2012年5月21日月曜日

【クリエイティブ至上主義】

最近、頭に浮かぶテーマは「クリエイティブ至上主義」。
最近読んだ元博報堂の高橋宣行さんという方の本の影響もあります。
いわく「ビジネスの本質は創造作業です」www.anh-dao.com/takahashi/

高橋さんがビジネスの本質といっているとおり、クリエイティビティは制作や企画セクションだけの話じゃありません。あらゆる仕事に、あらゆる業務すべてにクリエイティビティは要求されます

クリエティブ至上主義というと自己中心的なニュアンスもありますが、いいたいことはそうではありません。ユーザー無視、コスト無視では本当のクリエティブじゃないと思うわけです。どうしようもない制約条件の中で、期待を大きくこえる創造性を発揮する。これこそが本当のクリエティブだと思います。

熱量とこだわりがないもの→作り手のクリエイティビティを感じさせないものは、もはやユーザーの共感を得られる訳がないし、選択肢が増えた世の中で、わざわざお金を払ってくれないですよね。それは、みんながユーザーの立場で考えればわかっているはずのことです。

「そこそこ」、「それなり」、「なんとなく」、「とりあえず」、、のコンテンツや伝え方はユーザーに伝わります。ユーザーはバカじゃありません。

だから「クリエイティブ至上主義」、「クリエティブの復権」。ここらへんが改めて重要と思うわけです。仕事を通じて恥ずかしくないクリエティブになっているか、お客様のへの案内にこだわり心を込め工夫をこらしているか。

会社やサービスのカラーを構成しているのは、一人ひとりの社員の一つひとつの取り組みの集大成な訳ですからね。

2012年4月22日日曜日

【ソープオペラなエンタメの可能性】

「ソープオペラ」って言葉があります。日本でいうと昼ドラ。スポンサーに石鹸会社が多かったところからこうい名前がついたらしいですが、視聴者に常習性をもってもらうために台本に工夫を凝らし、様々なシチュエーションでの老若男女が入り乱れ、恋愛や裏切りの愛憎劇が繰り広げられます。

そして、そういった要素をスポーツエンターテイメントに取り込んで成功しているのがアメリカのプロレス団体WWEです。これも優秀な脚本家によってつくられた台本をベースに昼ドラさながらに所属レスラー同士での愛憎劇が繰り広げられます。WWE会長のビンス・マクマホンやその妻、娘、息子まで本物のファミリーも総出演、大きなシナリオの中で各試合がショーとして位置づけられてストーリーが展開しています。ビンスは悪のオーナーと呼ばれ、娘はビッチ呼ばわり。試合にも参加し文字通り体を張った経営をしています。
そんなWWEは売上400億円規模のアクション・ソープオペラの総合エンタテインメント企業です。全世界で毎週1200万人が番組を視聴。ライブ、テレビ、物販、ライセンス事業から今後は映画製作も手がける戦略のようです。この振り切りが凄いです。

参考)
WWEはアクションソープオペラの総合エンタメ企業
WWEコーポレイトページ







なんでWWEの話を思いついたかというと、きっかけは「乃木坂46」。
最近、ネットのニュースで新曲の振り付けの”スカートめくり”がネットで不評だの秋元さんがスタッフに激怒したとか、Jリーグのイベントで浦和サポーター大ブーイングされたとかいろいろ話題がニュース化されています。それに呼応するようにソーシャルメディア上でも、曲がいいの悪いの、かわいいだ不細工だ、振り付けがいいの悪いの、、。馬鹿馬鹿しいと思いながらも一応YouTubeでミュージックビデオをチェックしようかという誘因になっています。
そして実際、視聴してみると、さほど下品でもないしクオリティも悪くない曲です。はからずもサビのメロディが何かに似ていると思い出すために頭を使うはめになってしまいました。悔しいですが乗せられてしまった訳です。



WWEも乃木坂46も誰がどうしようが、どうでもいいっちゃどうでもいいです。でもビンス・マクマホンも秋元さんも、それをエンターテイメントとしてちゃんと台本をつくり話題や刺激を提供している訳ですよね。



最近Facebookなどでネット上で流通している「EXILE相関図」ってのもありますが、これも「一生役に立ちそうのない、どうでもいい情報」として話題になっています。

社会が成熟してくると、コンテキストの共有を前提とした、こういうソープオペラなエンターテイメントも一つの事業機会、成長領域なんではないかと思った訳です。

2012年4月16日月曜日

【「コモディティ化という怪物」と「依存性ビジネスの猛威」】

ニュースによればテレビ依存の家電メーカーの2012年度決算は巨額赤字の壊滅状態のようです。家電の世界では最新テクノロジーの高品質な商品を売り出しても投資コストに見合う価格では売れなくなっているんですね。中の人が革新的だと思うことも世間はちょっとした改善ぐらいしか捉えてくれません。コモディティ化っていう怪物のせいらしいです。
コモディティ化とは「商品がメーカーごとの個性を失い、消費者にとってはどの商品も大差がなくなってしまう状態」。差別化不能に陥った商品は競争原理で価格下落。利幅が減って企業収益が圧迫されるという構造です。
その昔、ソニーの出井さんは、隕石によって絶滅した恐竜の例えで、コモディティ化への危機感を煽りましたが、結局、その通りになってしまった訳ですね。

一方で、現在、猛威を振るっている羽振りがいいビジネスも存在します。そんなビジネスの共通点の一つが人の依存性をうまく取り込んでいるということ。

ちなみに、そんな「依存性」には3っぐらい種類があるようです。まず「物質依存」。タバコやアルコール、薬物という身体への取り込みによって常習性が生まれやめられなくなるたつです。次に「行為依存」。買い物、収集、ネットゲーム、ギャンブル、仕事などそれをやっていないと不安になる、やることで快感を得たいというやつ。そして「関係依存」。家族や恋愛などで自己確認をしないではいられない、満足感を得たいというやつです。


心の安心や肉体の満足を求めたい、それをできるだけ安易に労力をかけずに得たい。そして最初はちょっとのつもりが依存の対象から離れられなくなる。意志がコントロールできなくなる。次第に人間関係や金銭面にまで支障をきたすことがある。これが依存です。生活費を削ってでもお金を使う人がいる。そのモデルの強力性がゆえに国が規制したり怖い人が介入したりする訳ですよね。

不況とはいえ昨今の日本において貧窮で飢え死にというのはよほどの事情のレアケース。でも基本の衣食住が満たされても欠乏感がある、不安感が解消できない、更なる満足を得たい。そんな欲求欲望に対して街中に依存型コンテンツや依存ビジネスへの誘因情報があふれている訳です。いつもテレビショッピングをやっている衛星放送とかみると、それで成立しているってことはきっと儲かっているんですね。パチンコ、ネットゲーム。韓流ドラマにアイドル、高級ブランド。お金を使うという手段によって達成感や満足感や自己確認、ストレス発散をする人から大きな利潤をあげている訳です。あげくにそんな方面でお金を使いすぎた人のための消費者金融や借金を整理したい人のための法律事務所のCM。そういうところでぐるぐるお金は巡っているように思えます。

