2011年12月4日日曜日

【意思決定における儲かる度、わくわく度の話】

ビジネスにおいては、常に大小様々な意思決定をしていかなければなりません。経営とはヒト、モノ、カネといった限られたリソースをどこに投下してリターンを目指すのかを考えることと言えるかもしれません。

辞書によれば「意思決定」とは「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと」とありました。やりたいこと、やれそうなことは沢山あるかもしれません。しかし成果をあげるためには選択し集中することが定石です。網羅して拡散していてはリターンは得られないからです。

このように「意思決定」というのは経営の根幹ということもあり、先人が意思決定をサポートするフレームワークを山ほど考案してくれています。SWOT分析、PEST分析、3C分析 、アンゾフマトリックス、BCGマトリクス、バリューチェーン分析、、。一見小難しい感じもしますが、一度覚えてしまえば考える時間が大幅に短縮できる効果があるものです。

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そんな中、先日、新しいエンタメサービスの企画を議論している中で、新たな意思決定フレームワークが思い浮かびました。

それは「もうかる度軸」と「わくわく度軸」による2×2マトリックス分析です。

◆「もうかる度軸」=収益基準
事業として企画を考える限り、収益を無視する訳にはいきません。収益性をブレイクダウンすると、市場規模、市場成長性などの外部分析、自社リソースなどをふまえた実現可能性、既存ビジネスとの近接性、強みを生かす競争優位性がとれるかなどの内部分析などに分解されると思います。それらをふまえ、儲かる可能性があるかないか、これを冷静に判断する必要があります。情報流通量が増大し、ソーシャルメディアが普及する昨今、ユーザーから、その分野において「最高」、「No1」だと思われなければ共感は得られにくいです。また環境変化のスピードがあがっている昨今、「最速」で進めなければ他に負けてしまいます。なんとなくでは収益をあげることもできないことを肝に命じて判断すべきです。

◆「わくわく度軸」=価値基準
一方で事業である以上、その社会的意義にもとづく志、価値観があるはずです。特にそれがエンターテイメントに関わる仕事であれば、そこに「わくわく感」がなければ良いものができるはずもありません。その昔、世阿弥は能の心得として「おもしろきこと、めずらしきこと あたらしきこと」に挑戦しなければいけないと説いたそうです。自分がわくわくしないことで、ユーザーがわくわくしてくれる筈もありませんよね。仕事のモチベーションがあがらなければ品質も効率も悪くなります。

このマトリックスによって企画アイデアを4っの事象に区分することができます。

①「わくわくする」且つ「儲かる可能性がある」企画
②「わくわくしない」でも「儲かる可能性がある」企画
③「わくわくする」でも「儲かる可能性が低い」企画
④「わくわくしない」且つ「儲かる可能性が低い」企画

④は即、却下ですよね。儲からないし、わくわくしないことを実行する意味はありません。
逆に①は即、実行決定です。
判断に迷うのは②です。わくわくしない理由を分析し、わくわくできるモノにできる可能性の有無がポイントです。
③も判断が必要です。収益性が低くても社会的に付加価値がある、あるいは他サービスを含め総合的に考えた収益があがるのであれば実行すべきという判断もできます。いかに収益性を高められるのかということも考え抜くべきですよね。

意思決定とは選択すること。捨てることです。全部盛りでは成功しません。何かの本にこんな例がありました。塩ラーメンしかメニューにない店と、いろんなラーメンや蕎麦やカレーライスもやっている店でどちらが成功しそうか。足し算ではなく引き算を極めること、それが成果を得るポイントだと考えます。



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2011年12月2日金曜日

【モノとコトのコンバージェンス】

前回は音楽ビジネスにからめて「モノからコトへ」というテーマで考えてみました。モノを所有することより、体験、共感、知識、絆、、というコトに価値観がシフトしている世の中を見据えると、”コト”にフォーカスすることによって、新たなビジネスの可能性が広がるんじゃないかという仮説です。

しかし、これはモノを売るのをやめて、コトだけで儲ければいい、という話ではありません。価値観の重心は「モノからコトへ」移っているとしても、それは製造業をやめててサービス産業にシフトしようっていう単純なことではないはずです。

ここで重要な視点は「モノからコトへ」の流れの中で、いかに「モノ」と「コト」を融合させたビジネスモデルをつくれるかということではないかと思う訳です。

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例えばモノを売っている製造業にしても、モノを機能として売っているというより、コトを提案した売り方に移行しているように思います。

HondaのHPを覗いてみると「大人の自由がそこにある」CR−V、「毎日をスペシャルに」Life、というコピーに出会います。昔「こどもといっしょにどこいこう」Stepwgnっていうのもありました。要するにHondaはコトとして提案をしながら自動車というモノを売っているとも言えます。
最近のエコカーもユーザーはその性能というよりエコという社会的な付加価値のほうに意義を見いだして買っている訳ですものね。

サクラクレパスという会社は初めから「モノ」を売るのではなく、絵を描くという「コト」を普及させることにより、売り上げを伸ばしてきたといいます。学校を巻き込んで絵のコンクールをしたり、幼稚園に子供に絵の描き方を教える講師を派遣したり。結果クレヨンというモノも売れるようにする。

日本酒メーカーの菊水は「モノとコトの融合で日本酒を面白くする」といっています。「お酒そのものにこだわるのも大事ですが、もっとこだわるべきは、お酒がつくりだしてくれる愉しさ」。良い酒とは単に酒質の善し悪しじゃない、ここに面白さや楽しさといったものが付加されてはじめて「良い酒」の資格があるんだと言っています。

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一方、「コト」を売っているサービス業にしても、最終的なマネタイズポイントはモノを売ることによって成立していることも多いと思います。

スターバックスはコーヒーというモノを売っているのではなく自宅とも職場でもない「第三の場所」を提供するんだ、という理念を掲げています。でも代金はコーヒー代(モノ)として回収しています。

Appleの本質的な提供価値はアプリとWEBサービスを含む全体のエキスペリエンスだと思いますがメインのマネタイズポイントはiPhoneなどのデバイスですよね。

前回もふれたAKBも握手という体験(コト)を提供しますが、代金はCD代(モノ)で回収したりします。ライブ興行も、最終的に利益を稼ぐのは物販だったり、飲食だったりのモノである場合があります。

来春開業の渋谷ヒカリエの新店コンセプトの中には「モノ・コト・キモチが融合した」出会い、発見の場を目指すというキーワードがありました。単に商品が整理され区分されたデパートじゃないんです、、ということです。

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単純にモノが機能や性能で売れる時代は終わりました。

でもモノの提供によって価値あるユーザーエキスペリエンス(コト)を提供し、その対価をモノを売ることによって回収するモデルは有効だと思います。

逆に価値あるコトを起こして、そのコトをモノに転換して売って回収するというモデルもあると思います。

そんなことを考えるとキモチを込めた”モノとコトの融合”、そこにもビジネスのヒントがあるのではないか?、そう思う訳なのです。


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2011年11月28日月曜日

【モノからコトへ】

「これからの音楽ビジネスを考えたとき、やっぱり、もう音楽そのもので儲けるってのには限界があるんじゃないかなぁ」。 これは音楽業界の見識ある方から最近、お聞きした言葉です。確かにCD市場が縮小し、配信市場も頭打ち、少子高齢化が進む日本の中で、音楽ソフト市場がもう一度、成長軌道に回復するというシナリオはなかなか描きにくい状況です。
そんな中で次はアイドルだ、アニソンだ、K-POPだ、、というジャンルの問題だけを語っていても仕方ないし、これからはライブだ物販だと、次の「音楽の売りモノ」は何か、という議論だけをしていても駄目なのかもしれません。

一方で”音楽コンテンツビジネス”以外に目を向けると、音楽をコアにしながら成功しているビジネスや企画はたくさんありますよね。
・Appleの快進撃のきっかけは音楽をコアにしたデバイスとWEBサービスでした。
・かつてmyspaceは音楽を軸にして巨大なSNSに成長しました。
・GoogleもついにGoogle Musicという音楽サービスを立ち上げ話題になっています。
・そういえばヒット映画「モテキ」も音楽なしでは成立しない映画でした。

音楽コンテンツ業界は厳しさを増していますが、音楽をコアにしたビジネスは依然大きなポテンシャルをもっているように思います。

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こう考えていくと、
「音楽をモノとして売る商売形態は縮小しているけど、音楽でコトを起こす商売形態には成長余地がある」ってことなんじゃないか、と。

音楽ビジネスをCDやアーティストグッズなど音楽に関連する「モノ」を売るコンテンツビジネスとして捉えると、その市場は限定されてしまうように思います。ライブイベントも単にアーティストの生演奏を聴かせてその対価としてチケット代収入を得る場として捉えると単発的な「モノ」的な感じがします。

一方でAKBのようにCDを一つのツールとしながら投票権、応援料、体験料への対価として、モノからコトへ枠組みをかえたモデルは盛況です。これはもはや”音楽コンテンツビジネス”ではないのかもしれません。
ap bankは「環境プロジェクトなどへの融資をはじめ持続可能な社会を創るためのさまざまな活動を行う組織」であり、「ap bank fes」はその為の手段と位置づけています。ロジックとしては音楽フェスをやるから社会貢献をするということではないんですね。

同じCD販売でも楽曲データというモノを買うのか、握手券というコトを買うのか、によって意味合いが違います。
同じライブでも「音楽演奏会」に参加するのか、「社会貢献活動支援」というコトに参加するのかで意味合いが違います。
音楽ニュースといっても、楽曲リリース情報と、例えば被災地支援のライブでのアーティストの思いを伝えることは全く意味合いが違いますよね。

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震災の影響も加わり、物質的な価値観から精神的な価値観に社会がシフトしています。マーケティング3.0、スペンドシフト、ソーシャルシフト、、が進む中で、単に「モノが欲しい」という欲求は相対的に減っていくように思います。それよりも「自分にとって意味がある」、「自分が価値があると思う」コトに対してお金を払う世の中になっていく。だからこそ音楽を使って新しい価値を生み出す、価値あるコトにフォーカスする必要がるのではないかと。つまり、、

「モノとして音楽を売る」のではなく「音楽でコトを起こす」

「モノからコトへ」の発想を転換することによって広がる可能性があるのではないか。今、人々が潜在的に強く求めていること、知りたいことは単なるクオリティの高い楽曲や最新音楽情報なのではなく、音楽によって巻き起こるコトのほうなんではないのか、、。
そんなことを思った次第なのです。

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2011年11月10日木曜日

【「ネクスト・ソサエティ」】

「ネクスト・ソサエティ」といドラッカーさんの本があります。2001年の9.11の前に書かれ、まだFacebook、YouTubeもかげも形もなかった時代に発行された本です。

10年前に読んだことが、だんだんと現実となって表れてきているように感じます。やっぱりドラッカーの洞察力、予言力はすごいです。


今でこそ「ソーシャル」って言葉がクローズアップされ、ビジネスの世界でもソーシャルイノベーション、社会貢献が重要視されてきていますが、ドラッカーさんは そんなことは、とうの昔にお見通しでした。 "ITとインターネットによって社会が変わる"。 みんなITだ、インンターネットだ、なんだって騒いでるけど、本当に重要なのは社会(ソサエティ)なんだよと、、、。 ソーシャルの重要性を既に見通していたんですね。


ドラッカーは本を出版した1991年当時、進行しつつあった「IT革命」はやがて「産業革命」のごとく技術を超えて世界を変えていくだろう予言しました。
本を参考に「産業革命」の進行と「IT革命」の進行を対比してみます。

◆1760年 蒸気機関発明から始まった産業革命
イギリス産業革命は1760年から1830年まで70年間続きました。
・ まず蒸気機関が発明され、生産プロセスの大変化が起こります。
・ 50年後の1810年頃には蒸気を使った鉄道が発明されます。
  技術革新がインフラ革新を呼んだわけです。
・ そして鉄道網の整備が次に郵便制度、電報、新聞などを生み出します。
  これによる情報流通インフラ発展による産業の発展は銀行や公務員制度に
  つながっていきます。
・ 人々の生活が変わっていきます。工場勤労者層を増えて、農業や家内制
  手工業は崩壊します。

、、、蒸気機関発明から100年かけて社会が変わっていった訳です。

◆1940年 コンピューター発明から始まったIT革命 
・ 蒸気機関の発明にあたるのが1940年のコンピューターの発明です。
・ 鉄道の始まりが1990年のインターネット。丁度50年後です。
・ 鉄道網の整備がブロードバンドを前提にしたeコマースです。
  それが2000年ぐらいの話でした。
・ そして2011年、インターネットをベースとしたコミュニティインフラが普及。
  エジプトではFacebookインフラを使った革命が起こるまでに至ります。

、、、、コンピューターの発明から70年で社会が大きく変わりはじめたということだと思います。

鉄道の整備が始まった段階にも鉄道バブルがあったそうですが、インターネットの整備が始まった段階でもITバブルがありました。ITバブルは大昔に弾けましたが本当の大変動はこれからということです。

