の業界全体の収益構造を意味する」みたいな定義がでてきます。「企業一社による収益構造のことをビジネスモデルというが、エコシステムではモデルを業界内の複数の企業と共に実現する」とも記載されていました。

これからの音楽産業のエコシステムを考えるとき、もはやCDパッケージビジネスのことだけ考えてもしょうがありませんものね。これまで音楽ビジネスは、パッケージビジネスを中心に動いてきました。主なマネタイズポイントがCDを購買いただくことだった訳ですからね。ビデオクリップがレコード会社の宣伝費で制作されるプロモーションビデオとも呼ばれる所以です。
最近の音楽業界の収益は配信、興行、物販など含めてどんどん多様化が進んでいます。でも今のところ音源や画源などを固定化させて大量複製して販売するモデルが中心であることは変わりありません。そんな音楽パッケージビジネス+配信ビジネスの市場縮小が進む中、このまま進むと数年内にパッケージビジネスはライブビジネスに、その規模を抜かれるのではないかとも言われています。
「所有から利用へ」という流れも音楽ビジネスに押し寄せています。AppleやGoogle、SonyやSpotifyなどのクラウド型の音楽サービスもいよいよ活気づいてきました。今後、音楽の楽しみ方が自分の端末だけにStand Aloneに貯めて、というより随時「利用する」という方向に進むと、常に新しい楽曲を制作し、プロモーションして、より多く販売し、回収するという従来型の音楽ビジネスモデルの変容も加速していくような気がします。

考えてみれば、そもそも音楽パッケージビジネスってのは、そんな大昔からあった産業ではない訳です。音楽ビジネスが音源の固定化と、それを再現する再生装置によって大きな発展を遂げたのは、ここ数十年の話です。WikiによればLPレコード、EPレコードの本格普及が1950年代、CD発売が1980年代、iTunesほか配信ビジネス普及は2000年代のこと。この先数年で音楽ビジネスモデルが根本的に変化するかもしれないと想定するほうが妥当なのかもしれません。

そんな中で、新しい音楽ビジネスの可能性ってのはなんなのか。実際問題として次の決定的なビジネスモデルは見つかるのか。産業として食っていけるような音楽ビジネスの新しい枠組みが本当に成立するのだろうか?ということになってきます。

クラウド上での音楽アクセスが可能になりソーシャルWEB上での様々な情報流通が活発化し、音楽と人との新たな出会いが広がり、音楽を通じて人と人がつながる。ライブとソーシャルが連動した新しい音楽体験が生まれる、、そんなわくわくした世界の可能性はきっと広がっているように感じます。
しかし、多くの無料コンテンツが流通するWEB上で、どこかのポイントに情報の関所を設けて課金ビジネスで儲けることは容易ではなくなるように思います。生活者主導のソーシャルメディアに情報流通の重心が移行すると、企業主導での情報コントロールでできなくなります。広告収入もグローバルオープンプラットフォームの会社に主導権を握られそうです。ライブ興行も、うまく効率化していかないと、ほんの一部のビッグアーティスト周辺しか食っていけないことになりかねません。今のシステムで産業の維持ができるのか。

佐々木俊尚さんがある対談講演で、これからのメディア企業はどのように生き残っていけばいいのか?みたいな問いに対して、次のような発言をしていました。「これからのメディアは儲かりませんよ。けど一人くらいなら食っていけますよ。それでいいじゃないですか。」 そもそもメディア産業も音楽産業も大資本で動かす構造を維持しながら、生き残りのためにどうすればいいのか、という発想自体が違っているのかもしれません。

今後、音楽産業やメディア産業がどうやって生き残っていくのかを考えたときに、誰かが大もうけして、ほとんどの人は食っていけない、誰かが権利を囲い込んで、コンテンツや流通が滞ってしまう、ユーザーは不便を感じ続ける、そういう状態では難しいようにも思います。

これから音楽自体の価値がどんどん下がっていくとは考えません。しかし既存の産業構造が維持できるということでもないと考えます。新しい環境の中で、アーティストが音楽をクリエイトできる仕組み、人々が音楽を楽しみ、音楽を通じて、つながりや付加価値を生み出すシステムをこれからつくっていく必要があると思います。

ある本には「森林という生態系では、植物、昆虫、動物など、あらゆる生物と水、空気、土壌などの非生物が相互に作用し合って、生命の循環をつくりだすシステムが保たれています。アフリカのサバンナという生態系では、ライオンなど強い肉食動物とシマウマのような草食動物が、強い動物に食べられて滅んでしまうことはありません。要するに「競争」と「共生」のバランスが絶妙に保たれているということ、、」とありました。 