テクノロジーがどんなに素晴らしくてもコモディティ化することもあります。プレステのハイスペックマシンよりGREEのガラケー向けソーシャルゲームのが儲かる状況が示している通りです。市場の競争原理が変わっているということなのかもしれません。

社会に対して生産的でない依存性ビジネスが大きな利益を生んでいるのは、ちょっと寂しい感じもしますし、国力も低下しちゃいそうです。でもそういったプレイヤーはユーザーに対してよくも悪くも「これじゃないと駄目だ、これがないと満足できないという」サービスを提供していることは事実です。
このクリエイティビティをうまく社会的付加価値のあるほうにもっていけたらいいとな思う訳です。もはや代替不可能なモノやサービスはテクノロジーではなくクリエイティビティからしか生まれない世の中になっているということなんでしょうから。

(参考)

Chikirinの日記:依存性ビジネスの猛威

2012年4月4日水曜日

【improvementとinnovation】

人も会社も年月で経験を積んでくると、だんだん、そつなく仕事をこなせるようになってきますよね。一方で中にいると当たり前なことが、外からみたら「なんじゃそりゃ」ってことになっている場合も往々にして起こると思うわけです。特に閉鎖的な業界の中で完結してモノゴトが進むような会社、グローバルな競争原理とは離れたところで一定の権益をあげてきた会社は要注意です。

先日、業務オペレーションの方針や施策を検討するミーティングに出席したときのこと。みんなで日々の業務上の調整事項や指標となる数値をいかに改善するかについて真剣に議論、KPIをレビューし、市場動向を見極め、ユーザーニーズを探り、今悪い点をよくするためにどうするべきか、、。それはそれで重要なことだし何ら否定されるものでもありません。でも、なんか違うな、足りないな、と感じてしまった訳です。

なんでだろうと考えたとき、ふと、これって要するに改善と改良の話しかされてないからじゃないかと思った訳です。英語でいえばIMPROVEの話に終始しINNOVATIONの話がないというということかもしれません。

モノゴトを変えていく概念には、改善、改良、改革、革新などいろんな言葉があります。辞書的にいうと、
・改善:悪いところを改めてよくすること
・改良:不備な点や悪い点を(性質を変えない範囲で)改めてよくすること。
・改革:従来の制度・枠組みなどを改めてよりよいものにすること。
・革新:旧来の制度・組織・方法・習慣などを改めて新しくすること。
、、とありました。

改善と改良に一生懸命取り組めば、短期的には努力に応じた成果に結びつくかもしれません。でも、いろんなビジネス構造が変化している昨今、もっと大きな流れの中で、改善改良の効果が無効になってしまうこともありますよね。たとえばガラケーの機能をいくら改善しても、もはやiOSやAndroidのスマホの世界になったら付加価値も何もあったもんじゃありません。多かれ少なかれ日本のいろんな会社でそんなことが起こっていると思うのです。

10年ほど前、ある口の悪い電機メーカーの幹部が言っていました。「日本のテレビメーカは、50年間、テレビの画質向上しか技術進歩をさせてないんだよ。早晩、コモディティ化の中でビジネスとしてはダメになるだろうね。」と。それから10年、まさしくその通りになりました。ハイビジョンだ、液晶だ、有機ELだ、3Dだ、といっても、それは技術的に先進的なイノベーションがあったとしても、ユーザーからみたら画の改善改良でしかないと言えますものね。結局、大型高画質テレビの市場価値は数万円まで落ち込みました。

一方でAppleのiPhoneやiPadは技術的にはパソコンの延長線上にあるのかもしれないし、基盤部品の技術は日本にあるのかもしれません。でもユーザーからみたら、いままでに経験したことのない世界観を実現したところにイノベーションがあると思うわけです。結果、日本の電機メーカーの時価総額を全部集めても足元にも及ばないほど企業価値評価に差がついてしまいました。これからユーザーインターフェイスやコンテンツ、サービス連動のモデルをつくっていくのも結構つらそうです。

何を思うかといえば、上に立つリーダーが、将来を見据えたイノベーティブな指針を出していかないといけないなってことです。というか、それが主な仕事なんでしょうね。ユーザーからみた付加価値がどこにあるかを見極め、その付加価値を向上させる方法論を示していかないといけません。それはモノゴトの大小とは関係なくということが重要です。従来の業務上のKPIとは違う話になるかもしれません。リソースの使い方がまったく変わってしまうかもしれません。これまでの付加価値の一部が毀損してしまうかもしれません。でも、それをしていかなければ、いずれ日本のテレビメーカーのように、にっちもさっちもいかなくなってしまうのではないか、と思うわけです。


参考:
「改善」は「現状肯定の観点から改良する」、「改革」は「現状否定の観点から新しい姿にする」と定義づけられます。言い換えると、「改善」は「現状の延長線上で方法や手続きを変える」、そして「改革」は「将来志向から考え方を変革する」ということ。http://www.jmac.co.jp/wisdom/management/mg_04.php

参考:
「偉大な企業はすべてを正しく行うが故に失敗する」
イノベーションのジレンマ
http://blogs.itmedia.co.jp/saito/2009/12/google20-9d35.html
http://eicolab.com.au/2008/12/01/the-innovation-interrupt/

2012年4月1日日曜日

【ブータン的「しあわせ」の話】

先日、ブータンの首相が国連で「国民総幸福量(GNH)」の世界的な普及を目指し、日本と協調していく」との会見ニュースがありました。最近注目のブータンは国民の97%が幸せと答える国だそうです。そのブータンと”GDP経済モデルの頂点に達し、その限界と問題点を熟知している”日本が強調すればGNHの概念を推進することができる!ということなんですね。(ちなみにGNHとはGross National Happinessのこと。物質的豊かさでなく、心の充実感を指標化した概念です)

日本でも震災を契機に幸せとは何か、本当の豊かさとは何か、ということが、それまで以上に深く考えられるようになってきていると思います。ありていに言えば物質的、経済的な豊かさが必ずしも「幸せ」や「こころの豊かさ」に直結するものではないということへの再認識でしょうか。


先般、ブータン現地で公務員として働いた日本人女性がブータンの日常をまじえて書いたエッセイ「ブータンこれでいいのだ」という本を読みました。それを読んでもわかるのは、(当たり前ですが)ブータンに苦労や苦難がないということではないということです。それでも皆が幸せを感じているのは「幸せ」の範囲が広いからなんですね。自分だけではなく、他人によいことがあっても幸せだし、今だけでなく、過去、未来、来世をも含めて幸せを考える。だから日本でよく言われるような「もっと幸せになりたい」みたいな概念はきっと希薄なんだろうなと思いました。