1991年のドラッカーは言います。

「蒸気機関や鉄道は、それまでの家内制手工業でやっていたことや、馬車でやっていたプロセスを、置き換えたに過ぎない。同じようにコンピューターや今のeコマースは、会計計算や在庫管理、商品受発注プロセスをPC上に置き換えたに過ぎない。まだ何の本質も変化していない。
印刷技術発達によるキリスト教思想の浸透、それによる社会、制度、理念、思想の大変化みたいな本質的変化はほとんど起こっていない。」

「かなりの確率をもって予測できることがある。それは今後20年間に、相当数の新産業が生まれるであろうことである。」

そして、これまた「確実に」 これから”社会、制度、理念、思想が大きく変化していく”と予言しています。 既存の枠組みを置き換えているだけでは今後のブレークスルーはないってことですね。

昨今の「ソーシャルシフト」っていうのが、その大きな変化の始まりの一つのキーワードのような気がします。今後10年で何が起こってくるのかわかりませんが、きっと産業レベル、社会レベルでの変化が起こってくるんだろうなと思います。


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2011年11月3日木曜日

【美魔女ブームと女子大生ブームの関連性】

前回9月投稿から2ヶ月たってしまいました。この2ヶ月でジョブズが亡くなってしまい、タイでは大洪水に見舞われ、ギリシャは財政破綻、日本では野田内閣が発足しつつ、株式市場は9000円を割り込んだまま、為替は70円台、日本のテレビメーカーも軒並み業績悪化です。

そんな決して明るい世の中でない中で、最近、案の定出てきた「美魔女ブーム」です。一昨日11月1日には国民的美魔女コンテストが開催され45歳の女性がグランプリ、芸能界デビューらしいです。ファッション雑誌に仕掛けられたとは言え、マスコミなどで盛り上がるということは、ここらへんにきっと消費のニーズがあるということですよね。

だいたいこの「美魔女」年齢層っていうのがくせものです。例えば今回の美魔女グランプリの方は45歳、1966年生まれです。この年代の方々は20歳前後のとき、80年代初頭の「女子大生ブーム」をつくりだし、企業の大量採用期に入社し、就職後はバブル期のOLとして90年代前半まで活躍し「ジュリアナブーム」等を先導しました。30代も後半に差し掛かった2004年頃には一部「負け犬ブーム」もありましたが、40代を迎える2006年〜2008年には「アラフォー」に突入します。(一部の親は「モンスターペアレント」と化したようですが)。それから3年、今度は40代を積極的に楽しむ「美魔女」ときました。

要するにみんな同じ方々(属にいうバブル世代)なのですね。やっぱり指向性の本質は年齢ではなく年代によって形作られるところが大きいようです。

このブームをつくりだしている1965年〜1969年生まれぐらいの層は、実は日本の人口構成上のボリュームゾーン(団塊ジュニア1971年〜1974年生まれ)ではなく、その上の年齢層です。なぜかここが消費を牽引し、ブームを作りだし、いい思い?をしているんですね。
一方、その下の団塊ジュニア層は属に「貧乏くじ世代」「不運の世代」と呼ばれているようです。人口が多いがゆえの受験戦争、なのに成人する頃にはバブルが崩壊し就職氷河期に突入、就職しても賃金削減、可処分所得減少に見舞われました。

下の人口構成グラフでもわかるとおり、現在の日本の最大ボリュームゾーンは団塊の世代(1947年〜1949年生まれ)62〜64歳の方々です。この層も日本の消費や文化を牽引してきた世代です。ここが一斉に定年リタイアの時期を迎え、シニアマーケットが新たな局面を迎えると想定されています。

そしてその次の牽引役がバブル世代。きっとこれからも、50代になっても60代になって○○ブームを作りだすことは間違えありません。

マーケティングを考えるときの一つの考え方として、このトレンドをつくる層にターゲットを絞ってプランニングするというのも有効だと思います。年齢別による指向性より年代による指向性のが分析しやすそうですしね。

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2011年9月4日日曜日

【音楽と社会のリンケージ】

スティーブ・ジョブズを”ロックスター”に、アップルを”ロックバンド”に例えたブログを読みました。「スティーブはもうライブをやらない

確かにジョブズはビートルズやローリングストーンズが出てきた1960年代以降の最高のロックスターの一人だと僕も思います。彼は「世界を変える」と宣言して、音楽を軸にしながら最高の作品群をつくりだし、人々を熱狂させ、実際に世界を変えた訳ですからね。


昨今、音楽周辺ビジネスの可能性をいろいろ議論したり考えたりする中で、いろんな努力や取り組みの問題ではなく構造的に、もとのパッケージや配信を中心とした「音楽産業」というもの自体は、もう元には戻らないんだろうなと感じてます。もちろん音楽の素晴らしさはなくならないし、音楽の力はこれからも可能性は広がっていることは疑わないのですが、だから音楽産業も成立するというのとは話が違うということです。ジョブズのように、次の「ロックスター」は音楽産業から生まれるとも限りませんし。

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そもそも今の音楽産業の発展のきっかけは1920年代頃からの音源複製技術やラジオなどメディアの発展から。テクノロジーの進化は、ビートルズなど大きな才能とリンクして、次々と刺激的な作品や文化を生み出しました。1960年代に若者による「カウンター・カルチャー」なるものが、大きな社会的影響を及ぼすように。日本でもそんな社会運動が起こる中で、若者文化の反抗や主張が音楽と結びつき、音楽は若者の精神に多大な影響を及ぼす存在となっていったのではないかと思います。

1970年代以降は日本の高度経済成長の中で、豊かになる生活の先行指標としてテレビや音楽が位置づけられていたのではないかと思います。歌謡曲、ロック、ニューミュージック、アイドル、化粧品のイメージソング、、曲は社会を反映し、社会に影響を及ぼしました。ステレオ、ラジカセ、カーステ、ウォークマン、次々と革新的な音楽再生装置が出て、若者文化の舞台装置として機能します。ギターを弾けるとモテる、バンドをやってるとめっちゃかっこいい、洋楽に詳しいとクラスで一目置かれる。音楽と社会と文化は密接にリンクしていた訳です。

1980年代以降も、音楽はコマーシャリズム化しながらも、依然、大きな影響力を持ち続けます。アメリカではMTVが放送開始。マイケルジャクソンの「スリラー」発売とあいまってミュージックビデオ時代に突入。日本でもザ・ベストテンなど歌番組やドラマから次々と新しいスターが生まれました。学校の話題の多くの部分が音楽でした。放課後はギターを弾いているやつはいるし、レコードの貸し借りをしたり、ピンクレディのフリ真似を練習する女子がいました。企業はメセナと称して音楽に対してお金を出しました。ここでも音楽と社会と文化は密接にリンクしていたと思う訳です。

そして1990年代、CDの普及とともに一足遅れたバブルが音楽業界にやってきます。ドラマやCMなどのタイアップ曲を中心にミリオンヒットが連発。ビーイングブームや小室ブームも巻き起こりました。
しかし、このへんから、音楽と社会や文化のリンクが少し外れてきたのではないかと思います。若者の中で、音楽は消費される「商品」のように位置づけられるようになってきたのではないか。もちろん全ての音楽が、という訳ではありません。それでも若者文化の中で、音楽の占める割合、濃度は確実に下がり始めたのではないかと思う訳です。


そして2000年代に入って音楽パッケージは右肩下がりトレンドに入ります。パッケージや配信は落ちても、ライブが発展する、物販やコミュニティ運営で補完する、、というのは一つの方法論として有りだと思います。でも、それは方法論であって本質ではないように思う訳です。



1960年代からある時代まではそうであったように、今後、音楽や音楽を中心とするアーティストが大きな影響力を持ち得るとすれば、それは、社会や文化へのリンケージによってではないか。ビートルズは最初はともあれ、少なくともジョンは音楽で世界を変えようとしました。マイケルも同様です。

そういった意味で、日本においては震災に端を発する問題を始めとした様々な社会問題やグローバル化、ソーシャル化の流れの中でのアイデンティティや文化に関わること等が音楽の力とのリンクがとれ始めたときに音楽も新しい可能性が広がっていくのではないか。もはや、いい曲、いいライブをすることだけがアーティスト、スターの要件ではなくなっていくのではないか。そんなふうに思う訳です。

参考)
◆スティーブはもうライブをやらない
http://blogs.itmedia.co.jp/closebox/2011/08/post-9a24.html
◆ソキウス「音楽文化論」
http://www.socius.jp/lec/18.html
◆さよならポニーテールは「アーティスト」や「ミュージシャン」ではなく、、、。
http://natalie.mu/comic/news/55497
◆坂本龍一の「こどもの音楽再生基金」
http://www.schoolmusicrevival.org/

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2011年8月28日日曜日

【スペンド・シフトの話】

『スペンドシフト~〈希望〉をもたらす消費』という本があります。そこで紹介されているのはアメリカにおける消費や生活トレンドの劇的な変化とそこから見えてくるマーケティング分析の話です。


アメリカでは経済危機を境に、借金をしてまで消費するような購買層は影を潜め、「消費をとおして自分の理念に合った信頼できる企業を応援し、地域社会を大切にしながら生きよう」という意識変化が起きているということです。宣伝に踊らされて、利己的にお金を使うのではなく、希少な「購買力」を「投票権」のように行使して、社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援する。有名企業でなくても信頼できる企業から買う。

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この「スペンド・シフト」のトレンドは、きっと日本においても震災を契機にして、これから加速してくると思ったりします。今の日本の危機的な状況の中で、企業がどのように考え、どんな動きをしているのかも、消費者はちゃんと見ていると思うんです。

そして昨今、いくつかの事例を見聞きする中で、この「スペンド・シフト」、実は日本の若い世代にとっては、既に当たり前に感じている人も多いのではないかと再認識しました。今の20代ぐらいからみると、マスに踊らされて大量消費を行い続けてきた、上の世代のほうが理解不能なのかもしれません。

先般、有料放送市場の市場調査に関わっている方とお話する機会がありました。現在、有料多チャンネル放送は1000万世帯を超えるまでに成長しましたが、昨今は市場の伸びが鈍化し、先行き不透明感も増しています。一つの問題は新しい若い層を獲得できていないことです。そもそもテレビ離れした若者が、これから、何かのきっかけでテレビに戻ってくるのだろうか。

そんな中、若者を集めたグループインタビューを行い、その様子を見学して驚いたという話がありました。いわく「今の20代の若者達は世間からニートだ、ゆとりだ、オタクだ、草食系だのなんだの言われているが、いやいや、ちゃんと自分の意見をもってますよ」、「親の世代からしてバブル後の社会人生活で、本人達は生まれてこのかた不況しか経験していない、そんな彼らは消費に対しても自分の考えを持ってシビアに行っていることを再認識しましたよ」ということでした。

そもそも多チャンネル放送の魅力は、その多様性にあります。40チャンネル、いろいろ見れて4千円!お得でしょ、っていうセット売りのビジネスモデルです。しかし、今の若者にとっては、”テレビで何十チャンネルも見る事ができる”事自体に、何の驚きもありません。そりゃそうです。HDDレコーダーもあるし、YouTubeもニコ動もあります。
更に、彼らにとっては”見ないチャンネルの分まで、なぜお金を払わなければいけないか意味がわからない”ということです。見たいチャンネル一つが1,000円で、それが4っで4,000円ならまだ分かるけど。

自分が付加価値があると判断するものに対してはお金を払う、それ以外は払わない。金額の多寡の問題ではないんです。

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そして、これから、自分にとってだけの価値だけでなく、自分の消費が社会に対して、どのように貢献するのか、それが重要なポイントになってくると思います。テレビのイメージ訴求や機能訴求の広告宣伝テクニックだけでは消費者は選択してくれない、伝わらない世の中に入ったと思う訳です。

震災の緊急事態の中で、普段からの企業の志が本物かどうかも試されました。一つ感動的な事例としては、糸井さんの”ほぼ日”で連載されている「クロネコヤマトのDNA」の話があります。こういう話を聞くと、宅配便を頼むならクロネコヤマトだな、って思いが沸いてきます。こういう「スペンド・シフト」な流れが、モノやサービス、音楽などのエンターテイメントにも波及していくのではないかと思います。


(参考)
◆ほぼ日刊イトイ新聞「クロネコヤマトのDNA」http://www.1101.com/yamato/
被災地のなかを進む、一台のトラック。
荷台には「クール宅急便」の文字が見て取れます。
「すごいな‥‥すごい写真ですね‥‥
このドライバーは一生この景色を忘れないだろうね」
http://www.1101.com/yamato/2011-08-17.html


◆若者の気持ちを代弁!スペンド・シフト
http://kuwako-lab.com/wordpress/?p=4052
◆スペンドシフトは日本のレジャーでも起きている
http://ameblo.jp/jonetu/entry-10979122004.html

2011年8月13日土曜日

【ソーシャル化の中の3Sとか3Cの話】

CNETJapanの記事で本田さんという方が、これからの日本の消費のトレンドとして「3S」を提言しています。その「3S」とは、ソーシャル(Social)、サスティナブル(Sustainable)、シェアラブル(Sharable)のこと。