音楽産業もこれから、そんな新しいエコシステムをつくっていくフェーズに入らないといけないと思います。それは誰か特定の企業や個人だけでなしえるものではなく、きっと業界を超えた知恵による協同、連携によってのみ実現されることだろうと思ったりしてます。

・佐々木俊尚さんのメディア意見
・シェアのビジネスは、人びとのモノに対する態度を「所有」から「利用」へ
・ソニーのMusic Unlimited powered by Qriocity
・Spotify の共同設立者が音楽やソーシャルについて語る
http://jaykogami.posterous.com/spotify-85472
・ソーシャル・ミュージック・レボリューション
http://jaykogami.posterous.com/social-music-revolution
・ソーシャルによって『点』を『線』にし『円環』へ
http://groundcolor.sakura.ne.jp/ground/planet/2011/08/socialcycle.html
・音楽は水のようなもの(MUSIC ON! TV "We believe in Music.")
http://www.m-on.jp/we_believe_in_music/

2011年7月24日日曜日

【”セレンディピティ”の話】

「セレンディピティ」という、ちょっとこじゃれた感のある言葉を初めて知ったのは5、6年前だったでしょうか。ちょうど2004年頃、日本橋に”セレンディピティ”というSHOPも開店したりしました。千葉のほうには同名の出会い系喫茶もあるようです。そんな「セレンディピティ」を最近ソーシャルメディア界隈でも、よく見かけるようになりました。例えば次の記事とかです。

◆Colorにみるインタレストグラフの次のセレンディピティの創り出し方
http://www.tribalmedia.co.jp/blog/stuffblog/?id=885

◆セレンディピティ型SNS" Stumble! upon は,やはりすごい!
http://capote.posterous.com/stumbleupon-generates-more-traffic-than-faceb
http://japan.cnet.com/blog/knn/2008/02/18/entry_25005278/

◆関連性(Relevance)の時代の幕開け
http://jp.techcrunch.com/archives/20110303the-age-of-relevance/

辞書には「セレンディピティ」とは「思わぬものを偶然に発見する才能」、「the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident」なんて書かれてあります。でも使われ方としては「探してもいなかった価値あるものを偶然を発見すること」、「幸運な偶然」、「ハッピー・サプライズ」みたいに解釈されている例も多く、ソーシャル界隈でも後者的に使われていることが多いように思います。

先の「関連性の時代の幕開け」という記事で紹介されている図では縦軸に「Search」と「Serendipity」、横軸に「Popular」と「Personalized」で区切られた四象限で情報探索のトレンドが解説されています。(以下図)


2000年頃に幕があがった検索時代が10数年の進化の中で、Serendipity型に重心が移行しているということなんでしょうか。

第1期: 検索中心のウェブ
第2期: Web 2.0―ソーシャルブックマーク全盛期
第3期: 個人ごとにカスタム化された推薦
第4期: 個人ごとにカスタム化された思いがけない発見(Serendipity)


2000年代初頭から巷では、ユビキタスやらTV AnywhrereやらVODだという話で、「いつでも、どこでも、あなたが好きなときに好きなコンテンツを選べますよ」という脅迫的な利便性がテクノロジーのトレンドちっくに語られていました。レコメンエンジンの発達で「自分の好みを入力すれば、”おまかせまる録”しますよ」、「あなたが買った本と同じテーマの本はこれですよ」という無難な利便性も高まりました。確かに「個人ごとにカスタム化された推薦」は有用です。

しかし、昨今の話は、それを超えて「個人ごとにカスタム化された思いがけない発見」段階に突入しているということなんですね。FacebookやTwitterを通じて、偶然、友人がつぶやいたモノゴトの中に新鮮な発見があったり、先のColorというアプリのように半径45m圏内のColorユーザーを勝手にグループ化し、そのグループ内で写真を共有するようなサービスも現れてきています。 http://techwave.jp/archives/51641317.html

今後、あらゆる情報がクラウド上に蓄積され、検索技術の向上により、瞬時にアクセスできる環境が整っていっても、結局、人が介在した新たな出会いや発見の価値には及ばない面が確かにあると思います。

Amazonでは出会えない本が、書店に行くと見つかることがありますよね。TSUTAYAの店員さんの推薦文で、思わず借りてしまうDVDがあったりします。ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードも、無目的に行って出会う商品を買うという楽しみが魅力だったりすると思います。

今後、WEBや社会が「ソーシャル化」するということは、あらゆるモノゴトに人のコミュニケーションが介在するようになることだと理解しています。
人の介在によってインターネットの世界も予期せぬ出会い”セレンディピティ化”が進んでくるということなんでしょうか。そう考えると何だかちょっとわくわくしたりします。