でも、もともと日本人も、このブータンに通じる感覚を持ち合わせていたように思います。幸せはなるものではなく感じるもの。幸せは探すものではなく気づくもの。足るを知る。そういう言葉がありますものね。そうすると「じゃあ弱い立場の人、貧しい人にも”足るを知れば幸せだ”といえるのか」みたいな論調が必ずでてきますが、そういう議論をしているうちは永遠にブータン人のような幸せは感じられないような気がします。

そもそも日本語の「しあわせ」は「幸せ」ではなく「仕合せ」でした。夏目漱石とかの近代文学を読んでいると「しあわせ」は「仕合せ」としてでてきます。調べてみると日本語の「しあわせ」の語源は「し合わす」。「し」は動詞「する」のこと。何か二つ以上のことが合わさること、つまり、たまたま偶然なめぐり合わせな感じ、それを有り難く感謝する感じ、それがもともとの「しあわせ」だったようです。

食料や物資が不足していた時代、その不足が解消すれば今より幸せになれると信じ、マイカー、マイホームをもてば幸せになれる、お金が増えれば幸せになれる、足らない何かを補えたら、誰かが何かをしてくれたら、と進んできました。確かに経済的発展を遂げました。それはそれで素晴らしいことです。しかし、そんな中で「仕合せ」を思う感覚が少なくなってしまったのかもしれません。

今後、この感覚の違いが今後のビジネスのありようにも大きく影響してくるように思います。モノやサービスで、足らないものを提供する、不満足を解消する、、。もちろんニーズがあればビジネスにつながります。「いつでも、どこでも、あなたの好きなモノが得られますよ」、、こういった従来型のサービスは魅力的かもしれません。
でも「仕合せ」感を考えると、物欲で何かを得ること、自分だけの充足感、優越感を得るといった低次な欲求ではなく、もっと他との関わりや貢献、そこから生まれる偶然性ある巡り合わせや、出来事、そこに価値が見いだされる世の中になっていくように感じます。ここらへんのパラダイムシフトをとらえないとビジネスがやがて経済的にも無意味なものになっていくのではないかと思ったりします。


【参考】
ブータン国王が国会で演説
「幸福度」国際社会に提案、日本と協力(朝日新聞デジタル)
「ブータン、これでいいのだ」御手洗瑞子
幸せの語源
名言から学ぶ幸せのヒント
「足るを知る」に騙されていませんか(日経ビジネスオンライン)

.

2012年2月20日月曜日

【アニソンとJ-POPの可能性】

先週、ふと耳にして、久々にこれはすげー曲だと思ったのが中島愛というアーティストの曲「TRY UNITE!」と「金色~君を好きになってよかった」。知らなかったですが中島愛という方は声優さん、曲はいわゆるアニソンなんですかね。

しかしその楽曲のハイクオリティな感じ、隙のないメロディと浮遊感あふれるコード進行とハウスなアレンジ。聞けば編曲はラスマス・フェイバー!なんですね。そしてアルバムの作曲家陣をみるとサエキけんぞうさんや大江千里さんなど懐かしい名前も。80年代から90年代を生き抜いてこられたプロフェッショナルな方々です。

-*-*-*-*-
AKB、ジャニーズ、K-POP、アニソン以外、なかなかヒットが出なくなっている音楽業界ですが、しかし実は、そんなAKBやアニソンの音楽的背景を支えているのはこういったプロフェッショナルな作家だったりするんですね。確かにAKBの曲もクオリティの高い曲が多い気がします。

「80年代、アニソン、作家」で検索したら、次のようなブログもみつかりました。
http://d.hatena.ne.jp/fg730/20100731 。。。確かにそうかもしれません。

音楽が元気のよかった80年代、なんだかんだ言ってもヒット曲の中心は歌謡曲でした。聖子ちゃん、明菜ちゃん、キョンキョン、ジャニーズ、おにゃんこ。歌手のストーリーや下世話な感じを含め楽曲のパワーがありました。そして、それらの楽曲を支えたのは実力ある多様な職業作家でした。

しかし、90年代以降に、○○ブームの名の下で作家陣の寡占化→画一化傾向や、アーティスト性の訴求を重視する中での自作自演が一般化→作詞作曲の素人化も同進んでしまったのかもしれません。その結果、J-POPの歌詞は「翼広げすぎ」「桜舞いすぎ」「私弱すぎ」「瞳閉じすぎ」「君の名を呼びすぎ」などと揶揄される状況に至りました。(もちろん、いい曲はたくさんあるんですけどね。)

そんな中でのアニソンです。アニソン歌手は声優だったりするので楽曲を自らつくることは少ないようです。そこに多様な職業作家が楽曲を提供する。ラスマスのように海外からの才能も集まってくる。楽曲には必然的にアニメのストーリー性が付加される。制約条件が逆にクリエイティビティを生む。

そこには80年代にあった歌のストーリー性とプロフェッショナリティの復権があるのかもしれません。

そんなことを感じた中島愛の楽曲だったのでした。




参考)翼広げすぎなJ-POP
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1011/04/news089.html


参考)ラスマス・フェイバー、日本のアニメーターとのコラボMV

2011年12月4日日曜日

【意思決定における儲かる度、わくわく度の話】

ビジネスにおいては、常に大小様々な意思決定をしていかなければなりません。経営とはヒト、モノ、カネといった限られたリソースをどこに投下してリターンを目指すのかを考えることと言えるかもしれません。

辞書によれば「意思決定」とは「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと」とありました。やりたいこと、やれそうなことは沢山あるかもしれません。しかし成果をあげるためには選択し集中することが定石です。網羅して拡散していてはリターンは得られないからです。

このように「意思決定」というのは経営の根幹ということもあり、先人が意思決定をサポートするフレームワークを山ほど考案してくれています。SWOT分析、PEST分析、3C分析 、アンゾフマトリックス、BCGマトリクス、バリューチェーン分析、、。一見小難しい感じもしますが、一度覚えてしまえば考える時間が大幅に短縮できる効果があるものです。

-*-*-*-*-*-
そんな中、先日、新しいエンタメサービスの企画を議論している中で、新たな意思決定フレームワークが思い浮かびました。

それは「もうかる度軸」と「わくわく度軸」による2×2マトリックス分析です。

◆「もうかる度軸」=収益基準
事業として企画を考える限り、収益を無視する訳にはいきません。収益性をブレイクダウンすると、市場規模、市場成長性などの外部分析、自社リソースなどをふまえた実現可能性、既存ビジネスとの近接性、強みを生かす競争優位性がとれるかなどの内部分析などに分解されると思います。それらをふまえ、儲かる可能性があるかないか、これを冷静に判断する必要があります。情報流通量が増大し、ソーシャルメディアが普及する昨今、ユーザーから、その分野において「最高」、「No1」だと思われなければ共感は得られにくいです。また環境変化のスピードがあがっている昨今、「最速」で進めなければ他に負けてしまいます。なんとなくでは収益をあげることもできないことを肝に命じて判断すべきです。