その昔、高度成長時代のキーワードは「3C」。それはカラーテレビ、クーラー、自家用車(Car)のことでした。特にテレビは戦後復興を経た国民に対して、明日は、来月は、来年は、今日よりも豊かになる、その姿を映し出す装置として有効に機能し、広告を通じて大量生産、大量消費社会を先導しました。

しかし、モノの所有が豊かさだった時代が終焉しつつあるなか上述「3S」で取り上げられているキーワードは「モノ=商品」のではなく「コト=行動」へのシフトのことです。

アメリカでは「スペンド・シフト」という本が話題になりました。大量消費社会の権化のようなアメリカさえ消費行動の価値観の変化が進んでいるという話です。従来、消費とは自分が所有するモノを買うため、自分が受けるサービスのためのものでした。しかし、今現れてきている消費トレンドは、”社会に希望をもたらし、人の絆を強めるようなモノやサービスを支援するための消費、希少な「購買力」を「投票権」のように行使する消費”です。

これから日本でも震災を経て生活者の消費トレンドがきっと大きく変わっていくと思います。「3S」つまり、消費自体が社会貢献につながり、持続可能社会を実現させ、みんなとの共有につながる、そんな行動に価値を見出す消費社会への転換です。

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そんな「3S」(SocialでSustainableでSharable)な社会への移行の中で、変化のキーワードにいろんな「3C」を使った考え方みつけたので紹介します。

◆まず夏号の「Think! ソーシャルメディアインパクト」で取り上げれられていた3CはCommunication(通信業界), Commerce(広告業界), Contents(コンテンツ業界)。ソーシャル化によって、この3業界に大きな変化がもたらされるだとうという話です。ここらへんはまた別途の機会に考えたいと思っています。

◆次にソーシャル化の中で、変化する情報流通形態の中で、人々もその役割、立場によって3Cに分類されるという話です。それはCreator, Curator, Consumer。経済活動がソーシャル化される中で、元情報を発信する人、有用な情報をあるテーマをもって収集し再発信する人、それを受け取る情報消費者が生まれます。これはある人がCreatorになることもあれば、Consumerになることもあるということ。でも間にCurator,が入ることが、これからの社会の変化を現していると思います。

◆こんな3Cもありました。それはCommunication(対話)、collaboration(協力)、contribution( 貢献)です。ソーシャル化の中で人とのコミュニケーションが容易になり、関心がある事項に対して人と人との協力が容易になり、社会に対して自分ができる範囲での貢献ができるようになる社会の到来です。

◆ちょっと毛色が違いますが将来を決める結婚相手の条件の3Cの話もあります。それはcomfortable、communicative、cooperative、快適で、理解しあえて、協調的であること。つまり贅沢をしなくても子育てができる程度に充分な給料があって、価値観やライフスタイルが一緒で、家事をすすんでやってくれる人と結婚することが幸せなんじゃない、という考え方です。ここでも一昔前の「三高」(高学歴・高収入・高身長)みたいな「モノ」的なことから「コト」へのの価値感の変化が加速していると思います。

こんな3Cな変化の中で有名なマーケティングの3C、Customer、Competitor、Companyを分析する切り口も変化してくるに違いないですよね。もちろん昔ながらの3S(整理、整頓、掃除)もビジネスの基本として忘れてはいけません。

生活者の消費行動が変われば当然のこと産業の構造も社会も変わっていくはずです。2011年は、そんな人々の生活や社会や国家の変化の始まりの年のように思います。そんな年に震災が起こったにも偶然と思えない気がする訳なのです。

(参考)
3S (Social, Sustainable,Sharable)
3C
Curation Economy (creator, curator, consumer)
書籍


2011年8月9日火曜日

【アーム社の話】

今週号の日経ビジネス(2011.8.8号)で、”アームホールディングス(ARM Holdings)”というイギリスの会社が紹介されてました。知る人ぞ知る有名な会社なのかも知れません。なんたって記事によればインテルに匹敵し、超えるかもしれない会社ということです。PCの世界で圧倒的だったインテルに対して、アーム社は使いやすく消費電力の少ない特徴をもつMPUによってApple社やNokiaなど携帯電話会社、日本の家電メーカー等にこぞって採用され一気にその存在感を増しているようです。その結果、2010年のインテル社のMPUの出荷台数は3.2億個に対してアーム社のMPUは61億個

しかし両者のビジネスモデルは根本的に異なっています。売上高からしてインテル社の売上が3.4兆円に対してアーム社の売上はたったの?520億円。記事によればアーム社はMPUの設計をして、そのライセンスとロイヤリティのみの収入で成立している知的所有権の会社なんですね。当然、自社工場を持たず生産委託会社さえもありません。ファブレス企業でさえないということです。

アーム社の売上は520億円ですが、アーム社設計のMPU 61億個による経済規模は相当レベルであろうと想定します。要するにアーム社は単独で成立しているのではなくアーム社設計のMPUを活用したチップを生産する多くの企業、そのチップを使うデバイスメーカー、Appleやマイクロソフトなど巨大なIT企業を巻き込んで、壮大なエコシステムを生み出すコア企業の一つになっているということだと思います。

一時期のWindowsとIntelは自社のコアテクノロジーとネットワーク外部性によって市場を独占、寡占しながら、PC産業で中心的役割を果たしてきました。他社の参入を阻みながら大きな利益を獲得してきた訳です。しかし、アーム社が違うのはテクノロジーを囲い込むのではなく、ライセンスによってオープンにしながら、多業種が連携、協同する仕組みの中で経済圏を拡大、産業全体で付加価値をつくっていく方法論をとっているということだと思います。

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これまで「ビジネスモデル」が語られるときは、企業毎に戦略を研究検討されることがほとんどでした。「トヨタの研究」、「ソニーの研究」、「アップルの研究」、、という具合です。ビジネスモデルが垂直統合型か水平分業型かという議論もありました。テレビでいえば液晶パネルの開発製造からに組み立て工程まで全部やるべきか、外部からパネルを調達したほうがいいのかとか。

しかしこれからは、こういった企業毎のビジネスモデルや戦略オプションを越え、産業さえも横断した考え方をする必要があるのではと思います。世界の環境問題、貧困格差問題、エネルギー問題、食料問題など社会問題が山積する中で、企業が一社の最適化だけ考えている場合じゃなくなっている。そういう認識の仕方が広がっていると思います。
例えばエネルギー問題を考えるとき、もはや電力会社の問題だけではなくなっていますよね。太陽光パネルから蓄電池、電気自動車、情報制御技術、公共交通機関やカーシェアリングなの社会インフラ、ルールに至るまで総合的なビジョンと産業連携が必要です。

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前回、音楽ビジネスのエコシステムについてを話題にしました。これまで音楽産業も、パッケージビジネスを中心にしながらあまり開放的ではない形で市場を形成していました。レコード会社は自社で新人を発掘、開発し、音源を制作し、工場でCDを生産し、プロモーションし、自社の販売網で流通させる意味で個々企業として垂直統合型のモデルで事業を行ってきたわけです。テレビ局もそうでした。電波帯域を基盤にしながら、番組制作から放送送出、配信インフラ、営業までの総合力で利益を作り出していました。良い悪いではなく、そういうオプションでやってきた訳です。

しかしデシタルネットワーク化の進展やそれに伴い加速するグローバル化やソーシャル化の大きな変化の中で、ビジネスのバリューチェーンを構成していた一つ一つの要素の競争原理が変化しています。コンテンツ制作コストはデジタル化によって格段に低コスト化、コンテンツ流通コストもインターネットとグローバル配信プラットフォームによって劇的に安価になってきています。プロモーションコストはマスに拡散させるには、依然として多額なコストが必要かもしれませんが、特定のターゲットやコミュニティに届けるだけなら、ソーシャルメディアの活用だけでも十分に伝達可能です。そうすると当然、企業がどこで付加価値を訴求し、どこで収益を確保するかが変わってきます。

こういった環境変化の中で、エンタテインメント産業においても、これまで別々の産業と捉えられてきたコンテンツビジネス、メディアビジネス、WEBメディア、興行ビジネス、ゲームビジネス、ソーシャルビジネスなどが、産業を超えた形でエコシステムを形成していくのではないかと想像したりします。企業が一社の最適化だけ考える時代ではなくなってきていると感じるわけです。

-*-*-*-*-
自然界のエコシステムにおいては光合成をする植物、草食動物、肉食動物、死体や排泄物を分解する微生物に至るまでトータルで環境のバランスを維持しています。

きっと産業界も、個々の会社で成立するようなモデルから、共生型のモデルに変化してくのではないかと思います。得意分野をもつ多業種が連携、協同することによって、より大きな付加価値をつくっていく時代になるのかもしれないな、ということです。

これから企業や個人が、生き残っていくために、アーム社のように規模の大きさが絶対条件ではない構造になるように思います。小さな企業や個人が「知識」や「知的財産」をコアにして大きな経済圏を形成することが可能な時代です。

その中で、重要なのは、社会に対して、どういう問題を解決していくのか、どういう付加価値を創出していくのかといった、自ら果たすべきミッションを明確に掲げ、唯一無二の役割を果たすこと、そしてビジョンを同じくする他企業や個人とオープンにWin-Winの関係を築きながら連携、協働していくことが重要になるのではと思うわけです。


ARMの企業ページ
ファブレスの意味
スマートグリッドとは
垂直統合のiOSと、水平分業のAndroid──エコシステムの「隙間」の違いを考える

2011年8月6日土曜日

【音楽・エコシステムの話】

最近、音楽とソーシャルとキーワードにした意見交換をしたり、ブログを読ませていただく中、これからの新しい音楽ビジネスの可能性について考える機会が多くなっております。それは環境変化の中で音楽産業の新しいエコシステム(生態系)をどうつくっていけるのか?という問いでもあります。

”エコシステム(生態系)”で辞書検索すると「本来は生物学における生態系を意味する単語だが、近年ではビジネスにおける特定の業界全体の収益構造を意味する」みたいな定義がでてきます。「企業一社による収益構造のことをビジネスモデルというが、エコシステムではモデルを業界内の複数の企業と共に実現する」とも記載されていました。

これからの音楽産業のエコシステムを考えるとき、もはやCDパッケージビジネスのことだけ考えてもしょうがありませんものね。これまで音楽ビジネスは、パッケージビジネスを中心に動いてきました。主なマネタイズポイントがCDを購買いただくことだった訳ですからね。ビデオクリップがレコード会社の宣伝費で制作されるプロモーションビデオとも呼ばれる所以です。
最近の音楽業界の収益は配信、興行、物販など含めてどんどん多様化が進んでいます。でも今のところ音源や画源などを固定化させて大量複製して販売するモデルが中心であることは変わりありません。そんな音楽パッケージビジネス+配信ビジネスの市場縮小が進む中、このまま進むと数年内にパッケージビジネスはライブビジネスに、その規模を抜かれるのではないかとも言われています。
「所有から利用へ」という流れも音楽ビジネスに押し寄せています。AppleやGoogle、SonyやSpotifyなどのクラウド型の音楽サービスもいよいよ活気づいてきました。今後、音楽の楽しみ方が自分の端末だけにStand Aloneに貯めて、というより随時「利用する」という方向に進むと、常に新しい楽曲を制作し、プロモーションして、より多く販売し、回収するという従来型の音楽ビジネスモデルの変容も加速していくような気がします。

考えてみれば、そもそも音楽パッケージビジネスってのは、そんな大昔からあった産業ではない訳です。音楽ビジネスが音源の固定化と、それを再現する再生装置によって大きな発展を遂げたのは、ここ数十年の話です。WikiによればLPレコード、EPレコードの本格普及が1950年代、CD発売が1980年代、iTunesほか配信ビジネス普及は2000年代のこと。この先数年で音楽ビジネスモデルが根本的に変化するかもしれないと想定するほうが妥当なのかもしれません。

そんな中で、新しい音楽ビジネスの可能性ってのはなんなのか。実際問題として次の決定的なビジネスモデルは見つかるのか。産業として食っていけるような音楽ビジネスの新しい枠組みが本当に成立するのだろうか?ということになってきます。

クラウド上での音楽アクセスが可能になりソーシャルWEB上での様々な情報流通が活発化し、音楽と人との新たな出会いが広がり、音楽を通じて人と人がつながる。ライブとソーシャルが連動した新しい音楽体験が生まれる、、そんなわくわくした世界の可能性はきっと広がっているように感じます。
しかし、多くの無料コンテンツが流通するWEB上で、どこかのポイントに情報の関所を設けて課金ビジネスで儲けることは容易ではなくなるように思います。生活者主導のソーシャルメディアに情報流通の重心が移行すると、企業主導での情報コントロールでできなくなります。広告収入もグローバルオープンプラットフォームの会社に主導権を握られそうです。ライブ興行も、うまく効率化していかないと、ほんの一部のビッグアーティスト周辺しか食っていけないことになりかねません。今のシステムで産業の維持ができるのか。

佐々木俊尚さんがある対談講演で、これからのメディア企業はどのように生き残っていけばいいのか?みたいな問いに対して、次のような発言をしていました。「これからのメディアは儲かりませんよ。けど一人くらいなら食っていけますよ。それでいいじゃないですか。」 そもそもメディア産業も音楽産業も大資本で動かす構造を維持しながら、生き残りのためにどうすればいいのか、という発想自体が違っているのかもしれません。