-*-*-*-*-*-*-*-*-
ちなみに「serendipity」という言葉は、イギリス作家ホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語で、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子』という童話に因んだものらしいです。

(参考)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_50.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/セレンディピティ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081218/180700/?P=2
http://leadershipinsight.jp/2005/06/post_116.html
セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)

2011年7月21日木曜日

【ソーシャル化と”パーソナリティ”の話】

最近、パーソナリティという言葉が気になっております。個性、人格という意味のほうでなく”ラジオパーソナリティ”とかで使われる番組の司会者的な意味、和製英語のほうのやつです。

そっちの方の”パーソナリティ”について、Wikiによれば、他に「DJ」や「番組ナビゲーター」などの呼び方の違いはあれど、明確な違いはないと解説されていました。要するに役割は、リスナーから寄せられた投稿を番組で紹介する、フリートークを行う、ゲストの聞き手に回る、それらを統合して番組の進行を行うこと。 細かく言えば、自分で選曲する人、曲の紹介だけする人、トーク中心の人、などでニュアンスが変わるかもね、、ということでした。

でも、その中でも、特に「パーソナリティ」って言葉はその語源のごとく、その司会者の個性、人格がキーであり、そこから発信されるトークやメッセージが重視されている点において、他との違いがあるように感じます。そして、そこらへんがソーシャル化が進む今、重要なコンセプトになってきているんではないかと感じる訳なのです。

-*-*-*-*-
その昔、そんな”パーソナリティ”が活躍するラジオは若者文化の発信メディアとして絶大な力をもっていました。レコード会社のプロモーターもラジオで新曲が何回かかるかをノルマに課せられ、オールナイトニッポンなどの影響力ある番組にへばりつきながらプロモーションしていたと聞きます。

しかし80年代後半ごろからバブル経済な中で、テレビのバラエティ、トレンディードラマな感じの中で、クローズドなコミュニティでのパーソナルな会話をかわすということが”トレンディじゃなくなった”ような気がします。 一対一感のあるコミュニケーションから、MCなんちゃら、というオーディエンスを引っ張る一対多なコミュニケーション形態が心地よく、そんな場の共有の中で、横のつながりを感じることが楽しく、充実する、、そんな感覚が主流になっていったのではないかと思います。(もちろん全てではないですが)

それが昨今、ネットの世界のソーシャル化が進んでくる中で、また一対一感のあるコミュニケーション形態が力をもちつつあるんではないか? そんな風に感じる次第なのです。

-*-*-*-*-
Blogから始まりTwitterやFacebookなどソーシャルメディアの普及で、企業や有名人だけが情報を発信できる時代が終焉し、一方的な情報コントロールはできなくなりました。いわゆる「スケスケ社会」の到来ですよね。企業側の都合でポジティブ情報100%の広告マーケティングコミュニケーションを行っても生活者は話半分でしか受け取ってくれません。最終的には価格.comや食べログ、友達の「いいね」のほうを信用してますものね。

そんな社会の中で、以前紹介したように「B to C」から「B into C」に発想を転換しないと共感を得られない、共感が得られなければ事業が成立しない、、ということになってきているんだと思います。マーケティング上でコミュニティに接するときに、企業として上から目線でコントロールすることは不可能だし、無理にやろうとすれば相手にされなくなると思われます。とるべき方法論は、自分が誰であるのか、その人格と個性、立ち位置を明示し、個人としてのコミュニティの中に入っていくうことだと思います。

そしてコニュニティの一員として思いをベースに何かの役に立つことを実行していく姿勢を示し、リスナーや生活者と向き合い、近い距離で、同じ高さの目線でモノゴトを話合い、共有していく。そんな風に共感と信頼を獲得していく、、、。

それって、まさしくラジオの「パーソナリティ」的なアプローチだと思いませんか。

大味なメディアというものは徐々に衰退し、パーソナリティを内包したコミュニティがミドルメディアとしてたくさん生まれていく、そんな風に考える訳なんです。ラジオもまたソーシャル化の中で、その存在感を出し始めるかもしれません。
大企業のソーシャルサイトもパーソナリティを打ち出したものが目立ちはじめているように感じます。 結局は生身の人間が情報を発信しているんだよね、っていうコミュニケーションを企業もとりはじめているということだと思います。

参考)
B to Cのマーケティングは、B into Cのマーケティングへ
http://choicenext.blogspot.com/2011/06/blog-post_27.html

◆伊藤ハムのハム係長は、たまに味の素のFBに乱入したりしているようです。
http://www.facebook.com/itoham  http://www.facebook.com/setsudenrecipe
伊藤ハム / ITOHAM FOODS inc.
◆トヨタとニッサン、ホンダの広報どうしがTwitter上で「パーソナル」なやりとりを交わし話題に。
http://togetter.com/li/117997  
◆USJがディズニーランドに応援メッセージで大量RT。
http://twitter.com/#!/USJ_Official/status/58683001369919488

.