◆「わくわく度軸」=価値基準
一方で事業である以上、その社会的意義にもとづく志、価値観があるはずです。特にそれがエンターテイメントに関わる仕事であれば、そこに「わくわく感」がなければ良いものができるはずもありません。その昔、世阿弥は能の心得として「おもしろきこと、めずらしきこと あたらしきこと」に挑戦しなければいけないと説いたそうです。自分がわくわくしないことで、ユーザーがわくわくしてくれる筈もありませんよね。仕事のモチベーションがあがらなければ品質も効率も悪くなります。

このマトリックスによって企画アイデアを4っの事象に区分することができます。

①「わくわくする」且つ「儲かる可能性がある」企画
②「わくわくしない」でも「儲かる可能性がある」企画
③「わくわくする」でも「儲かる可能性が低い」企画
④「わくわくしない」且つ「儲かる可能性が低い」企画

④は即、却下ですよね。儲からないし、わくわくしないことを実行する意味はありません。
逆に①は即、実行決定です。
判断に迷うのは②です。わくわくしない理由を分析し、わくわくできるモノにできる可能性の有無がポイントです。
③も判断が必要です。収益性が低くても社会的に付加価値がある、あるいは他サービスを含め総合的に考えた収益があがるのであれば実行すべきという判断もできます。いかに収益性を高められるのかということも考え抜くべきですよね。

意思決定とは選択すること。捨てることです。全部盛りでは成功しません。何かの本にこんな例がありました。塩ラーメンしかメニューにない店と、いろんなラーメンや蕎麦やカレーライスもやっている店でどちらが成功しそうか。足し算ではなく引き算を極めること、それが成果を得るポイントだと考えます。



.

2011年12月2日金曜日

【モノとコトのコンバージェンス】

前回は音楽ビジネスにからめて「モノからコトへ」というテーマで考えてみました。モノを所有することより、体験、共感、知識、絆、、というコトに価値観がシフトしている世の中を見据えると、”コト”にフォーカスすることによって、新たなビジネスの可能性が広がるんじゃないかという仮説です。

しかし、これはモノを売るのをやめて、コトだけで儲ければいい、という話ではありません。価値観の重心は「モノからコトへ」移っているとしても、それは製造業をやめててサービス産業にシフトしようっていう単純なことではないはずです。

ここで重要な視点は「モノからコトへ」の流れの中で、いかに「モノ」と「コト」を融合させたビジネスモデルをつくれるかということではないかと思う訳です。

-*-*-*-*-
例えばモノを売っている製造業にしても、モノを機能として売っているというより、コトを提案した売り方に移行しているように思います。

HondaのHPを覗いてみると「大人の自由がそこにある」CR−V、「毎日をスペシャルに」Life、というコピーに出会います。昔「こどもといっしょにどこいこう」Stepwgnっていうのもありました。要するにHondaはコトとして提案をしながら自動車というモノを売っているとも言えます。
最近のエコカーもユーザーはその性能というよりエコという社会的な付加価値のほうに意義を見いだして買っている訳ですものね。

サクラクレパスという会社は初めから「モノ」を売るのではなく、絵を描くという「コト」を普及させることにより、売り上げを伸ばしてきたといいます。学校を巻き込んで絵のコンクールをしたり、幼稚園に子供に絵の描き方を教える講師を派遣したり。結果クレヨンというモノも売れるようにする。

日本酒メーカーの菊水は「モノとコトの融合で日本酒を面白くする」といっています。「お酒そのものにこだわるのも大事ですが、もっとこだわるべきは、お酒がつくりだしてくれる愉しさ」。良い酒とは単に酒質の善し悪しじゃない、ここに面白さや楽しさといったものが付加されてはじめて「良い酒」の資格があるんだと言っています。

-*-*-*-*-
一方、「コト」を売っているサービス業にしても、最終的なマネタイズポイントはモノを売ることによって成立していることも多いと思います。

スターバックスはコーヒーというモノを売っているのではなく自宅とも職場でもない「第三の場所」を提供するんだ、という理念を掲げています。でも代金はコーヒー代(モノ)として回収しています。

Appleの本質的な提供価値はアプリとWEBサービスを含む全体のエキスペリエンスだと思いますがメインのマネタイズポイントはiPhoneなどのデバイスですよね。

前回もふれたAKBも握手という体験(コト)を提供しますが、代金はCD代(モノ)で回収したりします。ライブ興行も、最終的に利益を稼ぐのは物販だったり、飲食だったりのモノである場合があります。

来春開業の渋谷ヒカリエの新店コンセプトの中には「モノ・コト・キモチが融合した」出会い、発見の場を目指すというキーワードがありました。単に商品が整理され区分されたデパートじゃないんです、、ということです。

-*-*-*-*-
単純にモノが機能や性能で売れる時代は終わりました。

でもモノの提供によって価値あるユーザーエキスペリエンス(コト)を提供し、その対価をモノを売ることによって回収するモデルは有効だと思います。

逆に価値あるコトを起こして、そのコトをモノに転換して売って回収するというモデルもあると思います。

そんなことを考えるとキモチを込めた”モノとコトの融合”、そこにもビジネスのヒントがあるのではないか?、そう思う訳なのです。


.

2011年11月28日月曜日

【モノからコトへ】

「これからの音楽ビジネスを考えたとき、やっぱり、もう音楽そのもので儲けるってのには限界があるんじゃないかなぁ」。 これは音楽業界の見識ある方から最近、お聞きした言葉です。確かにCD市場が縮小し、配信市場も頭打ち、少子高齢化が進む日本の中で、音楽ソフト市場がもう一度、成長軌道に回復するというシナリオはなかなか描きにくい状況です。
そんな中で次はアイドルだ、アニソンだ、K-POPだ、、というジャンルの問題だけを語っていても仕方ないし、これからはライブだ物販だと、次の「音楽の売りモノ」は何か、という議論だけをしていても駄目なのかもしれません。

一方で”音楽コンテンツビジネス”以外に目を向けると、音楽をコアにしながら成功しているビジネスや企画はたくさんありますよね。
・Appleの快進撃のきっかけは音楽をコアにしたデバイスとWEBサービスでした。
・かつてmyspaceは音楽を軸にして巨大なSNSに成長しました。
・GoogleもついにGoogle Musicという音楽サービスを立ち上げ話題になっています。
・そういえばヒット映画「モテキ」も音楽なしでは成立しない映画でした。

音楽コンテンツ業界は厳しさを増していますが、音楽をコアにしたビジネスは依然大きなポテンシャルをもっているように思います。

-*-*-*-*-*-

こう考えていくと、
「音楽をモノとして売る商売形態は縮小しているけど、音楽でコトを起こす商売形態には成長余地がある」ってことなんじゃないか、と。

音楽ビジネスをCDやアーティストグッズなど音楽に関連する「モノ」を売るコンテンツビジネスとして捉えると、その市場は限定されてしまうように思います。ライブイベントも単にアーティストの生演奏を聴かせてその対価としてチケット代収入を得る場として捉えると単発的な「モノ」的な感じがします。