今後、音楽産業やメディア産業がどうやって生き残っていくのかを考えたときに、誰かが大もうけして、ほとんどの人は食っていけない、誰かが権利を囲い込んで、コンテンツや流通が滞ってしまう、ユーザーは不便を感じ続ける、そういう状態では難しいようにも思います。

これから音楽自体の価値がどんどん下がっていくとは考えません。しかし既存の産業構造が維持できるということでもないと考えます。新しい環境の中で、アーティストが音楽をクリエイトできる仕組み、人々が音楽を楽しみ、音楽を通じて、つながりや付加価値を生み出すシステムをこれからつくっていく必要があると思います。

ある本には「森林という生態系では、植物、昆虫、動物など、あらゆる生物と水、空気、土壌などの非生物が相互に作用し合って、生命の循環をつくりだすシステムが保たれています。アフリカのサバンナという生態系では、ライオンなど強い肉食動物とシマウマのような草食動物が、強い動物に食べられて滅んでしまうことはありません。要するに「競争」と「共生」のバランスが絶妙に保たれているということ、、」とありました。 

音楽産業もこれから、そんな新しいエコシステムをつくっていくフェーズに入らないといけないと思います。それは誰か特定の企業や個人だけでなしえるものではなく、きっと業界を超えた知恵による協同、連携によってのみ実現されることだろうと思ったりしてます。

・佐々木俊尚さんのメディア意見
・シェアのビジネスは、人びとのモノに対する態度を「所有」から「利用」へ
・ソニーのMusic Unlimited powered by Qriocity
・Spotify の共同設立者が音楽やソーシャルについて語る
http://jaykogami.posterous.com/spotify-85472
・ソーシャル・ミュージック・レボリューション
http://jaykogami.posterous.com/social-music-revolution
・ソーシャルによって『点』を『線』にし『円環』へ
http://groundcolor.sakura.ne.jp/ground/planet/2011/08/socialcycle.html
・音楽は水のようなもの(MUSIC ON! TV "We believe in Music.")
http://www.m-on.jp/we_believe_in_music/

2011年7月24日日曜日

【”セレンディピティ”の話】

「セレンディピティ」という、ちょっとこじゃれた感のある言葉を初めて知ったのは5、6年前だったでしょうか。ちょうど2004年頃、日本橋に”セレンディピティ”というSHOPも開店したりしました。千葉のほうには同名の出会い系喫茶もあるようです。そんな「セレンディピティ」を最近ソーシャルメディア界隈でも、よく見かけるようになりました。例えば次の記事とかです。

◆Colorにみるインタレストグラフの次のセレンディピティの創り出し方
http://www.tribalmedia.co.jp/blog/stuffblog/?id=885

◆セレンディピティ型SNS" Stumble! upon は,やはりすごい!
http://capote.posterous.com/stumbleupon-generates-more-traffic-than-faceb
http://japan.cnet.com/blog/knn/2008/02/18/entry_25005278/

◆関連性(Relevance)の時代の幕開け
http://jp.techcrunch.com/archives/20110303the-age-of-relevance/

辞書には「セレンディピティ」とは「思わぬものを偶然に発見する才能」、「the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident」なんて書かれてあります。でも使われ方としては「探してもいなかった価値あるものを偶然を発見すること」、「幸運な偶然」、「ハッピー・サプライズ」みたいに解釈されている例も多く、ソーシャル界隈でも後者的に使われていることが多いように思います。

先の「関連性の時代の幕開け」という記事で紹介されている図では縦軸に「Search」と「Serendipity」、横軸に「Popular」と「Personalized」で区切られた四象限で情報探索のトレンドが解説されています。(以下図)


2000年頃に幕があがった検索時代が10数年の進化の中で、Serendipity型に重心が移行しているということなんでしょうか。

第1期: 検索中心のウェブ
第2期: Web 2.0―ソーシャルブックマーク全盛期
第3期: 個人ごとにカスタム化された推薦
第4期: 個人ごとにカスタム化された思いがけない発見(Serendipity)


2000年代初頭から巷では、ユビキタスやらTV AnywhrereやらVODだという話で、「いつでも、どこでも、あなたが好きなときに好きなコンテンツを選べますよ」という脅迫的な利便性がテクノロジーのトレンドちっくに語られていました。レコメンエンジンの発達で「自分の好みを入力すれば、”おまかせまる録”しますよ」、「あなたが買った本と同じテーマの本はこれですよ」という無難な利便性も高まりました。確かに「個人ごとにカスタム化された推薦」は有用です。

しかし、昨今の話は、それを超えて「個人ごとにカスタム化された思いがけない発見」段階に突入しているということなんですね。FacebookやTwitterを通じて、偶然、友人がつぶやいたモノゴトの中に新鮮な発見があったり、先のColorというアプリのように半径45m圏内のColorユーザーを勝手にグループ化し、そのグループ内で写真を共有するようなサービスも現れてきています。 http://techwave.jp/archives/51641317.html

今後、あらゆる情報がクラウド上に蓄積され、検索技術の向上により、瞬時にアクセスできる環境が整っていっても、結局、人が介在した新たな出会いや発見の価値には及ばない面が確かにあると思います。

Amazonでは出会えない本が、書店に行くと見つかることがありますよね。TSUTAYAの店員さんの推薦文で、思わず借りてしまうDVDがあったりします。ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードも、無目的に行って出会う商品を買うという楽しみが魅力だったりすると思います。

今後、WEBや社会が「ソーシャル化」するということは、あらゆるモノゴトに人のコミュニケーションが介在するようになることだと理解しています。
人の介在によってインターネットの世界も予期せぬ出会い”セレンディピティ化”が進んでくるということなんでしょうか。そう考えると何だかちょっとわくわくしたりします。

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ちなみに「serendipity」という言葉は、イギリス作家ホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語で、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子』という童話に因んだものらしいです。

(参考)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_50.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/セレンディピティ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081218/180700/?P=2
http://leadershipinsight.jp/2005/06/post_116.html
セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)

2011年7月21日木曜日

【ソーシャル化と”パーソナリティ”の話】

最近、パーソナリティという言葉が気になっております。個性、人格という意味のほうでなく”ラジオパーソナリティ”とかで使われる番組の司会者的な意味、和製英語のほうのやつです。

そっちの方の”パーソナリティ”について、Wikiによれば、他に「DJ」や「番組ナビゲーター」などの呼び方の違いはあれど、明確な違いはないと解説されていました。要するに役割は、リスナーから寄せられた投稿を番組で紹介する、フリートークを行う、ゲストの聞き手に回る、それらを統合して番組の進行を行うこと。 細かく言えば、自分で選曲する人、曲の紹介だけする人、トーク中心の人、などでニュアンスが変わるかもね、、ということでした。

でも、その中でも、特に「パーソナリティ」って言葉はその語源のごとく、その司会者の個性、人格がキーであり、そこから発信されるトークやメッセージが重視されている点において、他との違いがあるように感じます。そして、そこらへんがソーシャル化が進む今、重要なコンセプトになってきているんではないかと感じる訳なのです。

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その昔、そんな”パーソナリティ”が活躍するラジオは若者文化の発信メディアとして絶大な力をもっていました。レコード会社のプロモーターもラジオで新曲が何回かかるかをノルマに課せられ、オールナイトニッポンなどの影響力ある番組にへばりつきながらプロモーションしていたと聞きます。

しかし80年代後半ごろからバブル経済な中で、テレビのバラエティ、トレンディードラマな感じの中で、クローズドなコミュニティでのパーソナルな会話をかわすということが”トレンディじゃなくなった”ような気がします。 一対一感のあるコミュニケーションから、MCなんちゃら、というオーディエンスを引っ張る一対多なコミュニケーション形態が心地よく、そんな場の共有の中で、横のつながりを感じることが楽しく、充実する、、そんな感覚が主流になっていったのではないかと思います。(もちろん全てではないですが)

それが昨今、ネットの世界のソーシャル化が進んでくる中で、また一対一感のあるコミュニケーション形態が力をもちつつあるんではないか? そんな風に感じる次第なのです。

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Blogから始まりTwitterやFacebookなどソーシャルメディアの普及で、企業や有名人だけが情報を発信できる時代が終焉し、一方的な情報コントロールはできなくなりました。いわゆる「スケスケ社会」の到来ですよね。企業側の都合でポジティブ情報100%の広告マーケティングコミュニケーションを行っても生活者は話半分でしか受け取ってくれません。最終的には価格.comや食べログ、友達の「いいね」のほうを信用してますものね。

そんな社会の中で、以前紹介したように「B to C」から「B into C」に発想を転換しないと共感を得られない、共感が得られなければ事業が成立しない、、ということになってきているんだと思います。マーケティング上でコミュニティに接するときに、企業として上から目線でコントロールすることは不可能だし、無理にやろうとすれば相手にされなくなると思われます。とるべき方法論は、自分が誰であるのか、その人格と個性、立ち位置を明示し、個人としてのコミュニティの中に入っていくうことだと思います。

そしてコニュニティの一員として思いをベースに何かの役に立つことを実行していく姿勢を示し、リスナーや生活者と向き合い、近い距離で、同じ高さの目線でモノゴトを話合い、共有していく。そんな風に共感と信頼を獲得していく、、、。

それって、まさしくラジオの「パーソナリティ」的なアプローチだと思いませんか。

大味なメディアというものは徐々に衰退し、パーソナリティを内包したコミュニティがミドルメディアとしてたくさん生まれていく、そんな風に考える訳なんです。ラジオもまたソーシャル化の中で、その存在感を出し始めるかもしれません。
大企業のソーシャルサイトもパーソナリティを打ち出したものが目立ちはじめているように感じます。 結局は生身の人間が情報を発信しているんだよね、っていうコミュニケーションを企業もとりはじめているということだと思います。

参考)
B to Cのマーケティングは、B into Cのマーケティングへ
http://choicenext.blogspot.com/2011/06/blog-post_27.html

◆伊藤ハムのハム係長は、たまに味の素のFBに乱入したりしているようです。
http://www.facebook.com/itoham  http://www.facebook.com/setsudenrecipe
伊藤ハム / ITOHAM FOODS inc.
◆トヨタとニッサン、ホンダの広報どうしがTwitter上で「パーソナル」なやりとりを交わし話題に。
http://togetter.com/li/117997  
◆USJがディズニーランドに応援メッセージで大量RT。
http://twitter.com/#!/USJ_Official/status/58683001369919488

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2011年7月13日水曜日

【「Make Meaning」の話】

震災以降、企業の理念や志がこれまでになく強く問われるようになってきたと感じます。

宣伝会議6.15号の特集は「3.11以降の企業の宣伝活動」と「志のマーケティング戦略」でした。その中で、震災をきっかけに企業も消費者もその考え方が変わりつつあることが紹介されています。「消費者の側も、消費する責任を意識するようになる」、そして「消費することは、つまり、その企業や商品を支えること」、そういう感覚になっていくだろうという意見も載っていました。

これから、益々企業は社会的意義を真剣に考える必要がでてくると思います。そうでない企業は退場を迫られ、生き残っていけない世の中になっていくように感じます。

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そんな中、ガイ•カワサキさんという元Appleで働いていたベンチャーキャピタリストが起業の心得として「Make Meaning」というキーワードをあげていました。参考になったのでご紹介です。

カワサキさんは、ビジネスにおいて、まず考えるべき重要なエッセンスはその事業が「Make Meaning」しているかどうかであると言います。つまり、その事業が「世の中に対して新しい価値を提供しているのか」ということです。 ”社会的意義を見出すこと”、そこをはっきりさせないといけないということなんですね。

往々にして事業というと、多くの人は、まず「Make Money」つまり、どう稼ぐかだけを考えがちであるといいます。しかし最終的に成功する企業は、どうすれば世の中をよくできるのか、どうやって世の中を変えるのか、そういう意味づけを真剣に考えているということです。
逆に「Make Money」で始める会社は「Make Meaning」もしないし、最終的に「Make Money」もできないよとカワサキさんは指摘します。

そしてカワサキさんは事業が「Make Meaning」するための3っ道をあげています。

1. increase the quality of life 
                 人々の生活の質、幸福度を向上させること。
2. right a wrong
                 世の中の間違った事、ゆゆしき悪を正すこと。
3. prevent the end of something good
                  良いこと、すぐれたものを保全し継続させていくこと。

少なくとも、いずれか一つが当てはまっていれば、その事業は「Make Meaning」していると。まず、ここを検証することから始めよ、ということなんですね。 シンプルですが一つの指標になります。

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今週号の日経アソシエではユニクロやほぼ日が取り上げられていますが、柳井社長も、糸井社長も同じ主旨のことを言います。

◆糸井さんは社員に「お金より信用を選ぶチームにしよう」、「信用を重ねていけばお金は後からついてくる」と伝えているそうです。 「大勢の人に"この会社はあったほうがいいよね"と言われる会社でなければ、生き延びちゃいけなんだと思う」、「売り上げは世間から信任されたという票と同じ」(「日経アソシエ」2011.7.19インタビュー)

