2014年1月28日火曜日

【「ソリューション」vs「デマンド・クリエーション」】

事業のアプローチに大きく2つの方向性があるように思います。
課題解決型(ソリューション型)と需要創造型(デマンド・クリエーション型)です。
顧客の困っていることを聞いて、或いは潜在ニーズを発見して、それを解決して差し上げる。例えば

  • 家のクーラーの掃除をしたいが、自分でやるのは面倒だし徹底的にできない。だったらダスキンが専門的技術で請負いますよ、みたいな問題解決型サービス。
  • テレビがかさばるので、もっと薄くなればいいのに、、、液晶テレビなどの技術開発による問題解決。
  • 会社経理業務をもっと効率的にやりたい、、、この会計ソフトが全て解決しますよ、的なもの。
  • 夏はハラハラドキドキのホラー映画がみたいな、、、。ニーズを満たす作品を映画会社が制作。 
製造業でもサービス業でもソフト業でも同じです。マーケティングデータに基づくかどうかは別として世の中にある潜在、顕在のニーズ、ウォンツを察知して、或いは発見して。その需要を満たすモノコトを生み出したり既存の有り様を改善していく。これが課題解決型(ソリューション型)ではないかと思います。 無論これはこれで事業としてはアリです。日本の高度経済成長を支えたのも、大半はこの形でした。

しかしニーズがわかりやすく、知れ渡っているものであればあるほど、競争も激しくなり利益率も低下するでしょうし、そこを差別化するためのテクノロジーやクリエイティビティなどででしのぎをげずることになります。

更に移転可能なテクノロジーであれば、賃金の安いアジア地域へ付加価値は流れていってしまいます。 特に成熟した国内市場において、この事業が厳しいものになっていることは間違えありません。更にデジタル領域においては、グローバル競争にまきこまれ、フリーミアムなトレンドもあわせ従来型のやり方で利益を確保することは難しくなっています。

そこでチャレンジしたのが、需要創造型(デマンド・クリエーション型)の事業アプローチではないかと思う訳です。 「気づいていないニーズを発見する」を超えて、ニーズそのものをつくってしまうこと、世の中にトレンドを起こしてしまうことです。

ウォシュレットも一例だと思います。昔の記憶をたどればウォシュレットは世の中のニーズに応えた商品でなかったところからスタートしたハズです。世の中に、ライフスタイルを提案した訳です。今は当たり前になりつつあるウォシュレットの習慣も、技術的な課題というより、そういったニーズ自体を思いつくことができなかったがゆえ、ウォシュレットは存在しませんでした。 (新しい市場のつくりかた/三宅秀道 参照)

メディアが市場を創造するということもあります。田端信太郎さんの本やブログにヨガの事例が紹介されています。 1990年代、怪しげなイメージさえあったヨガについて2004年に『Yogini』という雑誌が枻出版から創刊されてヨガの「怪しい」「怖い」イメージは、アメリカ経由でのオシャレでヘルシーなイメージに一新されたとあります。『Yogini』のような女性向けのヨガ専門誌ができたことで、女性向けの健康法・美容法としての「ヨガ業界」が立ち上がったとも言えます。まさに需要を創造したと言えるのではないでしょうか。

 既に市場が存在する領域で、顧客のニーズ、ウォンツをとらえ問題解決をしていく志向では、競争にさらされなかなか大きな利益に結びつけることができません。一つ一つの請負業務を積み上げても単発のプロジェクトで終わりレバレッジをきかせた成長軌道になかなか載せられないのではないでしょうか。 自ら先頭にたって市場をつくりあげる、先頭に立つために勝てる領域に焦点を絞り込む、その範囲で影響力をもち様々な事業展開にも主導権を握る。単発のプロジェクトではなく、仕組みをつくる、事業をつくる。この志向こそが重要なのではないかと考える訳です。

 参照:メディア野郎のブートキャンプ
http://www.advertimes.com/20120227/article55494/

書籍:新しい市場のつくりかた 三宅秀道
 

2014年1月27日月曜日

【ゆでガエルにならない為に】

重大な環境変化にさらされても行動を変えることは難しいことの例えで「ゆでガエル」の話がよく使われます。かえるを熱湯に入れたら、熱くてすぐ飛び出すのに、水からゆっくりと温度をあげていくと、温度上昇に気づくのに遅れ茹だって死んでしまう、、という話。Wikiによれば「環境の変化に対応する事の重要性、困難性を指摘するために用いられる警句のひとつ」とありました。

ビジネスにおいて、「ゆでガエル現象」は頻繁に発生します。特に会社が歳をとってきたり社員の平均年齢が上がってくると環境変化への対応力が更に弱まっていきます。ゆっくりと進む変化によって自社のポジションがどんどん悪化し、価値が毀損されている状況があって、更にそれが致命的なレベルになることが確定的。よく考えればわかることなのに「なんとかなるだろう」と根拠なく思ってしまう。

人は変化することに対してストレスを感じるものだし、今までやってきたことを今まで通りにこなすことが一番楽。キャリアを重ねたりしていると、過去の成果に縛られて、今現在やっている仕事が未来への付加価値につながっているのか、という観点でモノゴトを捉えることが希薄化してしまいます。低い目標の達成でしかなくても成果が出ていれば、それでよし、疑問に思わなくなってしまう。

会社や事業が衰退に向かっていても、そのことに何となく気づいていたとしてもやはり変化は難しい。自分の責任じゃないし、、と考える。だから、むしろ駄目になる企業の末期ほど、会社に切迫感がないのではないかと思います。会社が破綻したとき、それをニュースで知った社員「まさかうちの会社が、、」ということもよくある話です。外から見ればそろそろ危ないということがささやかれていたとしても当人たちは大丈夫だろうと思ってしまう。いわゆる「正常化バイアス」というやつです。

では、ゆでガエルにならないように、危機を認識し、変化するためにはどうすればいいのでしょう。それを機能させる考え方の一つが「選択と集中」だと思うのです。

スティーブジョブズは選択と集中についてこう言っています。「集中というのは、集中すべきものに『イエス』と言うことではない。たくさんの優れたアイデアに『ノー』と言うことだ」と。

猫も杓子も「選択と集中」をすべきだと言います。でも、それで変われる会社は少ない。やることを決めることはできても、やめるべきこと、捨てるべきことを決められないからだと思います。徹底的にやらないといけません。ちょっとでも言い訳の余地を残すと人は「やるべきこと」より、得意な「やれること」を優先させてしまいます。

ナイキのCEOにジョブズがアドバイスしたと言われた次の言葉が徹底ぶりをあらわす象徴的な内容です。 「ナイキには世界最高の製品がいくつかある。だれもが絶対欲しいと思うような製品だ。その一方で、つまらない製品もたくさん作っている。つまらないモノは捨てて、優れた製品に集中するんだ。」

この徹底具合が重要なんです。

最近「ワン・シング 一点集中がもたらす驚きの効果」という書籍が出ています。「やるべき仕事は、常に「1つ」だけ。 大事な「1つのこと」を見つけ、そこに力を集中すれば、あとは、小さなドミノが次々と大きなドミノを倒していくように、目覚ましい成果がもたらされる。スティーヴ・ジョブズもビル・ゲイツも、すべての成功の秘訣はそこにあったのだ。」と説きます。

ゆでガエルにならない為に、変わることをDNAに組み込む、変わるために、賞味期限が過ぎた取り組みをすっぱり捨てていく。まずはその決断力、判断力こそが重要です。その上でリソースを情熱がもてて、強みがいかせる一点に集中させること。これを肝に銘じたいと思います。