一方でAKBのようにCDを一つのツールとしながら投票権、応援料、体験料への対価として、モノからコトへ枠組みをかえたモデルは盛況です。これはもはや”音楽コンテンツビジネス”ではないのかもしれません。
ap bankは「環境プロジェクトなどへの融資をはじめ持続可能な社会を創るためのさまざまな活動を行う組織」であり、「ap bank fes」はその為の手段と位置づけています。ロジックとしては音楽フェスをやるから社会貢献をするということではないんですね。

同じCD販売でも楽曲データというモノを買うのか、握手券というコトを買うのか、によって意味合いが違います。
同じライブでも「音楽演奏会」に参加するのか、「社会貢献活動支援」というコトに参加するのかで意味合いが違います。
音楽ニュースといっても、楽曲リリース情報と、例えば被災地支援のライブでのアーティストの思いを伝えることは全く意味合いが違いますよね。

-*-*-*-*-*-

震災の影響も加わり、物質的な価値観から精神的な価値観に社会がシフトしています。マーケティング3.0、スペンドシフト、ソーシャルシフト、、が進む中で、単に「モノが欲しい」という欲求は相対的に減っていくように思います。それよりも「自分にとって意味がある」、「自分が価値があると思う」コトに対してお金を払う世の中になっていく。だからこそ音楽を使って新しい価値を生み出す、価値あるコトにフォーカスする必要がるのではないかと。つまり、、

「モノとして音楽を売る」のではなく「音楽でコトを起こす」

「モノからコトへ」の発想を転換することによって広がる可能性があるのではないか。今、人々が潜在的に強く求めていること、知りたいことは単なるクオリティの高い楽曲や最新音楽情報なのではなく、音楽によって巻き起こるコトのほうなんではないのか、、。
そんなことを思った次第なのです。

.

2011年11月10日木曜日

【「ネクスト・ソサエティ」】

「ネクスト・ソサエティ」といドラッカーさんの本があります。2001年の9.11の前に書かれ、まだFacebook、YouTubeもかげも形もなかった時代に発行された本です。

10年前に読んだことが、だんだんと現実となって表れてきているように感じます。やっぱりドラッカーの洞察力、予言力はすごいです。


今でこそ「ソーシャル」って言葉がクローズアップされ、ビジネスの世界でもソーシャルイノベーション、社会貢献が重要視されてきていますが、ドラッカーさんは そんなことは、とうの昔にお見通しでした。 "ITとインターネットによって社会が変わる"。 みんなITだ、インンターネットだ、なんだって騒いでるけど、本当に重要なのは社会(ソサエティ)なんだよと、、、。 ソーシャルの重要性を既に見通していたんですね。


ドラッカーは本を出版した1991年当時、進行しつつあった「IT革命」はやがて「産業革命」のごとく技術を超えて世界を変えていくだろう予言しました。
本を参考に「産業革命」の進行と「IT革命」の進行を対比してみます。

◆1760年 蒸気機関発明から始まった産業革命
イギリス産業革命は1760年から1830年まで70年間続きました。
・ まず蒸気機関が発明され、生産プロセスの大変化が起こります。
・ 50年後の1810年頃には蒸気を使った鉄道が発明されます。
  技術革新がインフラ革新を呼んだわけです。
・ そして鉄道網の整備が次に郵便制度、電報、新聞などを生み出します。
  これによる情報流通インフラ発展による産業の発展は銀行や公務員制度に
  つながっていきます。
・ 人々の生活が変わっていきます。工場勤労者層を増えて、農業や家内制
  手工業は崩壊します。

、、、蒸気機関発明から100年かけて社会が変わっていった訳です。

◆1940年 コンピューター発明から始まったIT革命 
・ 蒸気機関の発明にあたるのが1940年のコンピューターの発明です。
・ 鉄道の始まりが1990年のインターネット。丁度50年後です。
・ 鉄道網の整備がブロードバンドを前提にしたeコマースです。
  それが2000年ぐらいの話でした。
・ そして2011年、インターネットをベースとしたコミュニティインフラが普及。
  エジプトではFacebookインフラを使った革命が起こるまでに至ります。

、、、、コンピューターの発明から70年で社会が大きく変わりはじめたということだと思います。

鉄道の整備が始まった段階にも鉄道バブルがあったそうですが、インターネットの整備が始まった段階でもITバブルがありました。ITバブルは大昔に弾けましたが本当の大変動はこれからということです。

1991年のドラッカーは言います。

「蒸気機関や鉄道は、それまでの家内制手工業でやっていたことや、馬車でやっていたプロセスを、置き換えたに過ぎない。同じようにコンピューターや今のeコマースは、会計計算や在庫管理、商品受発注プロセスをPC上に置き換えたに過ぎない。まだ何の本質も変化していない。
印刷技術発達によるキリスト教思想の浸透、それによる社会、制度、理念、思想の大変化みたいな本質的変化はほとんど起こっていない。」

「かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれるであろうことである。」

そして、これまた「確実に」 これから”社会、制度、理念、思想が大きく変化していく”と予言しています。 既存の枠組みを置き換えているだけでは今後のブレークスルーはないってことですね。

昨今の「ソーシャルシフト」っていうのが、その大きな変化の始まりの一つのキーワードのような気がします。今後10年で何が起こってくるのかわかりませんが、きっと産業レベル、社会レベルでの変化が起こってくるんだろうなと思います。


.

2011年11月3日木曜日

【美魔女ブームと女子大生ブームの関連性】

前回9月投稿から2ヶ月たってしまいました。この2ヶ月でジョブズが亡くなってしまい、タイでは大洪水に見舞われ、ギリシャは財政破綻、日本では野田内閣が発足しつつ、株式市場は9000円を割り込んだまま、為替は70円台、日本のテレビメーカーも軒並み業績悪化です。

そんな決して明るい世の中でない中で、最近、案の定出てきた「美魔女ブーム」です。一昨日11月1日には国民的美魔女コンテストが開催され45歳の女性がグランプリ、芸能界デビューらしいです。ファッション雑誌に仕掛けられたとは言え、マスコミなどで盛り上がるということは、ここらへんにきっと消費のニーズがあるということですよね。

だいたいこの「美魔女」年齢層っていうのがくせものです。例えば今回の美魔女グランプリの方は45歳、1966年生まれです。この年代の方々は20歳前後のとき、80年代初頭の「女子大生ブーム」をつくりだし、企業の大量採用期に入社し、就職後はバブル期のOLとして90年代前半まで活躍し「ジュリアナブーム」等を先導しました。30代も後半に差し掛かった2004年頃には一部「負け犬ブーム」もありましたが、40代を迎える2006年〜2008年には「アラフォー」に突入します。(一部の親は「モンスターペアレント」と化したようですが)。それから3年、今度は40代を積極的に楽しむ「美魔女」ときました。

