2010年2月24日水曜日

【モチベーションについて】

どんなに厳しい環境下でも、スタッフがモチベーションを高めながら目標に向けて主体的、積極的に行動していくことが重要です。そんな中で「ターゲットが高すぎるのでモチベーションが下がる」という話もでてくるかもしれません。 しかし、目標の高低とモチベーションの高低に相関関係はないと思っています。

”位置づけ”と”見通し”

以前、人事コンサルさんに以前からの個人的な疑問を尋ねたことがあります。「なぜ同じぐらいの時給で働いているはずなのに、居酒屋によって、スタッフが活き活きして、よく気がつく店と、どんよりとした、感じの悪い店があるんでしょうか?」と。 コンサルさん曰く「2つポイントがあって、その店が、従業員に仕事の”①位置づけ”と”②見通し”を示しているか否かですよ」ということでした。

確かに「とにかく皿洗いをやっておいて」という店と、「キレイな食器でお客様に喜んでもらいたい」、「頑張ってくれたら、次はサラダ担当にするからね」、「将来は自分の店が出せる道もあるよ」という店で、どっちがスタッフが頑張るかは明らかです。

ドラッカーという人の本には次の中世の逸話がのっています。

ある人が工事現場の脇を通りかかり、汗を流して働いている数人の石工に「何をしているのか」と問いかけました。

1人目の人はこう答えました。
「これで食べている」。

2人目の人は手を休めずこう答えました。
「国で一番腕のいい石工の仕事をしている」。 

最後の人は目を輝かせて答えました。
「教会を建てているんです」。 


人によってモチベーションの拠り所は様々でしょうが、自分のやっていることを、どう位置づけるのか、意味づけているのかのかはモチベーションに大きく関わる問題であると思います。

阪神タイガースの話

では、メンバーの仲がよくて、職場が和気あいあいとしていればモチベーションが高まるかといえば、そんなこともありません。もう一つの話です。

2001年まで4年連続最下位の阪神タイガースでは当時、敗戦翌日のチーム内は「あのコースを打たれちゃ、しょうがない」、「その投手のフォークのキレじゃ、追加点は無理だよ」という慰めあいの言葉ばかり。試合中に誰かが失敗しても、例え、それが怠慢プレーであったとしても「ドンマイ」と声をかける。 自分の失敗に保険をかけるために互いが馴れ合い、目標達成の意識が著しく欠けていたということです。 

こういう停滞した雰囲気を一掃し、各々の意識を目覚めさせ、士気を向上させたのが星野監督で、2003年に18年ぶりの優勝に導きました。

皆の仲がよくて職場が和気あいあいとしている、というとよいことばかりとは限りません。それが馴れ合いの結果であるとすれば改善すべきです。上司や部下が自分の逃げ場所をつくっておくために、真剣に議論せず、明確な答えを出さず、厳しく接していないのであれば、いずれ組織は腐っていきます。そういう状態になってはじめて、目標未達成も引き金になって、モチベーションも下がっていくということだと思います。

CFR Clear、Fair、Reasonable )

昔、ある偉い方が幹部会議で毎回次のようなことを言っていました。「モノゴトを判断し、進めていくときに、それが“Clear、Fair Reasonable”であるかどうかを常に問うことが重要だ。略して“CFR”。 

モノゴトをクリアに理解されないままで進めるべきではありません。誰かにやれと言われたのでやっていますというのは思考停止です。平等である必要はありませんがフェアであるべきです。リーズナブル(理にかなっている, 筋道がたっている)な判断であるのかを常に問うべきです。そして、それをスピード感をもってさばいていく。

どんなに目標が高かろうが、厳しかろうが、明確で透明性がある合理性なアプローチをとリ続けていれば、組織は腐りません。 「とにかくやれ」という不明確で、不明瞭で非合理的な指示こそが、やる気をそぐと思います。

これは上司も部下どちらか一方の原因ではありません。 「とにかくやれ」という上司も悪いですが、「わかりました」と素直に従う部下も悪いということです。それを改善していくために、会議のあり方や意思決定のプロセスの改善が必要です。

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星野さんの話は、以下の中に話があるらしいです。(読んでません)

迷ったときは、前に出ろ!

http://www.utobrain.co.jp/review/2002/121600/


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2010年2月12日金曜日

【カネがなければ知恵を出せ】

昨今、メディア業界、あまりいい話は聞けません。電通さんの売上もテレビ、雑誌中心にがんがん落ちて、営業利益も前年度半減になっています。 http://www.dentsu.co.jp/ir/index.html
音楽ソフトも前年割れ、音楽配信も伸び悩みです。当然音楽業界全体のお財布も寂しくなります。 http://www.riaj.or.jp/data/index.html 

しかし「世間は不況だといって自分まで不況だと考える必要もなく」、過度に暗くなる必要もありません。とりあえず命にかかわる問題がないことだけでもこの上のない幸せです。 
先を心配してもしょうがないので、体力があるうちにコスト効率を高め、ソリューション力をつけて、新しい収入源を獲得し、メタボ体質を脱却し、スピード感ある筋肉質な経営体制をつくる、そんな、またとないチャンス到来ともいえます。

