2011年7月24日日曜日

【”セレンディピティ”の話】

「セレンディピティ」という、ちょっとこじゃれた感のある言葉を初めて知ったのは5、6年前だったでしょうか。ちょうど2004年頃、日本橋に”セレンディピティ”というSHOPも開店したりしました。千葉のほうには同名の出会い系喫茶もあるようです。そんな「セレンディピティ」を最近ソーシャルメディア界隈でも、よく見かけるようになりました。例えば次の記事とかです。

◆Colorにみるインタレストグラフの次のセレンディピティの創り出し方
http://www.tribalmedia.co.jp/blog/stuffblog/?id=885

◆セレンディピティ型SNS" Stumble! upon は,やはりすごい!
http://capote.posterous.com/stumbleupon-generates-more-traffic-than-faceb
http://japan.cnet.com/blog/knn/2008/02/18/entry_25005278/

◆関連性(Relevance)の時代の幕開け
http://jp.techcrunch.com/archives/20110303the-age-of-relevance/

辞書には「セレンディピティ」とは「思わぬものを偶然に発見する才能」、「the natural ability to make interesting or valuable discoveries by accident」なんて書かれてあります。でも使われ方としては「探してもいなかった価値あるものを偶然を発見すること」、「幸運な偶然」、「ハッピー・サプライズ」みたいに解釈されている例も多く、ソーシャル界隈でも後者的に使われていることが多いように思います。

先の「関連性の時代の幕開け」という記事で紹介されている図では縦軸に「Search」と「Serendipity」、横軸に「Popular」と「Personalized」で区切られた四象限で情報探索のトレンドが解説されています。(以下図)


2000年頃に幕があがった検索時代が10数年の進化の中で、Serendipity型に重心が移行しているということなんでしょうか。

第1期: 検索中心のウェブ
第2期: Web 2.0―ソーシャルブックマーク全盛期
第3期: 個人ごとにカスタム化された推薦
第4期: 個人ごとにカスタム化された思いがけない発見(Serendipity)


2000年代初頭から巷では、ユビキタスやらTV AnywhrereやらVODだという話で、「いつでも、どこでも、あなたが好きなときに好きなコンテンツを選べますよ」という脅迫的な利便性がテクノロジーのトレンドちっくに語られていました。レコメンエンジンの発達で「自分の好みを入力すれば、”おまかせまる録”しますよ」、「あなたが買った本と同じテーマの本はこれですよ」という無難な利便性も高まりました。確かに「個人ごとにカスタム化された推薦」は有用です。

しかし、昨今の話は、それを超えて「個人ごとにカスタム化された思いがけない発見」段階に突入しているということなんですね。FacebookやTwitterを通じて、偶然、友人がつぶやいたモノゴトの中に新鮮な発見があったり、先のColorというアプリのように半径45m圏内のColorユーザーを勝手にグループ化し、そのグループ内で写真を共有するようなサービスも現れてきています。 http://techwave.jp/archives/51641317.html

今後、あらゆる情報がクラウド上に蓄積され、検索技術の向上により、瞬時にアクセスできる環境が整っていっても、結局、人が介在した新たな出会いや発見の価値には及ばない面が確かにあると思います。

Amazonでは出会えない本が、書店に行くと見つかることがありますよね。TSUTAYAの店員さんの推薦文で、思わず借りてしまうDVDがあったりします。ドンキホーテやヴィレッジヴァンガードも、無目的に行って出会う商品を買うという楽しみが魅力だったりすると思います。

今後、WEBや社会が「ソーシャル化」するということは、あらゆるモノゴトに人のコミュニケーションが介在するようになることだと理解しています。
人の介在によってインターネットの世界も予期せぬ出会い”セレンディピティ化”が進んでくるということなんでしょうか。そう考えると何だかちょっとわくわくしたりします。

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ちなみに「serendipity」という言葉は、イギリス作家ホレス・ウォルポールが1754年に生み出した造語で、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの3人の王子』という童話に因んだものらしいです。

(参考)
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2004/11/post_50.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/セレンディピティ
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081218/180700/?P=2
http://leadershipinsight.jp/2005/06/post_116.html
セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)

2011年7月21日木曜日

【ソーシャル化と”パーソナリティ”の話】

最近、パーソナリティという言葉が気になっております。個性、人格という意味のほうでなく”ラジオパーソナリティ”とかで使われる番組の司会者的な意味、和製英語のほうのやつです。