要するにみんな同じ方々(属にいうバブル世代)なのですね。やっぱり指向性の本質は年齢ではなく年代によって形作られるところが大きいようです。

このブームをつくりだしている1965年〜1969年生まれぐらいの層は、実は日本の人口構成上のボリュームゾーン(団塊ジュニア1971年〜1974年生まれ)ではなく、その上の年齢層です。なぜかここが消費を牽引し、ブームを作りだし、いい思い?をしているんですね。
一方、その下の団塊ジュニア層は属に「貧乏くじ世代」「不運の世代」と呼ばれているようです。人口が多いがゆえの受験戦争、なのに成人する頃にはバブルが崩壊し就職氷河期に突入、就職しても賃金削減、可処分所得減少に見舞われました。

下の人口構成グラフでもわかるとおり、現在の日本の最大ボリュームゾーンは団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)62〜64歳の方々です。この層も日本の消費や文化を牽引してきた世代です。ここが一斉に定年リタイアの時期を迎え、シニアマーケットが新たな局面を迎えると想定されています。

そしてその次の牽引役がバブル世代。きっとこれからも、50代になっても60代になって○○ブームを作りだすことは間違えありません。

マーケティングを考えるときの一つの考え方として、このトレンドをつくる層にターゲットを絞ってプランニングするというのも有効だと思います。年齢別による指向性より年代による指向性のが分析しやすそうですしね。

.


2011年9月4日日曜日

【音楽と社会のリンケージ】

スティーブ・ジョブズを”ロックスター”に、アップルを”ロックバンド”に例えたブログを読みました。「スティーブはもうライブをやらない

確かにジョブズはビートルズやローリングストーンズが出てきた1960年代以降の最高のロックスターの一人だと僕も思います。彼は「世界を変える」と宣言して、音楽を軸にしながら最高の作品群をつくりだし、人々を熱狂させ、実際に世界を変えた訳ですからね。


昨今、音楽周辺ビジネスの可能性をいろいろ議論したり考えたりする中で、いろんな努力や取り組みの問題ではなく構造的に、もとのパッケージや配信を中心とした「音楽産業」というもの自体は、もう元には戻らないんだろうなと感じてます。もちろん音楽の素晴らしさはなくならないし、音楽の力はこれからも可能性は広がっていることは疑わないのですが、だから音楽産業も成立するというのとは話が違うということです。ジョブズのように、次の「ロックスター」は音楽産業から生まれるとも限りませんし。

-*-*-*-*-*-

そもそも今の音楽産業の発展のきっかけは1920年代頃からの音源複製技術やラジオなどメディアの発展から。テクノロジーの進化は、ビートルズなど大きな才能とリンクして、次々と刺激的な作品や文化を生み出しました。1960年代に若者による「カウンター・カルチャー」なるものが、大きな社会的影響を及ぼすように。日本でもそんな社会運動が起こる中で、若者文化の反抗や主張が音楽と結びつき、音楽は若者の精神に多大な影響を及ぼす存在となっていったのではないかと思います。

1970年代以降は日本の高度経済成長の中で、豊かになる生活の先行指標としてテレビや音楽が位置づけられていたのではないかと思います。歌謡曲、ロック、ニューミュージック、アイドル、化粧品のイメージソング、、曲は社会を反映し、社会に影響を及ぼしました。ステレオ、ラジカセ、カーステ、ウォークマン、次々と革新的な音楽再生装置が出て、若者文化の舞台装置として機能します。ギターを弾けるとモテる、バンドをやってるとめっちゃかっこいい、洋楽に詳しいとクラスで一目置かれる。音楽と社会と文化は密接にリンクしていた訳です。

1980年代以降も、音楽はコマーシャリズム化しながらも、依然、大きな影響力を持ち続けます。アメリカではMTVが放送開始。マイケルジャクソンの「スリラー」発売とあいまってミュージックビデオ時代に突入。日本でもザ・ベストテンなど歌番組やドラマから次々と新しいスターが生まれました。学校の話題の多くの部分が音楽でした。放課後はギターを弾いているやつはいるし、レコードの貸し借りをしたり、ピンクレディのフリ真似を練習する女子がいました。企業はメセナと称して音楽に対してお金を出しました。ここでも音楽と社会と文化は密接にリンクしていたと思う訳です。

そして1990年代、CDの普及とともに一足遅れたバブルが音楽業界にやってきます。ドラマやCMなどのタイアップ曲を中心にミリオンヒットが連発。ビーイングブームや小室ブームも巻き起こりました。
しかし、このへんから、音楽と社会や文化のリンクが少し外れてきたのではないかと思います。若者の中で、音楽は消費される「商品」のように位置づけられるようになってきたのではないか。もちろん全ての音楽が、という訳ではありません。それでも若者文化の中で、音楽の占める割合、濃度は確実に下がり始めたのではないかと思う訳です。


そして2000年代に入って音楽パッケージは右肩下がりトレンドに入ります。パッケージや配信は落ちても、ライブが発展する、物販やコミュニティ運営で補完する、、というのは一つの方法論として有りだと思います。でも、それは方法論であって本質ではないように思う訳です。



1960年代からある時代まではそうであったように、今後、音楽や音楽を中心とするアーティストが大きな影響力を持ち得るとすれば、それは、社会や文化へのリンケージによってではないか。ビートルズは最初はともあれ、少なくともジョンは音楽で世界を変えようとしました。マイケルも同様です。

そういった意味で、日本においては震災に端を発する問題を始めとした様々な社会問題やグローバル化、ソーシャル化の流れの中でのアイデンティティや文化に関わること等が音楽の力とのリンクがとれ始めたときに音楽も新しい可能性が広がっていくのではないか。もはや、いい曲、いいライブをすることだけがアーティスト、スターの要件ではなくなっていくのではないか。そんなふうに思う訳です。

参考)
◆スティーブはもうライブをやらない
http://blogs.itmedia.co.jp/closebox/2011/08/post-9a24.html
◆ソキウス「音楽文化論」
http://www.socius.jp/lec/18.html
◆さよならポニーテールは「アーティスト」や「ミュージシャン」ではなく、、、。
http://natalie.mu/comic/news/55497
◆坂本龍一の「こどもの音楽再生基金」
http://www.schoolmusicrevival.org/

.