「やったほうがいいこと」にはお金は使えなくなり、「やらないと駄目なこと」、「絶対やるべきこと」にしかお金と人を使えません。 お金を使うことに緊張感が必要になります。多少不便なことが起こります。失うものもあると思います。目の前のチャンスを逃すかもしれません。 これまでと同じやり方に固執できないかもしれません。

でも与えられた条件の中で、やるしかありません。お金がない前提でも、知恵と工夫で成果は出せます。人のお金をふんどしに相撲をとる、他社と一緒に費用半分で同じことをやる、広告出稿はやめてお金のいらないクチコミマーケティングにトライする、高いお店の接待はやめて安くてうまい焼き鳥屋を開拓する、急ぎのタクシーをやめるために会議や仕事の時間をちゃんと管理する、一つのイベントをマルチに展開する、、等々、これまでやれてないこと、できてないこと、つきつめてトライしていなかったこと、チャレンジすべきことが必ずあります。 

個人の観点から言えば、お金をもらって楽しいだけの仕事ができるはずもありません。選べない上司や限られたリソースなどいろんな制約条件の中で、成果をあげるからこそ給料がいただける訳です。 そんな苦しみの中でも人に貢献できるからこそ、楽しく充実した気持ちになれるということだと思います。

我々の給料は最終的にはユーザーさんから頂いているという認識をすべきです。組織が悪い、上司が悪い、部下が動かない、予算がない、待遇が悪い、など社内的な問題はユーザーには関係ありません。お金を出してくれるユーザー一人一人に喜んでもらうために、どんな価値をお返しできるのか? それを真摯に考え続けるべきです。

江戸時代の浮世作者であり商人でもあった井原西鶴は言っています。「金がなければ知恵を出せ 知恵がなければ汗を出せ」と。 幸福論のアランは言っています。「悲観は気分、楽観は意志」だと。 ニーチェは言っています「脱皮できない蛇は滅びる」。



2010年2月4日木曜日

【時間資源と会議成果】

以前、会社経営にとって重要なリソースはヒト、モノ、カネです。そして経営とは、そのリソースをどう調達して、どこに配分していくかの意思決定の総体であるとお話しました。

会社が変化をしていくときには、この意思決定のあり方の重要度が大きくなります。多くの物事をスピード感をもってロジカルに決め、着実に実行していく必要があるからです。

ロジックや数字よりも、コンセンサスや個人の思いや義理人情に重きがおかれ、その結果、「言った、言わない」の議論で時間を費やし、コンセンサス醸成にかなりの時間を割くことになると意思決定のスピードが遅くなります。ロジックとプロセスの共有が希薄なため、ブラックボックスが増え、しかも決定事項はファジーになりがちです。

先回ご紹介の大曽根語録にあるとおり「上司がファジーだと、部下はビジーになる」事態が多発します。

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個人にとって最も有限で重要なリソースは「時間」です。ビルゲイツにも我々にも1日24時間というのは平等に与えられています。成果を生むも生まないも時間の使い方次第です。

その意味で、個々人が何に時間を使っているかということに対して、意識的であるべきです。どういう成果に結びついている時間なんだろうか?と常に問うべきです。 更に特にマネジメントにたずさわる人は部下の時間の使い方にセンシティブでなければいけないと思います。

コンセンサス社会では、会議が多く、長くなりがちです。意見は言い合いますが結論はあいまい、個人的な感想は多いですが、実体的な課題解決策の提案は少なくなります。会議の目的と内容と仕切りを見直し、成果の出る会議を増やすべきで、成果のない会議にとられる時間と頻度は削減すべきです。特に物事を決めない会議で時間を奪われるのは、大きな損失です。

少なくとも会議で皆が集まるとすれば、そこで会社の課題や問題点が抽出され、共有化され、「誰が、何を、いつまでにやるのか?」ということを一つ一つぶつけて、都度都度で判断し、そのプロセスを透明化することが、意思決定の品質を高め、スピードを速め、人を育て、組織力を高めることになると思います。 それが会議議長やマネジメントの役割です。

ロジックや環境が変化していけば一旦下した判断もかわるかもしれません。でも、それは当然のこととして許容すべきだと思います。全てが把握できるまで判断しなければ、何も決まりません。(但しギャンブルではないのでロジックなくして判断だけを迫るのは、ビジネスとしては許容されません) 。 その意味でも決定プロセスの透明化は重要です。

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本質的な付加価値は社内、ましてや会議室の中にはありません。外からもってくるものです。
人に会う、本を読む、資料を調べる、現場をみて感じる、ユーザーとふれる、一人で考える、、そこに時間を割かないと成果は高まらないのではないでしょうか?

「会議を渡り歩いて仕事をしているつもりになるな」です。

フルスピードで考え行動しなければいけないときに、ムダな会議への出席は時に暴力的です。最近出た本で「吉越式 会議」というのを読みました。吉越さんというのは元トリンプ社長で19年連続で増収増益を達成した人です。 なぜそれが出来たのか、その最大要因は「会議」にあったと言っています。 会議のレベルが高まれば、経営のレベルも高まるはずだと。

意思決定の質を高める方策として「会議のあり方」見直しは管理職を中心としながらも全員で意識すべき重要課題ではないでしょうか? 簡単にはかわらないかもしれません。でも、どう改善すべきか、考えていきたいと思います。