2011年7月13日水曜日

【「Make Meaning」の話】

震災以降、企業の理念や志がこれまでになく強く問われるようになってきたと感じます。

宣伝会議6.15号の特集は「3.11以降の企業の宣伝活動」と「志のマーケティング戦略」でした。その中で、震災をきっかけに企業も消費者もその考え方が変わりつつあることが紹介されています。「消費者の側も、消費する責任を意識するようになる」、そして「消費することは、つまり、その企業や商品を支えること」、そういう感覚になっていくだろうという意見も載っていました。

これから、益々企業は社会的意義を真剣に考える必要がでてくると思います。そうでない企業は退場を迫られ、生き残っていけない世の中になっていくように感じます。

-*-*-*-*-*-

そんな中、ガイ•カワサキさんという元Appleで働いていたベンチャーキャピタリストが起業の心得として「Make Meaning」というキーワードをあげていました。参考になったのでご紹介です。

カワサキさんは、ビジネスにおいて、まず考えるべき重要なエッセンスはその事業が「Make Meaning」しているかどうかであると言います。つまり、その事業が「世の中に対して新しい価値を提供しているのか」ということです。 ”社会的意義を見出すこと”、そこをはっきりさせないといけないということなんですね。

往々にして事業というと、多くの人は、まず「Make Money」つまり、どう稼ぐかだけを考えがちであるといいます。しかし最終的に成功する企業は、どうすれば世の中をよくできるのか、どうやって世の中を変えるのか、そういう意味づけを真剣に考えているということです。
逆に「Make Money」で始める会社は「Make Meaning」もしないし、最終的に「Make Money」もできないよとカワサキさんは指摘します。

そしてカワサキさんは事業が「Make Meaning」するための3っ道をあげています。

1. increase the quality of life 
                 人々の生活の質、幸福度を向上させること。
2. right a wrong
                 世の中の間違った事、ゆゆしき悪を正すこと。
3. prevent the end of something good
                  良いこと、すぐれたものを保全し継続させていくこと。

少なくとも、いずれか一つが当てはまっていれば、その事業は「Make Meaning」していると。まず、ここを検証することから始めよ、ということなんですね。 シンプルですが一つの指標になります。

-*-*-*-*-*-

今週号の日経アソシエではユニクロやほぼ日が取り上げられていますが、柳井社長も、糸井社長も同じ主旨のことを言います。

◆糸井さんは社員に「お金より信用を選ぶチームにしよう」、「信用を重ねていけばお金は後からついてくる」と伝えているそうです。 「大勢の人に"この会社はあったほうがいいよね"と言われる会社でなければ、生き延びちゃいけなんだと思う」、「売り上げは世間から信任されたという票と同じ」(「日経アソシエ」2011.7.19インタビュー)

◆柳井さんは次のように言っています。
「”会社”がある前に”社会”がある。社会にとって価値があるものとは何か。それを考えて経営しない限り、企業の成長はあり得ません。自分たちの会社は何のために存在し、いかに社会に貢献できるかを考える」(「考える人」2010夏号)

これまで紹介した「マーケティング3.0」も「Start with Why」も同じでした。マーケティング戦略も事業戦略も組織戦略もすべて、企業の社会的意義、責任、理念の重要性に向いています。
要するに「君らが”Make Meaning”するポイントは何なのよ?」ということなんですね。

参考:
http://youtu.be/lQs6IpJQWXc  Guy Kawasaki 講演YouTube
日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 7/19号 [雑誌] 
(ユニクロ、ほぼ日の現場力)
宣伝会議 2011年 6/15号 [雑誌] 
(志のマーケティング戦略 3.11以降の宣伝活動)
完全網羅 起業成功マニュアル ガイ・カワサキ著(「The Art of Start」の翻訳本)



.