◆柳井さんは次のように言っています。
「”会社”がある前に”社会”がある。社会にとって価値があるものとは何か。それを考えて経営しない限り、企業の成長はあり得ません。自分たちの会社は何のために存在し、いかに社会に貢献できるかを考える」(「考える人」2010夏号)

これまで紹介した「マーケティング3.0」も「Start with Why」も同じでした。マーケティング戦略も事業戦略も組織戦略もすべて、企業の社会的意義、責任、理念の重要性に向いています。
要するに「君らが”Make Meaning”するポイントは何なのよ?」ということなんですね。

参考:
http://youtu.be/lQs6IpJQWXc  Guy Kawasaki 講演YouTube
日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 7/19号 [雑誌] 
(ユニクロ、ほぼ日の現場力)
宣伝会議 2011年 6/15号 [雑誌] 
(志のマーケティング戦略 3.11以降の宣伝活動)
完全網羅 起業成功マニュアル ガイ・カワサキ著(「The Art of Start」の翻訳本)



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2011年7月5日火曜日

【共感・共創・共有社会の話】

前回は消費社会の成熟によって、商品やサービスは人から「最も愛される」ぐらいにならないと生きていけない、、みたいな話を紹介しました。今回は企業や個人が思考の枠組みをどう変えていかないといけないか、、みたいなことを調べたり考えたりしてみました。

◆「マーケティング戦略」の限界
博報堂ブランドデザインの宮澤さんという方は「応援したくなる企業の時代」という本の中で次のようなエピソードを紹介しています。

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長年、人気商品として販売してきた商品の売れ行きが、かんばしくなくなってきた。そこで企業のマーケティング担当者が分析したところ、特に若い世代の購買が減少していることがわかった。そこで担当者が何人かの一般の若者を集め、「商品のどこがよくないのか」、「どこをどう改善すれば欲しいと思うようになるか」について率直に聞いてみたそうです。すると驚くような答えが返ってきた。若者たちは異口同音に「よくないところ、不十分なところがあるとは思わない」、だから「なにかを改善したところで、この先その商品が欲しくなるとは思えない」と。。担当者は、思わず絶句した、、という話です。
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既存のマーケティングアプローチの延長線上に解決策がなくなっているということが起こりつあると思います。消費者目線を徹底し、ニーズを探り、ユーザーが満足する、他社より魅力的な商品をつくるんだ!ということだけでは、もはや通用しない世の中に突入しているということなんですね。モノとかサービスが一定水準を越えたら、細かい差異なんてどうでもよくなる。そうすると、前回の話のごとく、結局、選択基準は「一番安いか、一番性能がいいか、一番愛されているか」に集約されちゃうのかも、、と思います。

◆所有価値の低減
更に言えば、ちょっと前までは機能していた「所有価値」というものも相対的に低下しているように感じます。以前は多くの消費者は機能性など商品そのものの価値に加え、そこに付加されたブランドという名の「付加情報」にも喜んでお金を払っていました。モノを所有することで、生活シーンの演出や精神的満足につながるということでしょうか。端的な例としては、高級ブランド時計をつけている私っておしゃれでしょ。高級外車に乗っている僕ってかっこいいでしょ、、とかいう具合です。モノやサービスの購入を通じて精神面の満足も買っていたわけですよね。
しかし消費社会も成熟してしまうと、たいていのモノは十分に足りています。特段の不自由のない生活をおくっている中で、これ以上何かを所有することで、自分が今より幸せになる、満足度があがる、感動するとは、思えなくなっているということだと思います。

◆経験価値、共感を生む場の提供
じゃあ企業は生き残るために何をすればいいのか? 一つの方法論は、先の本にも載っていた「経験価値」の提供だと思います。 モノよりコトに価値がシフトしている中で、「個人で何かを所有すればいいことがありますよ」、ということの説得力が低下しています。それよりも、「皆で、何かを一緒に経験する」ということのほうに魅力が移っているように思います。
つまり「所有」ではなくて、経験を「共有」できる場の提供、そこへのアクセスの手段の提供が本質的な価値として重要になっているということではないでしょうか。

その昔、Walkmanは、それを所有することによって、音楽を外に持ち出せる、生活シーンもかわる、、そんな提案型の商品でした。 しかしiPhoneやiPadは、デバイスを所有した後も、アプリやWebサービスへのアクセスを通じて、常に新しい経験を提供しつづけます。

KDDIが提供している au Smart Sportsもケータイを使ったスポーツライフを提案しています。仲間との体験の共有の場も提供しています。 http://www.au.kddi.com/sports/service/run_walk/index.html

SNSやソーシャルゲームは、そのアプリ機能性に価値があるのではなく、人と人とのつながりという経験価値が本来的な価値です。

昨今、はやりの脱出ゲームも、何かを所有することもなく、生活シーン云々でもなく、その場で得られる体験に対して価値を見出されているわけですものね。

◆「共感」、「共創」へ
もう一つは、そんな「共有」を通じて、生活者から「共感」を得ることだと思います。もはや「消費者目線」という言葉さえ企業からの上から目線な感覚なのかもしれません。 消費者とともに社会に貢献する姿勢を示し、一緒に行動する(共創)。 B to C から B into C 、B with C へ感覚を変える。企業が自らの理念や志を高くかかげれば、それに共感してくれる人は、その企業からモノを買ってくれるかもしれません。

ハイブリッド自動車が売れるのはコスト観点ではないですものね。同じ洋服を買うのでも、その企業姿勢に共感できるところから買う。 企業とともにいい社会をつくっていく、、、そんな感覚の社会にどんどんなっていくのではないかと思います。

参考:
「応援したくなる企業」の時代
http://www.exp-branding.com/  博報堂エキスペリンスデザイン
http://www.h-branddesign.com/  博報堂ブランドデザイン
http://www.slideshare.net/gitanez/web-7691019 ソーシャルメディア時代の企業Web戦略

2011年6月27日月曜日

【愛されるためのマーケティング戦略とは?】

将来ビジョンやミッションを考える社内ブレストをした中で、なりたい姿の表現として「嫌われてもいい、好かれるより、愛される会社になりたい!」というのがありました。

「会社として、いったい誰に対してコミュニケーションを取ろうとしているのか。漠然としたユーザーターゲットを想定して、"より多くのユーザーが満足いただけること"、"喜んでいただけそうなこと"、を提供していれば最大公約数的に支持が獲得できていく、、なんて時代は終わっているんではないのか」、という指摘だと思います。

インターネットによって流通する情報量は爆発的に増えています。ある調査によれば、99%以上、ほとんどの情報は消費されずにスルーされていくという状況になっているそうです。そんな中で、求められるのは、膨大な情報の中から、個々のユーザーにとって、ちょうどいいサイズの情報、心地いい情報を切り取り、気持ちを添えて提供することなのではないか、ということなんですね。

-*-*-*-
マスマーケティング全盛の時代は、個々の嗜好なんて考えなくてもモノが売れました。大多数の人が必要な便利で機能的でデザインがいいものをつくって、よいイメージとともに訴求すれば販売に結びく、そんなマーケティング1.0の時代です。

しかしモノと情報が行き届き、消費者に選択の主導権が移行すると企業は、ターゲットを設定し、他社と差別化した商品を訴求し、ユーザーの満足を第一に考えるようになる。マーケティング2.0への移行です。

更に消費社会が成熟した現在、進行しているのは、それだけでは売れないマーケティング3.0の時代への移行です。消費者は、もはや買いたくない相手から商品を買おうと思わないし、同じものを買うならその活動や姿勢に共感できる会社から買おうという社会になってきているということなんですね。

前回の「"Start With Why"の話」では、そんなマーケティング3.0な世界の中で、企業はまず、「Whyを語ること」から始めるべきだという話を紹介しました。企業や商品、サービスの社会における存在価値・意義をまず相手に理解してもらうこと。それが出発点だと。 企業は自分の考えを積極的に発信しなければ生き残れない時代になったということなのかもしれません。

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smashmediaの河野武さんという人は「競争が熾烈な現代社会において、消費者に選ばれる商品、サービスは、いちばん安いか、いちばん性能がいいか、いちばん愛されているかのいずれかである」と言っています。

じゃあ愛されるためにどうすればいいんでしょうか? まずは自らの考え方を示し、消費者の言葉に真摯に耳を傾け、対話し、情熱ある行動や姿勢を継続的にとっていかなければいけません。その意味で、ソーシャルメディアとどのようにつきあっていくのかが、全ての企業にとって大きな課題になってくると思います。

ソーシャルメディア活用においては企業にとって都合の悪い、ネガティブな反応や炎上リスクにどう対処していくのかがしばし議論のポイントになってくると思います。 しかし、ある本に「大半の企業に炎上リスクはない、なぜなら、そこに存在することに気づいてさえもらえないからだ」という指摘もありました。 愛されるの反対は無関心だとはよく言われることですが、企業も、嫌われてもいないということは、そもそもの存在価値さえも認めれれてないということの同義なのかもしれません。 

ソーシャルメディアというのはユーザーが主導権を握っている場所です。そこへ企業が出て行って、愛されたいと思うなら、上から目線で通用するわけがありません。そもそもそもそも企業がマーケティングをするための場所ではないですからね。しかし企業も1ユーザーとして、向き合えば信頼や共感を勝ち取ることが可能な場所でもあるはずです。

-*-*-*-
広告コンサルタントの高広伯彦さんという人は”B to Cのマーケティングは、B into Cのマーケティングへ”、という表現をしています。「B into C」、つまり消費者の中に入っていくということなんですね。

愛されること、共感されること、信頼されることは、一朝一夕で達成できるものではありません。でも、それが実現すると、企業にとっては大きな資産を手に入れることになります。ユーザーが理性や論理ではなく、情緒や感性で共感してくれる段階になれば、そのユーザーは自社のエバンジェリスト(伝道師)になってくれる可能性があるからです。
エバンジェリストは聞かれてもいないのに友人や知人に、その商品やサービスがいかに良いかをふれまわってくれます。周りを見渡せば一人や二人は、こっちが聞きもしないのに「こんどの●●はいいっすよ」って薦めてくる人がいますよね。

欧米でフェイスブックなどソーシャルメディアを活用したマーケティングが盛んになってきているのは、こんな背景もあるからなんですね。高度消費社会、感性消費社会において、自社が選ばれるためには、共感され、愛される必要がある。


参考
フェイスブックインパクト つながりが変える企業戦略
フェイスブック時代のオープン企業戦略
http://marketingis.jp/archives/854 最愛を目指せ(河野武)
http://www.advertimes.com/20101220/article3743/  B into Cのマーケティング(高広伯彦)
http://sem-labo.net/blog/2011/04/30/0529/

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2011年6月13日月曜日

【"Start With Why"の話】

サイモン・ シネックという人の「Start With Why」の話を教えてもらいました。まずは18分の講演(日本語字幕付)です。リーダーシップの話でもありビジネス戦略の話でもあります。http://www.ted.com/talks/lang/jpn/simon_sinek_how_great_leaders_inspire_action.html


誰でも自分が何をやっているのか(What)は分かっています。そして、どうやってやればいいか(How)も多くの人が考え行動します。でも何故をそれをやっているのか(Why)について、意識的に理解している人はとても少ないとシネックさんは言います。そしてビジネスをリードするためには自らの"Why"を知ることだと。

往々にして仕事をしていると、何をいつまでにやらなきゃいけないのか、どういう方法でやろうか、どうやって結果を出そうか、、という"What"と"How"で忙殺され(間が持ってしまい)、何のためにやっているのか"Why"を考えるのは後回し、或いは考えないで終わってしまいがちですよね。

しかし優れたリーダーは必ず"Why"を示すといいます。常に Why ⇒ How ⇒ What この順番で語るということです。

 
講演でとりあげられているAppleのジョブズも「ライフスタイルに革命を起こす。世の中を変える」という自らの'Why'を語った上で、高機能で美しく使いやすい(How) 製品やサービス(what)を世に送り出しています。だから人々が熱狂するのだと。

でも多くの企業は、こんな製品を出します。高性能で便利で、デザインがよくて、、(What)、高い技術力で可能になりました、ユーザーの望むことをリサーチして開発しました、、(how)で終わっています。なぜ、その製品やサービスを世に出そうと思ったのか、その志や価値や意義=Whyまできちんと語られていることは非常い少ない。 What ⇒ How 以上終わり!ということです。

現在の日本のごとく社会や消費行動が成熟してしまうと、人々は'Why'が明確でないものは、なかなか受け入れてもらえないということなんですね。だから企業も「Whyを語ること」から始めなければなりません。企業や商品、サービスの社会における存在価値・意義をまず相手に理解してもらうこと。それが出発点なんです。

先のマーケティング3.0についての投稿でもふれましたが、、
・マーケティング1.0:製品を販売すること
・マーケティング2.0:消費者を満足させ、保持すること
・マーケティング3.0:世界をより良い場所にすること
つまり3.0な”Why”が必要だということなんですね、

講演の最後でシネックさんは言います。組織においても個人においても、人々が主体的に行動するのは、皆が「そうしなければないらない」からでなく「そうしたい」からだと。「なぜ」から始める人こそが周り人を動かす。