そっちの方の”パーソナリティ”について、Wikiによれば、他に「DJ」や「番組ナビゲーター」などの呼び方の違いはあれど、明確な違いはないと解説されていました。要するに役割は、リスナーから寄せられた投稿を番組で紹介する、フリートークを行う、ゲストの聞き手に回る、それらを統合して番組の進行を行うこと。 細かく言えば、自分で選曲する人、曲の紹介だけする人、トーク中心の人、などでニュアンスが変わるかもね、、ということでした。

でも、その中でも、特に「パーソナリティ」って言葉はその語源のごとく、その司会者の個性、人格がキーであり、そこから発信されるトークやメッセージが重視されている点において、他との違いがあるように感じます。そして、そこらへんがソーシャル化が進む今、重要なコンセプトになってきているんではないかと感じる訳なのです。

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その昔、そんな”パーソナリティ”が活躍するラジオは若者文化の発信メディアとして絶大な力をもっていました。レコード会社のプロモーターもラジオで新曲が何回かかるかをノルマに課せられ、オールナイトニッポンなどの影響力ある番組にへばりつきながらプロモーションしていたと聞きます。

しかし80年代後半ごろからバブル経済な中で、テレビのバラエティ、トレンディードラマな感じの中で、クローズドなコミュニティでのパーソナルな会話をかわすということが”トレンディじゃなくなった”ような気がします。 一対一感のあるコミュニケーションから、MCなんちゃら、というオーディエンスを引っ張る一対多なコミュニケーション形態が心地よく、そんな場の共有の中で、横のつながりを感じることが楽しく、充実する、、そんな感覚が主流になっていったのではないかと思います。(もちろん全てではないですが)

それが昨今、ネットの世界のソーシャル化が進んでくる中で、また一対一感のあるコミュニケーション形態が力をもちつつあるんではないか? そんな風に感じる次第なのです。

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Blogから始まりTwitterやFacebookなどソーシャルメディアの普及で、企業や有名人だけが情報を発信できる時代が終焉し、一方的な情報コントロールはできなくなりました。いわゆる「スケスケ社会」の到来ですよね。企業側の都合でポジティブ情報100%の広告マーケティングコミュニケーションを行っても生活者は話半分でしか受け取ってくれません。最終的には価格.comや食べログ、友達の「いいね」のほうを信用してますものね。

そんな社会の中で、以前紹介したように「B to C」から「B into C」に発想を転換しないと共感を得られない、共感が得られなければ事業が成立しない、、ということになってきているんだと思います。マーケティング上でコミュニティに接するときに、企業として上から目線でコントロールすることは不可能だし、無理にやろうとすれば相手にされなくなると思われます。とるべき方法論は、自分が誰であるのか、その人格と個性、立ち位置を明示し、個人としてのコミュニティの中に入っていくうことだと思います。

そしてコニュニティの一員として思いをベースに何かの役に立つことを実行していく姿勢を示し、リスナーや生活者と向き合い、近い距離で、同じ高さの目線でモノゴトを話合い、共有していく。そんな風に共感と信頼を獲得していく、、、。

それって、まさしくラジオの「パーソナリティ」的なアプローチだと思いませんか。

大味なメディアというものは徐々に衰退し、パーソナリティを内包したコミュニティがミドルメディアとしてたくさん生まれていく、そんな風に考える訳なんです。ラジオもまたソーシャル化の中で、その存在感を出し始めるかもしれません。
大企業のソーシャルサイトもパーソナリティを打ち出したものが目立ちはじめているように感じます。 結局は生身の人間が情報を発信しているんだよね、っていうコミュニケーションを企業もとりはじめているということだと思います。

参考)
B to Cのマーケティングは、B into Cのマーケティングへ
http://choicenext.blogspot.com/2011/06/blog-post_27.html

◆伊藤ハムのハム係長は、たまに味の素のFBに乱入したりしているようです。
http://www.facebook.com/itoham  http://www.facebook.com/setsudenrecipe
伊藤ハム / ITOHAM FOODS inc.
◆トヨタとニッサン、ホンダの広報どうしがTwitter上で「パーソナル」なやりとりを交わし話題に。
http://togetter.com/li/117997  
◆USJがディズニーランドに応援メッセージで大量RT。
http://twitter.com/#!/USJ_Official/status/58683001369919488