2011年8月28日日曜日

【スペンド・シフトの話】

『スペンドシフト~〈希望〉をもたらす消費』という本があります。そこで紹介されているのはアメリカにおける消費や生活トレンドの劇的な変化とそこから見えてくるマーケティング分析の話です。


アメリカでは経済危機を境に、借金をしてまで消費するような購買層は影を潜め、「消費をとおして自分の理念に合った信頼できる企業を応援し、地域社会を大切にしながら生きよう」という意識変化が起きているということです。宣伝に踊らされて、利己的にお金を使うのではなく、希少な「購買力」を「投票権」のように行使して、社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援する。有名企業でなくても信頼できる企業から買う。

-*-*-*-*-*-
この「スペンド・シフト」のトレンドは、きっと日本においても震災を契機にして、これから加速してくると思ったりします。今の日本の危機的な状況の中で、企業がどのように考え、どんな動きをしているのかも、消費者はちゃんと見ていると思うんです。

そして昨今、いくつかの事例を見聞きする中で、この「スペンド・シフト」、実は日本の若い世代にとっては、既に当たり前に感じている人も多いのではないかと再認識しました。今の20代ぐらいからみると、マスに踊らされて大量消費を行い続けてきた、上の世代のほうが理解不能なのかもしれません。

先般、有料放送市場の市場調査に関わっている方とお話する機会がありました。現在、有料多チャンネル放送は1000万世帯を超えるまでに成長しましたが、昨今は市場の伸びが鈍化し、先行き不透明感も増しています。一つの問題は新しい若い層を獲得できていないことです。そもそもテレビ離れした若者が、これから、何かのきっかけでテレビに戻ってくるのだろうか。

そんな中、若者を集めたグループインタビューを行い、その様子を見学して驚いたという話がありました。いわく「今の20代の若者達は世間からニートだ、ゆとりだ、オタクだ、草食系だのなんだの言われているが、いやいや、ちゃんと自分の意見をもってますよ」、「親の世代からしてバブル後の社会人生活で、本人達は生まれてこのかた不況しか経験していない、そんな彼らは消費に対しても自分の考えを持ってシビアに行っていることを再認識しましたよ」ということでした。

そもそも多チャンネル放送の魅力は、その多様性にあります。40チャンネル、いろいろ見れて4千円!お得でしょ、っていうセット売りのビジネスモデルです。しかし、今の若者にとっては、”テレビで何十チャンネルも見る事ができる”事自体に、何の驚きもありません。そりゃそうです。HDDレコーダーもあるし、YouTubeもニコ動もあります。
更に、彼らにとっては”見ないチャンネルの分まで、なぜお金を払わなければいけないか意味がわからない”ということです。見たいチャンネル一つが1,000円で、それが4っで4,000円ならまだ分かるけど。

自分が付加価値があると判断するものに対してはお金を払う、それ以外は払わない。金額の多寡の問題ではないんです。

-*-*-*-*-*-
そして、これから、自分にとってだけの価値だけでなく、自分の消費が社会に対して、どのように貢献するのか、それが重要なポイントになってくると思います。テレビのイメージ訴求や機能訴求の広告宣伝テクニックだけでは消費者は選択してくれない、伝わらない世の中に入ったと思う訳です。

震災の緊急事態の中で、普段からの企業の志が本物かどうかも試されました。一つ感動的な事例としては、糸井さんの”ほぼ日”で連載されている「クロネコヤマトのDNA」の話があります。こういう話を聞くと、宅配便を頼むならクロネコヤマトだな、って思いが沸いてきます。こういう「スペンド・シフト」な流れが、モノやサービス、音楽などのエンターテイメントにも波及していくのではないかと思います。


(参考)
◆ほぼ日刊イトイ新聞「クロネコヤマトのDNA」http://www.1101.com/yamato/
被災地のなかを進む、一台のトラック。
荷台には「クール宅急便」の文字が見て取れます。
「すごいな‥‥すごい写真ですね‥‥
このドライバーは一生この景色を忘れないだろうね」
http://www.1101.com/yamato/2011-08-17.html


◆若者の気持ちを代弁!スペンド・シフト
http://kuwako-lab.com/wordpress/?p=4052
◆スペンドシフトは日本のレジャーでも起きている
http://ameblo.jp/jonetu/entry-10979122004.html

2011年8月13日土曜日

【ソーシャル化の中の3Sとか3Cの話】

CNETJapanの記事で本田さんという方が、これからの日本の消費のトレンドとして「3S」を提言しています。その「3S」とは、ソーシャル(Social)、サスティナブル(Sustainable)、シェアラブル(Sharable)のこと。

その昔、高度成長時代のキーワードは「3C」。それはカラーテレビ、クーラー、自家用車(Car)のことでした。特にテレビは戦後復興を経た国民に対して、明日は、来月は、来年は、今日よりも豊かになる、その姿を映し出す装置として有効に機能し、広告を通じて大量生産、大量消費社会を先導しました。

しかし、モノの所有が豊かさだった時代が終焉しつつあるなか上述「3S」で取り上げられているキーワードは「モノ=商品」のではなく「コト=行動」へのシフトのことです。

アメリカでは「スペンド・シフト」という本が話題になりました。大量消費社会の権化のようなアメリカさえ消費行動の価値観の変化が進んでいるという話です。従来、消費とは自分が所有するモノを買うため、自分が受けるサービスのためのものでした。しかし、今現れてきている消費トレンドは、”社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援するための消費、希少な「購買力」を「投票権」のように行使する消費”です。

これから日本でも震災を経て生活者の消費トレンドがきっと大きく変わっていくと思います。「3S」つまり、消費自体が社会貢献につながり、持続可能社会を実現させ、みんなとの共有につながる、そんな行動に価値を見出す消費社会への転換です。

-*-*-*-*-*-*-*-*-
そんな「3S」(SocialでSustainableでSharable)な社会への移行の中で、変化のキーワードにいろんな「3C」を使った考え方みつけたので紹介します。

◆まず夏号の「Think! ソーシャルメディアインパクト」で取り上げれられていた3CはCommunication(通信業界), Commerce(広告業界), Contents(コンテンツ業界)。ソーシャル化によって、この3業界に大きな変化がもたらされるだとうという話です。ここらへんはまた別途の機会に考えたいと思っています。

◆次にソーシャル化の中で、変化する情報流通形態の中で、人々もその役割、立場によって3Cに分類されるという話です。それはCreator, Curator, Consumer。経済活動がソーシャル化される中で、元情報を発信する人、有用な情報をあるテーマをもって収集し再発信する人、それを受け取る情報消費者が生まれます。これはある人がCreatorになることもあれば、Consumerになることもあるということ。でも間にCurator,が入ることが、これからの社会の変化を現していると思います。

◆こんな3Cもありました。それはCommunication(対話)、collaboration(協力)、contribution( 貢献)です。ソーシャル化の中で人とのコミュニケーションが容易になり、関心がある事項に対して人と人との協力が容易になり、社会に対して自分ができる範囲での貢献ができるようになる社会の到来です。