「Why=なぜ』が全ての出発点。これを明確にすることから戦略をつくらなければいけないってことなんですね。


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参考:
・Insight Now!記事 「BIG WHY'から始めよ」 http://www.insightnow.jp/article/6353
・参考「優れたリーダーはなぜから始める」http://blog.mypeacefulfamily.com/2010/10/simon_sinek/
・その他参考(英語):
http://www.startwithwhy.com/
http://share.sayan.ee/2010/08/31/start-with-why/
http://www.hustream.com/blog/entry/want_to_know_why_simon_sinek_starts_with_why
http://montewashburn.wordpress.com/2011/05/23/simon-sinek-says-start-with-why/

ぐっとくる?選ばれる新法則」...感性消費の時代に突入した社会において「なぜ」の質問にどう答えられるか否かで全ては決まる。
・Appleの「Think Different」

2011年6月9日木曜日

【アメックスのリーダーシップ開発の話】

今週号(2011.6.6)の日経ビジネスではアメリカンエキスプレス社のリーダーシップ開発に関する記事が紹介されておりました。 往々にして「リーダーシップ」っていうと、人を統率し、場を仕切るための”人間力”とか”カリスマ性”なニオイもする言葉ですが、その考え方は、もはや古いイメージとなっています。今、リーダーシップというのは、社員全員が行うべき業務、果たすべき責任、学習すべきスキルとしてて意義づけるべきのようです。

そんな中、アメリカンエキスプレスは、リーダーシップとは何かを以下のように明確に定義し、ブレークダウンし、実践させている先進的な会社であるようです。

◆定義
アメックスは「株主、顧客、社員にとって優れた成果を生み出すこと」がリーダーシップと定義。

◆行動
そしてリーダーシップにより成果を生み出す行動を4つのカテゴリーに分類。
・ Create Our Future(未来を創造する)
・ Inspire Our People(人々を鼓舞する)
・ Excite Our Customers(顧客を感動させる)
・ Deliver on the Promise(約束を果たす)


◆行動特性(コンピテンシー)
そして4つのカテゴリーを更に具体化し①~⑧に細分化。
・ とは
①戦略性 ②創造力
 → 「未来を創造する」ために必要な行動
③関係構築力 ④コミュニケーション能力 ⑤人材育成能力
 → 「社員を鼓舞する」ために必要な行動
⑥顧客尊重
 → 「顧客を感動させる」ために必要な行動
⑦実行力 ⑧誠実さ、成熟度
 → 「約束を果たす」ために必要な行動

すごくよく整理されているなと感心します。

そして、それぞれの具体的な定義や行動例まで示されているそうです。例えば「①戦略性」を発揮するためには、、、
・広い視野をもって戦略を計画や目標に明確に結びつける。
・競合他社の事業活動や市場動向に関する深い知識を示す。
・重要なビジネスドライバーを理解する。
・財務情報およびそのための企業情報や市場情報を用いてビジネスチャンスを見極める。 

こうやって定義づけていくことで、各社員は、自分のリーダーシップで、どの能力、スキルが不十分なのかを意識できるようになります。それを会社として研修や評価や実際の業務を通じて高めていくシステムをつくっているということなんですね。

リーダーっていうのは自らの強みを生かしながら、真摯さを持ちながら、こういった能力を発揮し、成果を出していくべきものだと思います。

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リーダーシップについて昨今、「もしドラ」で話題のドラッカーも次のようなことを言っています。

  「リーダーシップは資質ではなく仕事である」 

「リーダーシップとは人を引きつけることではない。そのようなものは煽動的資質にすぎない。仲間をつくり、人に影響を与えることでもない。そのようなものはセールスマンシップにすぎない。」


http://diamond.jp/articles/-/1906
http://allabout.co.jp/gm/gc/377805/
http://www.nrf.com/Attachments.asp?id=20443 (パワーポイント)

2011年6月3日金曜日

【マーケティング3.0の話】

フィリップコトラーさんという著名が学者が去年「マーケティング3.0」という本を出しました。内容は省略ですが、その違いの抜粋を表にしたのが以下です。



◆マーケティング1.0
「いいものをつくれば売れるのよ」というアプローチです。音楽やエンターテイメントでいえば、より多くの人が喜ぶ、いい楽曲、いいアーティスト、いいコンテンツさえつくればマスは反応するし、人は集まるし、たくさん売れるでしょ、という段階といいましょうか。マスメディアを通じた「幸せ」や「豊かさ」の共同幻想が機能していた時代は、このマーケティングが有効だったと思います。

◆マーケティング2.0
インターネットを始めとする情報技術の発展によって、人々は、マスメディアの情報以外に膨大な情報にアクセスできる環境が整いました。企業側の都合や論理は通用しなくなってきます。そこで徹底した消費者志向のものづくり、サービス開発へのシフトが浮上していきました。ユーザーをターゲティングし、自らのポジショニングを考え、他と差別化することによって競争に勝っていくことが必要になりました。お客様の満足のために、One to Oneの対応をする。これがマーケティング2.0。 アーティストでいえばファンが求めているものを届ける、そうやって支持を得ていくというアプローチなのかとも思います。

◆マーケティング3.0
そして時代は3.0。Facebookで政治が変わり革命が起こる時代になりました。個々人は発信する力を持ち、相互につながることが可能になりました。一塊の「マス」は消滅し、個人の集合体としての「ソーシャルネットワーク」が立ち上がります。情報の流れが大きく変化していこうとしています。

上記の表にもある通り、マーケティング3.0では自らのミッションと存在意義を発信しユーザーからの共感を得ることがアプローチ手法です。製品開発やコミュニケーションに消費者を参加させ、一緒にものごとを創っていくということなんですね。

◆LADY GAGAのマーケティング3.0
前回ふれたLADY GAGAはまさしく、その3.0なアプローチと言えると思います。ソーシャルメディアをフル活用し、ファンと密接なコミュニケーションを図っています。

例えば新曲 ”Edge of glory”では、ファンが歌い踊ってる動画をYouTubeにアップし始めたのを見たGagaが「映像をつくるから、みんなのもっとたくさんの動画をちょうだい」とUP。数分後に数100以上のビデオが集まり、投稿したユーザーは彼女のPVの一部に出演。



GAGAはこういった圧倒的なソーシャルパワーで企業やレーベルを超える影響力を獲得しています。

◆AKB48のマーケティング3.0
AKBも劇場や握手会でダイレクトコミュニケーション。総選挙でファンを巻き込んだファンがプロデュースする形をつくっています。まさしくマーケティング3.0における「企業の製品開発やコミュニケーションに消費者を参加させる」、「多数対多数の協働」のコンセプトを実現させていると言えますよね。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110531/ent11053110000007-n1.htm



参考:マーケティング3.0
http://blog.tokuriki.com/2011/01/30.html
http://www.mindreading.jp/blog/archives/201101/2011-01-08T0226.html
http://blogs.itmedia.co.jp/saito/2010/11/30-cb07.html

   

2011年5月29日日曜日

【音楽ビジネスはいずこへ?】

前回はFacebook, TwitterなどSNSサービスやYouTube, Ustreamを始めとする映像配信サービス、その他、課金決済サービスを始め、様々なインフラが オープンでグローバルなプラットフォームとして整備が進んでいるという話をしました。そして、そんなプラットフォームを使って、企業だけに限らず、個人やアーティストも自ら発信し、ユーザーと直接コミュニケーションを図ることも可能になりました。

◆レディー・ガガのビジネスモデル

そんな中、先日「レディー・ガガに学ぶビジネス戦略」って記事が発信されてました。いろんなソーシャルメディアを縦横無尽に活用して、自らを発信し続けているLADY GAGAについてドイツのビジネススクールの教授が、その戦略に注目し、これは企業の戦略にも使えるという指摘をしているという話でした。LADY GAGAはFacebookで36百万人のファン。Twitterで10百万人のフォロワー。YouTubeのオフィシャルページで再生回数も億単位。へたなメディアや企業より影響力があるのは確実です。こうなってくるとレーベルやメディアに頼らず自分主導でいろんなビジネス展開ができてしまいますからね。
http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-21376320110526

◆レベッカ・ブラックのヒット

一方、LADY GAGAとは真逆な素人が、ソーシャルメディアから新しい形のヒットを作り出したという話を聞きました。音楽やダンスが好きだった13歳の娘レベッカの為に母親がロスでレコーディングと音楽ビデオの制作を30万円ぐらいで請け負う会社に制作を依頼。結果、出来上がった曲「フライデー」は2月にYouTubeに投稿され、3月に火がつきます。
でも話題になった原因は「史上最低な曲」という酷評。聴いてみると確かに酷い曲です。それでも再生回数は1億5000万を超えてます。
http://www.youtube.com/watch?v=vH--AdCVUek(日本語訳詞つき) 
参考ブログ:http://yogakutengoku.blog135.fc2.com/blog-date-20110418.html

これから日本でもきっと、ソーシャルメディア上から、こういうアーティスト?がでてくるんだろうなと想像します。カリスマな大物だけでなく、酷いアマチュアから、一部のコミュニティにだけで成立するマイクロな音楽ジャンルやアーティストまで。

◆2010年の日本の音楽市場実績

そんな中で今の日本の音楽市場の状況については、4月に日本レコード協会が「日本のレコード産業2011」ってレポートを出してます。
http://www.riaj.or.jp/issue/industry/pdf/RIAJ2011.pdf

音楽ソフト市場全体としてみると、2007年まではCDの落ち込みを音楽配信でカバーと言えてましたが、2008年から市場全体でダウントレンドに入りました。


















◆要するにAKB48と嵐

CDシングルは前年比+10%ぐらいになっているようですが、これはAKBと嵐の効果が大きく。AKBと嵐を除くと、CDシングル市場もマイナスのようです。
2010年のオリコン年間シングルランキングトップ10が以下です。見事です。

1位 : 95.4万枚 … AKB48「Beginner」
2位 : 71.3万枚 … AKB48「ヘビーローテーション」
3位 : 69.9万枚 … 嵐「Troublemaker」
4位 : 69.6万枚 … 嵐「Monster」
5位 : 66.0万枚 … AKB48「ポニーテールとシュシュ」
6位 : 65.6万枚 … 嵐「果てない空」
7位 : 62.0万枚 … 嵐「Lφve Rainbow」
8位 : 59.7万枚 … AKB48「チャンスの順番」
9位 : 59.1万枚 … 嵐「Dear Snow」
10位 : 51.6万枚 … 嵐「To be free」


参考:
http://blog.livedoor.jp/ustan777/archives/51776739.html
http://www.oricon.co.jp/music/special/2010/musicrank1220/index02.html

そんなAKB48のニューシングル『Everyday カチューシャ』は、既に165万枚出荷だそうですね。なんでも「AKB選抜総選挙」の投票用カードが封入されていて5500枚購入した強者もいるとのこと。もはや「楽曲」を買っている訳じゃないんですね。

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音楽ビジネスはこれからどこに向かうんだろうかと思います。アメリカとか海外の事例をみていくと、次に日本が向かうトレンドもみえてくるかもしれません。


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2011年5月24日火曜日

【プラットフォームとモジュールの話】

IT用語として使われてきたプラットフォームとかモジュールとかいう言葉がビジネス全般において使われるようになってきました。先日、あるイベントで佐々木俊尚さんのお話を聞く機会に、この「プラットフォームとモジュール」が一つのビジネス上のキーワードになっていました。メディアビジネスにおいても、このプラットフォームとどう向き合い、活用するかということが重要になってきていると思います。

◆プラットフォーム
そもそもプラットフォームって何か?調べると「コンピュータにおいて、ソフトウェアが動作するための土台(基盤)として機能する部分のこと」と書いてあります。例えばExcelやWordというアプリケーションはWindowsなどのプラットフォーム上で動いていると言えますよね。

しかしプラットフォームはあらゆるビジネス事象で頻繁に使われる言葉になりました。自動車産業においては最も基本となるシャシー部分がプラットフォームで、そこから部品やモジュールを組み合わせていろんな車種を作り出しています。AndroidはスマートフォンやタブレットPCなどターゲットとして開発されたプラットフォームだし、YouTubeは動画配信のプラットフォームです。

少し前まで放送や新聞などのメディアビジネスはこういったプラットフォーム的な考え方とは別の垂直統合型のビジネスモデルで栄えてきました。自ら番組や記事といったコンテンツをつくり、紙面や番組表として編成し、電波を流す鉄塔や新聞販売店などの流通までを一気通貫で抱えてトータルで収益を確保していた訳ですよね。

しかし放送においてはかなり前から配信、課金、マーケティングとしてスカパーのようなプラットフォームが成立し垂直統合型ではない形が存在し始めました。映像コンテンツはテレビでなくてもYouTubeやUstreamという配信プラットフォーム上で見ることができるようになりました。

ニュースについても今や新聞をとらなくてもyahooニュースやGoogleでも知ることができます。ケータイの世界でも少し前までキャリア毎にがi-modeやez webなどでサービスやコンテンツ、課金インフラを支配していました。しかし今やキャリア共通のAndroidやiTunesというプラットフォーム上でアプリが動き課金ができる環境が整備されつつあります。