2011年7月5日火曜日

【共感・共創・共有社会の話】

前回は消費社会の成熟によって、商品やサービスは人から「最も愛される」ぐらいにならないと生きていけない、、みたいな話を紹介しました。今回は企業や個人が思考の枠組みをどう変えていかないといけないか、、みたいなことを調べたり考えたりしてみました。

◆「マーケティング戦略」の限界
博報堂ブランドデザインの宮澤さんという方は「応援したくなる企業の時代」という本の中で次のようなエピソードを紹介しています。

-*-*-*-*-*-*-*-*-
長年、人気商品として販売してきた商品の売れ行きが、かんばしくなくなってきた。そこで企業のマーケティング担当者が分析したところ、特に若い世代の購買が減少していることがわかった。そこで担当者が何人かの一般の若者を集め、「商品のどこがよくないのか」、「どこをどう改善すれば欲しいと思うようになるか」について率直に聞いてみたそうです。すると驚くような答えが返ってきた。若者たちは異口同音に「よくないところ、不十分なところがあるとは思わない」、だから「なにかを改善したところで、この先その商品が欲しくなるとは思えない」と。。担当者は、思わず絶句した、、という話です。
-*-*-*-*-*-*-*-*-

既存のマーケティングアプローチの延長線上に解決策がなくなっているということが起こりつあると思います。消費者目線を徹底し、ニーズを探り、ユーザーが満足する、他社より魅力的な商品をつくるんだ!ということだけでは、もはや通用しない世の中に突入しているということなんですね。モノとかサービスが一定水準を越えたら、細かい差異なんてどうでもよくなる。そうすると、前回の話のごとく、結局、選択基準は「一番安いか、一番性能がいいか、一番愛されているか」に集約されちゃうのかも、、と思います。

◆所有価値の低減
更に言えば、ちょっと前までは機能していた「所有価値」というものも相対的に低下しているように感じます。以前は多くの消費者は機能性など商品そのものの価値に加え、そこに付加されたブランドという名の「付加情報」にも喜んでお金を払っていました。モノを所有することで、生活シーンの演出や精神的満足につながるということでしょうか。端的な例としては、高級ブランド時計をつけている私っておしゃれでしょ。高級外車に乗っている僕ってかっこいいでしょ、、とかいう具合です。モノやサービスの購入を通じて精神面の満足も買っていたわけですよね。
しかし消費社会も成熟してしまうと、たいていのモノは十分に足りています。特段の不自由のない生活をおくっている中で、これ以上何かを所有することで、自分が今より幸せになる、満足度があがる、感動するとは、思えなくなっているということだと思います。

◆経験価値、共感を生む場の提供
じゃあ企業は生き残るために何をすればいいのか? 一つの方法論は、先の本にも載っていた「経験価値」の提供だと思います。 モノよりコトに価値がシフトしている中で、「個人で何かを所有すればいいことがありますよ」、ということの説得力が低下しています。それよりも、「皆で、何かを一緒に経験する」ということのほうに魅力が移っているように思います。
つまり「所有」ではなくて、経験を「共有」できる場の提供、そこへのアクセスの手段の提供が本質的な価値として重要になっているということではないでしょうか。

その昔、Walkmanは、それを所有することによって、音楽を外に持ち出せる、生活シーンもかわる、、そんな提案型の商品でした。 しかしiPhoneやiPadは、デバイスを所有した後も、アプリやWebサービスへのアクセスを通じて、常に新しい経験を提供しつづけます。

KDDIが提供している au Smart Sportsもケータイを使ったスポーツライフを提案しています。仲間との体験の共有の場も提供しています。 http://www.au.kddi.com/sports/service/run_walk/index.html

SNSやソーシャルゲームは、そのアプリ機能性に価値があるのではなく、人と人とのつながりという経験価値が本来的な価値です。

昨今、はやりの脱出ゲームも、何かを所有することもなく、生活シーン云々でもなく、その場で得られる体験に対して価値を見出されているわけですものね。

◆「共感」、「共創」へ
もう一つは、そんな「共有」を通じて、生活者から「共感」を得ることだと思います。もはや「消費者目線」という言葉さえ企業からの上から目線な感覚なのかもしれません。 消費者とともに社会に貢献する姿勢を示し、一緒に行動する(共創)。 B to C から B into C 、B with C へ感覚を変える。企業が自らの理念や志を高くかかげれば、それに共感してくれる人は、その企業からモノを買ってくれるかもしれません。

ハイブリッド自動車が売れるのはコスト観点ではないですものね。同じ洋服を買うのでも、その企業姿勢に共感できるところから買う。 企業とともにいい社会をつくっていく、、、そんな感覚の社会にどんどんなっていくのではないかと思います。

参考:
「応援したくなる企業」の時代
http://www.exp-branding.com/  博報堂エキスペリンスデザイン
http://www.h-branddesign.com/  博報堂ブランドデザイン
http://www.slideshare.net/gitanez/web-7691019 ソーシャルメディア時代の企業Web戦略