◆ちょっと毛色が違いますが将来を決める結婚相手の条件の3Cの話もあります。それはcomfortable、communicative、cooperative、快適で、理解しあえて、協調的であること。つまり贅沢をしなくても子育てができる程度に充分な給料があって、価値観やライフスタイルが一緒で、家事をすすんでやってくれる人と結婚することが幸せなんじゃない、という考え方です。ここでも一昔前の「三高」(高学歴・高収入・高身長)みたいな「モノ」的なことから「コト」へのの価値感の変化が加速していると思います。

こんな3Cな変化の中で有名なマーケティングの3C、Customer、Competitor、Companyを分析する切り口も変化してくるに違いないですよね。もちろん昔ながらの3S(整理、整頓、掃除)もビジネスの基本として忘れてはいけません。

生活者の消費行動が変われば当然のこと産業の構造も社会も変わっていくはずです。2011年は、そんな人々の生活や社会や国家の変化の始まりの年のように思います。そんな年に震災が起こったにも偶然と思えない気がする訳なのです。

(参考)
3S (Social, Sustainable,Sharable)
3C
Curation Economy (creator, curator, consumer)
書籍


2011年8月9日火曜日

【アーム社の話】

今週号の日経ビジネス(2011.8.8号)で、”アームホールディングス(ARM Holdings)”というイギリスの会社が紹介されてました。知る人ぞ知る有名な会社なのかも知れません。なんたって記事によればインテルに匹敵し、超えるかもしれない会社ということです。PCの世界で圧倒的だったインテルに対して、アーム社は使いやすく消費電力の少ない特徴をもつMPUによってApple社やNokiaなど携帯電話会社、日本の家電メーカー等にこぞって採用され一気にその存在感を増しているようです。その結果、2010年のインテル社のMPUの出荷台数は3.2億個に対してアーム社のMPUは61億個

しかし両者のビジネスモデルは根本的に異なっています。売上高からしてインテル社の売上が3.4兆円に対してアーム社の売上はたったの?520億円。記事によればアーム社はMPUの設計をして、そのライセンスとロイヤリティのみの収入で成立している知的所有権の会社なんですね。当然、自社工場を持たず生産委託会社さえもありません。ファブレス企業でさえないということです。

アーム社の売上は520億円ですが、アーム社設計のMPU 61億個による経済規模は相当レベルであろうと想定します。要するにアーム社は単独で成立しているのではなくアーム社設計のMPUを活用したチップを生産する多くの企業、そのチップを使うデバイスメーカー、Appleやマイクロソフトなど巨大なIT企業を巻き込んで、壮大なエコシステムを生み出すコア企業の一つになっているということだと思います。

一時期のWindowsとIntelは自社のコアテクノロジーとネットワーク外部性によって市場を独占、寡占しながら、PC産業で中心的役割を果たしてきました。他社の参入を阻みながら大きな利益を獲得してきた訳です。しかし、アーム社が違うのはテクノロジーを囲い込むのではなく、ライセンスによってオープンにしながら、多業種が連携、協同する仕組みの中で経済圏を拡大、産業全体で付加価値をつくっていく方法論をとっているということだと思います。

-*-*-*-*-
これまで「ビジネスモデル」が語られるときは、企業毎に戦略を研究検討されることがほとんどでした。「トヨタの研究」、「ソニーの研究」、「アップルの研究」、、という具合です。ビジネスモデルが垂直統合型か水平分業型かという議論もありました。テレビでいえば液晶パネルの開発製造からに組み立て工程まで全部やるべきか、外部からパネルを調達したほうがいいのかとか。

しかしこれからは、こういった企業毎のビジネスモデルや戦略オプションを越え、産業さえも横断した考え方をする必要があるのではと思います。世界の環境問題、貧困格差問題、エネルギー問題、食料問題など社会問題が山積する中で、企業が一社の最適化だけ考えている場合じゃなくなっている。そういう認識の仕方が広がっていると思います。
例えばエネルギー問題を考えるとき、もはや電力会社の問題だけではなくなっていますよね。太陽光パネルから蓄電池、電気自動車、情報制御技術、公共交通機関やカーシェアリングなの社会インフラ、ルールに至るまで総合的なビジョンと産業連携が必要です。

-*-*-*-*-
前回、音楽ビジネスのエコシステムについてを話題にしました。これまで音楽産業も、パッケージビジネスを中心にしながらあまり開放的ではない形で市場を形成していました。レコード会社は自社で新人を発掘、開発し、音源を制作し、工場でCDを生産し、プロモーションし、自社の販売網で流通させる意味で個々企業として垂直統合型のモデルで事業を行ってきたわけです。テレビ局もそうでした。電波帯域を基盤にしながら、番組制作から放送送出、配信インフラ、営業までの総合力で利益を作り出していました。良い悪いではなく、そういうオプションでやってきた訳です。

しかしデシタルネットワーク化の進展やそれに伴い加速するグローバル化やソーシャル化の大きな変化の中で、ビジネスのバリューチェーンを構成していた一つ一つの要素の競争原理が変化しています。コンテンツ制作コストはデジタル化によって格段に低コスト化、コンテンツ流通コストもインターネットとグローバル配信プラットフォームによって劇的に安価になってきています。プロモーションコストはマスに拡散させるには、依然として多額なコストが必要かもしれませんが、特定のターゲットやコミュニティに届けるだけなら、ソーシャルメディアの活用だけでも十分に伝達可能です。そうすると当然、企業がどこで付加価値を訴求し、どこで収益を確保するかが変わってきます。

こういった環境変化の中で、エンタテインメント産業においても、これまで別々の産業と捉えられてきたコンテンツビジネス、メディアビジネス、WEBメディア、興行ビジネス、ゲームビジネス、ソーシャルビジネスなどが、産業を超えた形でエコシステムを形成していくのではないかと想像したりします。企業が一社の最適化だけ考える時代ではなくなってきていると感じるわけです。

-*-*-*-*-
自然界のエコシステムにおいては光合成をする植物、草食動物、肉食動物、死体や排泄物を分解する微生物に至るまでトータルで環境のバランスを維持しています。

きっと産業界も、個々の会社で成立するようなモデルから、共生型のモデルに変化してくのではないかと思います。得意分野をもつ多業種が連携、協同することによって、より大きな付加価値をつくっていく時代になるのかもしれないな、ということです。

これから企業や個人が、生き残っていくために、アーム社のように規模の大きさが絶対条件ではない構造になるように思います。小さな企業や個人が「知識」や「知的財産」をコアにして大きな経済圏を形成することが可能な時代です。

その中で、重要なのは、社会に対して、どういう問題を解決していくのか、どういう付加価値を創出していくのかといった、自ら果たすべきミッションを明確に掲げ、唯一無二の役割を果たすこと、そしてビジョンを同じくする他企業や個人とオープンにWin-Winの関係を築きながら連携、協働していくことが重要になるのではと思うわけです。


ARMの企業ページ
ファブレスの意味
スマートグリッドとは
垂直統合のiOSと、水平分業のAndroid──エコシステムの「隙間」の違いを考える