SNSの世界でもTwitterやFacebookを始めとしたプレイヤーがプラットフォーム化しています。Twitterのつながりを前提としてfoursquareという位置情報サービスが成立したり、Facebookを前提としてソーシャルアプリ、ソーシャルゲームなどが次々と生まれています。

つまり、一昔前のコンテンツから伝送路までを一気通貫で抱えてユーザーを囲い込むクローズな垂直統合型のモデルの多くは崩壊し始め、オープンなプラットフォームを活用した新しいビジネス形態が増えつつあるということだと思います。

そして、このプラットフォームのトレンドがオープン化とグローバル化だと思います。AndroidもTwitterもFacebookもYouTubeもUstreamも、全て全世界で共通に普及したプラットフォームで、基本的に無償でオープンに解放しています。

これからのメディアビジネスは、きっとこういったオープングローバルプラットフォーム上で、どういう付加価値を提供できるかというところに競争ルールがシフトしていくトレンドだと思います。

◆モジュール
そこで出てくるのがモジュールです。モジュールとは「ハードウェアやソフトウェアにおける、ひとまとまりの機能・要素のことである」と書かれています。FacebookやMixiなどをプラットフォームにして、そこでサードパーティの開発者が提供するアプリやゲームはモジュールと呼べます。アメリカの音楽業界はYouTubeと争うことをやめてYouTubeプラットフォームにしてVEVOというミュージックビデオ配信サービスを開始。これもモジュールです。

コンテンツ制作から流通までを押さえることによって成立していた垂直統合型のビジネスは、オープングローバルプラットフォーム化で収益性を損うことになっていくと想像します。

音楽業界でいえば、楽曲を制作し、CDに固定化し、販売流通網を押さえることによって獲得してきた付加価値の総体が解体され始めます。既にCDの部分がデータ化され、流通網はインターネット、iTunesなどのプラットフォームに押さえられつつあります。
放送も新聞も音楽も、どこの業界も自らネット上でも流通網を確保する動きをとっていますが、オープングローバルプラットフォームの勢いの中で、どこまで独自の領地を確保できるのかは難しい状況に至る可能性があります。


佐々木俊尚さんも言ってましたが、今後、メディアビジネスで新たなビジネスチャンスを探るとき、オープングローバルプラットフォームをうまく活用して、他がまねできないモジュールとして付加価値を出していくことが、一つの生き方であると思います。 
従来のように、無闇に大きく儲けることは困難になる可能性があります。どっかに関所をつくって過度に儲けることはできなくなるということかもしれません。でも食っていけるやり方はあると僕は思います。ここらへん、また考えていきます。


参考)
http://www.facebook.com/SAKAIjyuku
http://blog.goo.ne.jp/denmipapa/e/151665a33282b74ef03e854eaba959f7?fm=rss
http://khayashida.jugem.jp/?eid=150
http://ja.wikipedia.org/wiki/VEVO

2011年5月18日水曜日

【理念やビジョン、航海の例え】

たいていの会社はHP等で理念やビジョンやミッションを掲げています。しかし、じゃあ「そもそもビジョンって何?」。「理念とビジョンは何が違うの?」、「戦略との関係性は?」等々。わかったつもりになっていても結構混乱するところです。実は統一した定義があるわけでもなく、それぞれの流派で、定義づけて議論するしかないとこでもあります。

そんな中、よくある例えで、会社を大海原を航海する船にみたてて説明すると、、というのがあります。


◆経営理念、信条

「経営理念」は航海における「北極星」に例えられます。

まずもって企業というのは社会的存在なので、その目的、使命がなければ存在の意義がありません。逆に言えば「目的と使命をもたない団体は企業ではない」ということです。
「何を信じて、何を究極的な目的として生きているのか」を出発点として企業は活動を開始します。そういった意味で進むべき方向を示す北極星が必要です。それが経営理念ということです。

◆ビジョン

「ビジョン」というのは航海におけいて次に「目指すべき島」に例えられます。

北極星の方向に進むにしても、じゃあ当面、どこをゴールにして航海するのかがないと、判断基準があいまいになり、アクションに結びつきません。具体的な到達地点が明らかにあれば、成功イメージ、そこに至るプロセスが共有できます。 
ビジョンが明確であれば、それを達成するために乗組員はそれぞれ、自らの使命を考えることができます。理念をふまえビジョン達成のためになすべきこと、それがミッションということもできます。


◆戦略

「戦略」は、「目指すべき島」への航路、方法論ということができます。

目指すべき島を決めても、そこに到達する手段は多様な選択肢があるはずです。
天候や海流の状況によっても航路が変わるでしょうし。海賊に出くわすかもしれません。そういった外部環境を分析する必要があります。また船の性能、燃料や食料の状況、乗組員の体力やスキルなど内部分析もふまえないといけません。 
多様な選択肢の中から、最善と思われる判断をチョイスしないといけないということです。事業環境と内部リソースをふまえ、最適な判断をしていくこと、それが戦略です。

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理念やビジョンは全ての出発点です。それを考えたからといって、売上や利益にすぐ結びつくわけではありません。しかし、どっちの方角に行くかも決めず、当面のゴール地点も決めず、とにかく出航だ、というほど危険な話はないですよね。南極に行きたい人と北極に行きたい人は同じ船に乗ってはいけないし、ゴール到達に必要な人員や物資がわからないまま出航して餓死したくありません。ゴールを共有しないままで一緒に働いていると、いろんな判断でズレが生じてきます。作業の本当の意味がわかならければモチベーションは高まりません。

理念やビジョンを握った上で、次は会社を構成する個々人のミッション設定とコミットメントをとることが重要になります。理念やビジョンがあいまいだと、コミットメントもあいまいになります。個々人が自分の都合のいいコミットをして、成果を主張されても困りますものね。

「この嵐の中で、そんな一生懸命、甲板掃除されてもな」とか。
「僕は北じゃないと思ってるんですよね」と言われてもね。
「だったら降りろよ」ってことですものね。

2011年5月14日土曜日

【ヒアリングの威力の話】

先日、会社の営業研修のオブザーブをしてまいりました。
今求められる基本となる営業スキルはなんのか、応用するにも、まずは基本がわからないとね、ということです。

世の中、それこそ商品情報は下手をすればお客さんのほうが詳しいこともある時代。マスメディアの情報やブランド訴求もなかなか伝わりません。
個々人の価値感も多様化し、商品、サービスそのものの価値というより、その商品やサービスによって提供される機能、体験、思いのほうに重きがおかれる時代です。

そん中で「価値」をという形のないものを売らなければいけない営業は、どのようなスキルが必要なのか。どう行動すべきなのか?
もはや、とにかく足でかせぐということでもないでしょうし、プレゼンをうまくやれば説得できるということでもないですよね。

◆ヒアリングの力

そこで重要になってくるのが「ヒアリング」。相手の潜在、顕在のニーズをいかに引き出し、Win-Winとなる提案ができ、パートナーとしての信頼関係を勝ち取れるか、そこに「ヒアリング」のスキルが重要となってくるという話です。
昨今、指導もコーチングという方法がクローズアップされていますよね。画一的な仕事形態の中で、マニュアル通りに進めればいい段階を過ぎ、業務が専門化、個別化する中では、「答えは各個人の中にある」という想定に立ったほうがリーズナブルです。だからヒアリングによって、それを答えをあぶり出す、気づかせるということが有効だということです。

人間は、基本、聞きたいことしか聞かない、頭に入れない。経験上、これは間違えないと思っています。どんなに素晴らしいプレゼンを用意しても、どんなに説得力ある話でも、相手は聞きたい話しか耳に入れないものだと認識しています。一番相手に響くこと、入ることは、相手がそのとき潜在的に思っていること、考え方、アイデアとシンクロしたときだと思います。そうすると「いや、その通りですね!」ということになるんですね。

「ヒアリング」は、その相手が潜在的に思っている考え方を思考の表層にもってこさせる力があるということです。営業においても、プレゼンの前にヒアリングが重要というのは、ここにあります。

◆営業におけるヒアリング

プレゼンでは、相手が聞きたいことを言わないといけません。なので、まず相手の聞きたいことを探る、それがヒアリングです。

まず「営業マン」なんてのは、そもそもお客の立場からみれば面倒くさい存在です。突然、どっかの営業マンから電話がかかってきて、「実はおすすめの、いい話があるんです」と切り出されても、「今、忙しいので」で終わらせたくなりますよね。営業マンから電話っていった瞬間にまずは”警戒”です。一方的なセールスに対して、人は基本「NO」を前提に対応するといいます。
普通にアポをとって相手にプレゼンする場合でも同じですよね。「是非、御社のお役に立ちたいです。我々はこういう素晴らしい取り組みをしています。興味ありませんか」っていってプレゼン資料を渡されても、「ふーん」で終わる可能性が高いです。「是非、御社のお悩みやニーズを聞かせてください」って漠然と聞かれても。「そういわれても、特にねぇ」となります。

しかし、いい質問をしてくると、相手のその感じがかわってくる可能性があります。相手が何を聞いてくるかで、相手の知識レベル、提案レベルはだいたいわかりますものね。

◆まず情報収集と観察

なので、いいヒアリング、いい質問というのは、相手のことをよく知った上で、仮説にもとづいて、するものだということです。
もちろん、初対面で、相手のことをよく知ることはできません。だから会う前に、知る事ができる情報をできるだけ頭にいれる。ホームページや本、相手の会社の雰囲気、昨今ではTwitterやFacebookで本人の発言やプロフィールまである程度把握できてしまします。その上で、相手の考え方や興味について仮説を立てて、それを質問によって探りながら、相手の潜在的なニーズに辿りついていく。
相手も潜在的にニーズに近いところを探られているうちに、自分でもアイデアがひらめく、ニーズに気づく、ということになるかもしれません。

その後で、「それだったら、こういう提案ができますよ」と提案、プレゼンする。
相手が潜在的に聞きたいことを提案すれば、「なるほど、おもしろいね」となるはずです。信頼にもつながるかもしれません。


◆住宅展示場での営業の事例


ここでも営業マンがヒアリングでまず知るべきは家に対する「お客様の夢やビジョン、問題」ということです。

住宅展示場を訪れる多くの人が感じるのは、「どのメーカーもモデルハウスは素晴らしいし、営業の人が特徴や性能を詳しく説明してくれる。しかし、私が新しい家でどんな暮らしをしたいのか聞いてくれる人はめったにいない。」ということ。
だから営業マンはあえてお客様と「商品以外の話」をできるようにするべきだということです。商品に直接関係のない話は、たとえそれがお客様の趣味やライフスタイルの話であっても「世間話」や「雑談」ととらえて切り捨ててしまいがち。でも、その雑談の中にお客様の関心事、ニーズの芽がある。という話です。http://stc.cicombrains.com/jirei/08.html


こんな営業のことを「高関与営業」というらしいです。それは、顧客への貢献を実現する営業ということ。自社の商品やサービスをいかにし て購入してもらうかというセールスの立場から一歩進んで、顧客の立場になって物事を考え、深く理解 し、どうすれば顧客が抱えている問題を解決できるのかという視点に立って営業をするということらしいです。

2011年5月10日火曜日

【企業にとっての社会貢献】

震災のことがあって、日本においても「社会貢献のあり方」ということが、より現実的で緊急な問題となっています。しかし、社会貢献意識の高まり自体は、震災前からありました。それがより加速されたということではないかと思います。

企業にとってもビジョンやミッションを考える上で、社会に対してどういう貢献をするのか、という基本理念がなければ戦略に軸がうまれません。そういった観点からも、企業が社会貢献をどう考えるのかは重要な課題だと思います。

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世界に目を向けると、もっと大きな流れとして社会貢献が位置づけられています。アメリカでは、2010年大学生の就職人気ランキングで、NPOが一位になったそうです。(TFA)Teach for Americaというところです。GoogleやAppleを差し置いての一位。 http://www.teachforamerica.org/
Room to Readを設立したジョンウッドはマイクロソフトの重役を引退し、NPOに心血を注ぎ、スタバの店舗展開を超えるスピードで図書館や教育機関を途上国に展開しているそうです。http://www.roomtoread.jp/

世の中には多くの社会問題があります。今現在、進行中の日本で震災によって引き起こされたあらゆる問題ももちろん、世界中で治安、失業、貧困、環境、教育、いじめなど社会問題が発生してます。それぞれ解決が急を要することばかりです。
これをなんとかしたい、問題を解決していきたい、、そのために実際に行動し、ソーシャルイノベーションを起こす、「世界を変える」ということを実行し成果を出している人や団体があるということです。 (社会貢献によって)世界を変えるということは、もはや夢想家のスローガンではなく、現実的な確信となっているといいます。

2009年調査によると日本の高校生の86%が「この国には希望がない」と感じていると答えたそうです。  村上龍さんは小説の中で「この国には何でもある。本当にいろいろなものがある。だが、希望だけがない」と書いていました。 そして希望とは「将来が現在より良いものになるだろう、そういった確信に近い思いが希望だ」といっています。「これまで日本は希望より安心を優先されてきた」。でも震災を契機に、これから日本がどう変わっていけるかが問われていると思います。
社会貢献とは希望を生み出す仕事ということかもしれません。

