もちろん生身な人間が関わることなので、プリミティブなコミュニケーションの本質は変わらないかもしれません。しかしテレビ50年の歴史とは比べものにならないの速さで、本質的な変化が進行しつつあることは間違いありません。あと数年で、どんなことになるんだろうと考えてしまいます。
◆これまでメディア体験というのは、なんらかのデバイスから伝送路を通じてコンテンツにアクセスする、コミュニケーションする、ということによるものだったと思います。コンテンツはリッチになり、ユーザー側の選択肢も増えましたが、基本的なメディア機能の変化は少なかったのではないかと思います。
◆しかし、今、見え始めているメディア像は、個々のコンテンツへのアクセスやコミュニケーションがもっと統合された世界であるように思えます。 デバイスとか伝送路の重要性は相対的に低下し、活発な情報がやりとりされるリアル、バーチャルなコミュニティ空間、情報空間の重要度が増していくのではないかと思います。
個々ユーザーであり送り手でもある個人は、そういう「ワールド」に、いつ、どこから、どういう目的でアクセスを開始するのか、そしてアクセスできる世界観は何か、そこでユーザー間で交換される情報や思いの質と量はどうなっていくのか、ということが主要議題になってくるのではないかと考えるわけなんです。
なんだか、わかりにくい話ですよね。
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誤解を恐れず、簡単に究極の姿をいってしまえば、いよいよ映画「マトリックス」のコンセプトの世界に徐々に近づいていくのではないかと想像します。
普段は、地下都市で現実世界を生きているんだけど、ジャックインしてバーチャルワールド「マトリックス」に没入する。そこでは現実世界と同様なコミュニケーションや体験がある。
CPUパワーの進化を考えるとあながち夢の世界ではありません。2018年にはCPUのトランジスタ数が、人間のニューロンの超えるという計算があります。たった7年後ぐらいです。
もちろん、ここまですぐに至るとは思いませんが、メディアにアクセスの仕方に「チェックイン」という概念はもう出始めていますよね。 詳しくは佐々木俊尚さんの「キュレーションの時代」を読むといいです。
これからメディアはコンセプトをベースにコンテンツが統合集約され、一つの世界観を提示するものになっていくのではないか。
その中で、メディアの役割としてシステムの中の「エージェント」な役割をどう果たせるかということになるのではないか。ユーザー主導の中で、いかにメディア企業が、ユーザーのメディア体験をより快適で充実したものするお手伝いができるか否か。それが競争力の本質になるのではないかと思うわけなんです。
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