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2011年7月13日水曜日

【「Make Meaning」の話】

震災以降、企業の理念や志がこれまでになく強く問われるようになってきたと感じます。

宣伝会議6.15号の特集は「3.11以降の企業の宣伝活動」と「志のマーケティング戦略」でした。その中で、震災をきっかけに企業も消費者もその考え方が変わりつつあることが紹介されています。「消費者の側も、消費する責任を意識するようになる」、そして「消費することは、つまり、その企業や商品を支えること」、そういう感覚になっていくだろうという意見も載っていました。

これから、益々企業は社会的意義を真剣に考える必要がでてくると思います。そうでない企業は退場を迫られ、生き残っていけない世の中になっていくように感じます。

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そんな中、ガイ•カワサキさんという元Appleで働いていたベンチャーキャピタリストが起業の心得として「Make Meaning」というキーワードをあげていました。参考になったのでご紹介です。

カワサキさんは、ビジネスにおいて、まず考えるべき重要なエッセンスはその事業が「Make Meaning」しているかどうかであると言います。つまり、その事業が「世の中に対して新しい価値を提供しているのか」ということです。 ”社会的意義を見出すこと”、そこをはっきりさせないといけないということなんですね。

往々にして事業というと、多くの人は、まず「Make Money」つまり、どう稼ぐかだけを考えがちであるといいます。しかし最終的に成功する企業は、どうすれば世の中をよくできるのか、どうやって世の中を変えるのか、そういう意味づけを真剣に考えているということです。
逆に「Make Money」で始める会社は「Make Meaning」もしないし、最終的に「Make Money」もできないよとカワサキさんは指摘します。

そしてカワサキさんは事業が「Make Meaning」するための3っ道をあげています。

1. increase the quality of life 
                 人々の生活の質、幸福度を向上させること。
2. right a wrong
                 世の中の間違った事、ゆゆしき悪を正すこと。
3. prevent the end of something good
                  良いこと、すぐれたものを保全し継続させていくこと。

少なくとも、いずれか一つが当てはまっていれば、その事業は「Make Meaning」していると。まず、ここを検証することから始めよ、ということなんですね。 シンプルですが一つの指標になります。

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今週号の日経アソシエではユニクロやほぼ日が取り上げられていますが、柳井社長も、糸井社長も同じ主旨のことを言います。

◆糸井さんは社員に「お金より信用を選ぶチームにしよう」、「信用を重ねていけばお金は後からついてくる」と伝えているそうです。 「大勢の人に"この会社はあったほうがいいよね"と言われる会社でなければ、生き延びちゃいけなんだと思う」、「売り上げは世間から信任されたという票と同じ」(「日経アソシエ」2011.7.19インタビュー)

◆柳井さんは次のように言っています。
「”会社”がある前に”社会”がある。社会にとって価値があるものとは何か。それを考えて経営しない限り、企業の成長はあり得ません。自分たちの会社は何のために存在し、いかに社会に貢献できるかを考える」(「考える人」2010夏号)

これまで紹介した「マーケティング3.0」も「Start with Why」も同じでした。マーケティング戦略も事業戦略も組織戦略もすべて、企業の社会的意義、責任、理念の重要性に向いています。
要するに「君らが”Make Meaning”するポイントは何なのよ?」ということなんですね。

参考:
http://youtu.be/lQs6IpJQWXc  Guy Kawasaki 講演YouTube
日経ビジネス Associe (アソシエ) 2011年 7/19号 [雑誌] 
(ユニクロ、ほぼ日の現場力)
宣伝会議 2011年 6/15号 [雑誌] 
(志のマーケティング戦略 3.11以降の宣伝活動)
完全網羅 起業成功マニュアル ガイ・カワサキ著(「The Art of Start」の翻訳本)



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2011年7月5日火曜日

【共感・共創・共有社会の話】

前回は消費社会の成熟によって、商品やサービスは人から「最も愛される」ぐらいにならないと生きていけない、、みたいな話を紹介しました。今回は企業や個人が思考の枠組みをどう変えていかないといけないか、、みたいなことを調べたり考えたりしてみました。