利益の概念も変わりつつあるようです。 これまでは利益とはお金のことでした。でも最近は「社会的利益」という考え方がでてきて、何か事業を行ったことで、たとえ金銭的な利益がでなくても、それで世の中がよくなれば社会的利益が出たという考え方も出てきています。

じゃあ社会貢献すれば儲けなくてもいいのか? それも全く違います。著名な学者マイケルポーターは「社会貢献したほうが企業は儲かる」と断言しました。 社会貢献したほうが社員のモチベーションが上がることも結論づけられています。いまやマーケティング戦略さえも社会貢献と無関係ではいられない時代です。

更に企業による社会貢献は大きく考え方が進化しています。

・その昔、企業による社会貢献は「慈善の時代」でした。企業に求めら
れていたのはNPOへの寄付。カネを出すだけ。
・これが「本業を通じた、本業を活かした貢献の時代」に移ります。
商品を売る行為に寄付を組み込んだ仕組みとか電通のクリエイターが
パンフづくりを指導するとか、IT技術者がソーシャルメディアの活用法
を    コンサルするとか。
・そして今は「本業と社会貢献が統合する時代」に入りました。これから
の企業は本業の中に、いかに社会貢献を組み込んでいくかが問われると
    いいます。

日本を代表するグローバル企業「ユニクロ」がこれを実践しているそうです。

ユニクロはバングラデシュに合弁会社をつくり、 資材調達から販売まですべてを国内で行い、雇用を創出するだけではなくバングラデシュの貧困層でも購入できる1ドル程度の価格の洋服を生産すると宣言。http://www.uniqlo.com/jp/csr/socialbusiness/
柳井さんは「これまで主に先進国を対象にビジネスを広げてきたが、世界にはそれ以外の国に住む人々が約40億人いる。バングラデシュは将来性のある国。人々の生活をサポートし、世の中の役に立つソーシャルビジネスを開発することで、将来的に大きなビジネスになる。」
つまり、社会貢献をしながら、自分の成長戦略を実行しているわけです。

いまや社会貢献というのは実は、新しいビジネスを生み出す仕事であるべきなんですね。

量から質へ。個人の幸せから、絆の幸せへ。自分のためだけの消費ではなく、社会とつながるための消費へ。 自己犠牲ではなく、自己実現の姿勢。 希望を生み出し共有すること。

そんな時代の流れの中で、社会貢献というキーワードを改めて考えるべきタイミングにきていると思います。

参考:
社会貢献でメシを食う

2011年5月6日金曜日

【リアリティ、共感、ソーシャルグラフ】

前回までテレビを中心とするマスメディアからソーシャルメディア普及までの流れとそれに伴う変化についてをお話しました。今回は広告やマーケティングのあり方の変化についてです。

テレビ全盛の1990年代までは、マスマーケティングが有効に機能していました。マスメディアが発信する“これをもっていればセンスのいい人”、“こんな店に行くのはこんな感性をもった人”、“ここに住むのはおしゃれなこと”、、などの情報が説得力をもって伝わり、消費行動に結びついたわけです。(佐々木俊尚さん“キュレーションの時代”の中でこれを「記号消費」と紹介しています)

しかし2000年代に入ると、人々は画一的な情報に疑問を持ち始めます。インターネットの普及とともに、情報へのアクセスが容易になり、クチコミ評価サイト、レコメンド情報などで自分で納得できる判断ができるようになります。そうすると企業側も「とにかくこれです」という説得から「これがいいんじゃないでしょうか」、、という提案型に広告マーケティングの手法を徐々に変えていくことになります。消費者側に主導権が移り始めたわけですよね。

そして2010年代、ソーシャルメディアが力を増す中での消費は「共感」がキーワードになるといわれます。佐藤可士和さんは「クリエイティブシンキング」という本の中で、そんな共感を呼ぶもの、それは「リアリティ」だと言っています。「リサーチ」より「リアリティ」の重要性。「より本質的で現実の生活にフィットした感覚で、消費者の心を自然に捉えることが求められていると感じています。」、「企業から広告によってもたらされる情報にユーザーはリアリティを感じなくなってきました。それより信頼できる知り合いの評価、信頼できるコミュニティにおける口コミにリアリティを感じるようになってきていると感じます。」ということです。

これによってマーケティングの指標も変化していくと思われます。マスメディアの時代は、視聴率や発行部数などリーチが伝わることが主要指標でした。ネット検索時代に入ると情報が広く伝わったことが確認できるPV数やインプレッション数などが重視され、その対策の仕組みとしてSEO ( Search Engine Optimization 検索エンジン最適化)対策やリスティング対策などが重宝されるようになります。

しかし今後は、より強い共感、信頼を得ることが重視されてきます。そのためにソーシャルネットワーク上で情報をいかにして話題にさせるかが大事になる「ソーシャルグラフを意識したSGO( Social Graph Optimization ソーシャルグラフ最適化)が重要視されるようになるといわれています。

「ソーシャルグラフ」というのは狭義には人とひとのつながりの関係性のこと、広義には人と物への興味や関心度などを含む関係性を表すデータ。人と人、人と商品のクチコミをマッチングさせる人間関係図、信頼関係図です。(これを今、世界で一番保有している会社がフェースブックです)

広告の時代はマスが「広く告げる力」こそがマーケティングでした。しかし次世代の広告的な存在はソーシャルグラフを利用した「つながって共有する力」をつかったものになる可能性が高いといわれます。

mixiは2010年9月に「ソーシャルグラフ・プロバイダー」宣言をし、経営の中心に「ソーシャルグラフ」を据え、「ソーシャルコマース」を強化していきたいと言っているそうです。

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ちなみにマーケティングの法則もソーシャルメディア時代に変わっていくかも。

◆これまでのマーケティングの戦略
AIDAMA
 Attention注意>Interest関心>Desire欲求>Memory記憶>Action行動
AISAS
 Attention注意>Interest関心>Search検索>Action行動>Share共有

◆ソーシャルメディア時代のマーケティング戦略
SIPS
 Sympathize共感>Identify確認>Participate参加>Share & Spread共有・拡散
EAS
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参考:
http://www.dentsu.co.jp/sips/index.html
ソーシャルネットワーク革命がみるみるわかる本
佐藤可士和のクリエイティブシンキング
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)


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2011年4月30日土曜日

【エキスペリエンス・デザイン】

「ユーザーエキスペリエンス(顧客経験価値)」みたいな言葉が2000年頃から出てきていました。商品やサービスが成熟していくなかで、機能や性能で差別化することができなくなってきました。パソコンもテレビもケータイも車も、どのメーカーのものでもそんなに本質的な差はなかったりします。銀行も電話会社などサービスもそうです。そんな中でユーザーに提供する機能ではなく、ユーザーに提供するベネフットに重きがおかれるようになってきたということだと思います。

あるアメリカの地方銀行が、大手銀行とは商品力や価格では勝てないと認識し、雰囲気の良い店舗、行員の接客など、銀行を利用する過程での顧客満足度を高める戦略をとり5年で預かり資産を約3倍に増加させたという事例があるそうです。サービスにまつわるユーザーエキスペリエンスを高めたということですよね。

1980年代のソニーは新しい製品を生んだのでなく、次々と新しいユーザーエキスペリエンスを生んだと言えると思います。Walkmanは「家の中で聴く音楽を自由に外に持ち出す文化」を創り出しました。ビデオデッキは「連続ドラマを見るために放送時間までに家に帰らなければならない」という常識を変え、8ミリビデオは「自分の子供の成長を簡単に記録するのは写真以外にはない」という当時の妥協を打ち破りました。

今、Appleが熱狂的に支持されるのは、優れたユーザーインターフェイスを持つデバイスやアプリケーションとクラウド上のサービスを一体的に統合し、ユーザーにこれまでなかったようなわくわくする経験を提供しているからですよね。

昨今のソーシャルメディアの普及、クラウド化、デバイスやサイネージなどのユーザーインターフェイスの進化によって、冒頭の「エキスペリエンス」がまたキーワードになってきていると感じます。

前回もふれたとおり、今後、商品やサービスはユーザーに新しい体験、より快適で充実した体験を提供できるか、そのお手伝いができるか否か。それが競争力の本質になると思います。音楽ビジネスもメディアビジネスもエンターテイメントビジネスも同じです。本質的に考えないといけないのは、届けるコンテンツの種類や伝送路、デバイスの機能の話ではないと思います。

ユーザーはテレビやパソコン、ガラケーなど従来型のデバイスのみならず、iPhone、Androidなど多機能デバイスとその搭載アプリ、リアルな場でのデジタルサイネージのデバイス等、多様化、オープン化したインターフェイスからいつでも簡単にメディア空間へアクセスできるようになりました。そこに制約があった時代は、例えば企業は自社のWEBサイトを用意して、そこに至る導線を敷いて、いかに多くのユーザーを誘導できるかを競争すればOKでした。クリック数が成果だったりしたわけです。

しかし、もはやそういう時代ではなくなりつつあります。企業は公式ホームページを一つ作って終わりではなく、ユーザーが保有する多様なインターフェイスに自分から出て行って近づいていく必要がでてきました。そしてソーシャルにつながったコミュニティにお邪魔しなければいけません。そこでは信頼なくしては誰からも相手にされなくなります。

音楽やエンターテイメントでもユーザーに満足してもらうためには、どんな優れたコンテンツを提供するかということだけでなく、どんな優れたエキスペリエンスを提供できるのか、そのために何をすればいいのか、そんな「エキスペリエンス・デザイン」を考える必要がでてきているのではないかと思います。

出所:NRI 知的資産創造 2011.1 
















参考)
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2011/pdf/cs20110103.pdf
http://www.atmarkit.co.jp//fitbiz/serial/xp/01/01.html
ITロードマップ2011年版

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前回はバーチャルワールド、マトリックスへのジャックインなエキスペリエンスの話をしましたが、同じくシュワちゃんの映画で「トータルリコール」っていうのがあります。そこに登場するリコール社っていうのは、記憶を売る会社、エキスペリエンスを売る会社っていう設定です。実際に火星に行くかわりに、記憶を機械的に操作し、火星旅行のバーチャル体験ができる。違う自分になる様々なオプションもお金で選択できる、諜報員になって危険な任務をこなし、魅力的な女性と恋に落ちるってことも。これこそ究極のエンターテイメントメディア会社の姿かもと思ったりします。

2011年4月28日木曜日

【未来に向けてメディア体験の形は?】

前回からの続きです。ソーシャルメディアが普及進展し、コミュニティが多様化し、拡大し、リアルな場とも連関しながら、コミュニケーションのあり方自体が大きく変化し始めています。

もちろん生身な人間が関わることなので、プリミティブなコミュニケーションの本質は変わらないかもしれません。しかしテレビ50年の歴史とは比べものにならないの速さで、本質的な変化が進行しつつあることは間違いありません。あと数年で、どんなことになるんだろうと考えてしまいます。

◆これまでメディア体験というのは、なんらかのデバイスから伝送路を通じてコンテンツにアクセスする、コミュニケーションする、ということによるものだったと思います。コンテンツはリッチになり、ユーザー側の選択肢も増えましたが、基本的なメディア機能の変化は少なかったのではないかと思います。

◆しかし、今、見え始めているメディア像は、個々のコンテンツへのアクセスやコミュニケーションがもっと統合された世界であるように思えます。 デバイスとか伝送路の重要性は相対的に低下し、活発な情報がやりとりされるリアル、バーチャルなコミュニティ空間、情報空間の重要度が増していくのではないかと思います。

個々ユーザーであり送り手でもある個人は、そういう「ワールド」に、いつ、どこから、どういう目的でアクセスを開始するのか、そしてアクセスできる世界観は何か、そこでユーザー間で交換される情報や思いの質と量はどうなっていくのか、ということが主要議題になってくるのではないかと考えるわけなんです。

なんだか、わかりにくい話ですよね。

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誤解を恐れず、簡単に究極の姿をいってしまえば、いよいよ映画「マトリックス」のコンセプトの世界に徐々に近づいていくのではないかと想像します。
普段は、地下都市で現実世界を生きているんだけど、ジャックインしてバーチャルワールド「マトリックス」に没入する。そこでは現実世界と同様なコミュニケーションや体験がある。
CPUパワーの進化を考えるとあながち夢の世界ではありません。2018年にはCPUのトランジスタ数が、人間のニューロンの超えるという計算があります。たった7年後ぐらいです。

もちろん、ここまですぐに至るとは思いませんが、メディアにアクセスの仕方に「チェックイン」という概念はもう出始めていますよね。 詳しくは佐々木俊尚さんの「キュレーションの時代」を読むといいです。
キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)

これからメディアはコンセプトをベースにコンテンツが統合集約され、一つの世界観を提示するものになっていくのではないか。

その中で、メディアの役割としてシステムの中の「エージェント」な役割をどう果たせるかということになるのではないか。ユーザー主導の中で、いかにメディア企業が、ユーザーのメディア体験をより快適で充実したものするお手伝いができるか否か。それが競争力の本質になるのではないかと思うわけなんです。


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