◆「マーケティング戦略」の限界
博報堂ブランドデザインの宮澤さんという方は「応援したくなる企業の時代」という本の中で次のようなエピソードを紹介しています。

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長年、人気商品として販売してきた商品の売れ行きが、かんばしくなくなってきた。そこで企業のマーケティング担当者が分析したところ、特に若い世代の購買が減少していることがわかった。そこで担当者が何人かの一般の若者を集め、「商品のどこがよくないのか」、「どこをどう改善すれば欲しいと思うようになるか」について率直に聞いてみたそうです。すると驚くような答えが返ってきた。若者たちは異口同音に「よくないところ、不十分なところがあるとは思わない」、だから「なにかを改善したところで、この先その商品が欲しくなるとは思えない」と。。担当者は、思わず絶句した、、という話です。
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既存のマーケティングアプローチの延長線上に解決策がなくなっているということが起こりつあると思います。消費者目線を徹底し、ニーズを探り、ユーザーが満足する、他社より魅力的な商品をつくるんだ!ということだけでは、もはや通用しない世の中に突入しているということなんですね。モノとかサービスが一定水準を越えたら、細かい差異なんてどうでもよくなる。そうすると、前回の話のごとく、結局、選択基準は「一番安いか、一番性能がいいか、一番愛されているか」に集約されちゃうのかも、、と思います。

◆所有価値の低減
更に言えば、ちょっと前までは機能していた「所有価値」というものも相対的に低下しているように感じます。以前は多くの消費者は機能性など商品そのものの価値に加え、そこに付加されたブランドという名の「付加情報」にも喜んでお金を払っていました。モノを所有することで、生活シーンの演出や精神的満足につながるということでしょうか。端的な例としては、高級ブランド時計をつけている私っておしゃれでしょ。高級外車に乗っている僕ってかっこいいでしょ、、とかいう具合です。モノやサービスの購入を通じて精神面の満足も買っていたわけですよね。
しかし消費社会も成熟してしまうと、たいていのモノは十分に足りています。特段の不自由のない生活をおくっている中で、これ以上何かを所有することで、自分が今より幸せになる、満足度があがる、感動するとは、思えなくなっているということだと思います。

◆経験価値、共感を生む場の提供
じゃあ企業は生き残るために何をすればいいのか? 一つの方法論は、先の本にも載っていた「経験価値」の提供だと思います。 モノよりコトに価値がシフトしている中で、「個人で何かを所有すればいいことがありますよ」、ということの説得力が低下しています。それよりも、「皆で、何かを一緒に経験する」ということのほうに魅力が移っているように思います。
つまり「所有」ではなくて、経験を「共有」できる場の提供、そこへのアクセスの手段の提供が本質的な価値として重要になっているということではないでしょうか。

その昔、Walkmanは、それを所有することによって、音楽を外に持ち出せる、生活シーンもかわる、、そんな提案型の商品でした。 しかしiPhoneやiPadは、デバイスを所有した後も、アプリやWebサービスへのアクセスを通じて、常に新しい経験を提供しつづけます。

KDDIが提供している au Smart Sportsもケータイを使ったスポーツライフを提案しています。仲間との体験の共有の場も提供しています。 http://www.au.kddi.com/sports/service/run_walk/index.html

SNSやソーシャルゲームは、そのアプリ機能性に価値があるのではなく、人と人とのつながりという経験価値が本来的な価値です。

昨今、はやりの脱出ゲームも、何かを所有することもなく、生活シーン云々でもなく、その場で得られる体験に対して価値を見出されているわけですものね。

◆「共感」、「共創」へ
もう一つは、そんな「共有」を通じて、生活者から「共感」を得ることだと思います。もはや「消費者目線」という言葉さえ企業からの上から目線な感覚なのかもしれません。 消費者とともに社会に貢献する姿勢を示し、一緒に行動する(共創)。 B to C から B into C 、B with C へ感覚を変える。企業が自らの理念や志を高くかかげれば、それに共感してくれる人は、その企業からモノを買ってくれるかもしれません。

ハイブリッド自動車が売れるのはコスト観点ではないですものね。同じ洋服を買うのでも、その企業姿勢に共感できるところから買う。 企業とともにいい社会をつくっていく、、、そんな感覚の社会にどんどんなっていくのではないかと思います。

参考:
「応援したくなる企業」の時代
http://www.exp-branding.com/  博報堂エキスペリンスデザイン
http://www.h-branddesign.com/  博報堂ブランドデザイン
http://www.slideshare.net/gitanez/web-7691019 ソーシャルメディア時代の企業Web戦略