前々回、前回とテレビを中心とするこれまでのメディアの流れみたいなことを考えてみました。要するに今、起こっているメディア変化の本質は何なんだろう?と考えてしまいます。
◆テレビの時代
(コンテンツ充実と画質向上、一対多のコミュニケーション)
テレビが開始された1950年代から2000年代前半まで、テレビは順調に全世帯に普及浸透し、チャンネルがふえました。経済成長の中で、大量に投下された広告費によってコンテンツの拡充が進み、テレビは文化発信の中心として大きな影響力を発揮しました。
人々はマスメディアに対峙し、その豊かなメディア体験に没入しました。
テレビ受信機も技術の進化によって画音の向上、白黒からカラー、更にハイビジョン、サラウンド、から3D、スーパーハイビジョン、プラズマ、液晶、有機ELなどテクノロジーとしては進化しました。
しかし本質としては、基本的にプロの送り手がつくったもの、集めた情報をマスに一方向に届けるという枠組みが変わったわけではありません。
ここまでは、送り出すコンテンツの良し悪し、送り手側はリーチの競争、画音の品質の議論をしていたわけなのかと思います。
◆ネット時代の幕開け
(伝送路の多様化、双方向化)
1990年代に入ると、インターネットという新しい通信手段が生まれ、PCやケータイをデバイスとして、だんだんと個人レベルでリッチな情報にアクセスできるようになってきました。通信によってメールやホームページ、ECなどで双方向のやりとりが個人でハードル低くできるようになりました。
送り手としてもマス以外の伝送路も選択肢として選べるようになってきました。人々はマスメディアに対峙しつつも、同時に別のメディアにも「ながら」でアクセスできるようになりました。
マスメディアは一斉同報をベースとしたきっかけメディアとして、深い情報はネットで、、みたいな区分も語られました。要するに「これからはマスとは別の選択肢もあるかもね」ぐらいな話です。
伝送路の多様化の議論、送り手側は新しいコンテンツの形と、それに対するユーザーリアクションの多寡について議論し、競争していたのかと思います。
◆ソーシャルメディアの立ち上がり
2000年代後半に入るとネットのブロードバンド環境の普及進展とデバイスの進化をベースとして、ソーシャルメディアというものが立ち上がってきましした。ブログ、ツイッター、SNS、ソーシャルゲーム、、。 あっという間に高品質な映像、音声、テキスト、位置情報、あらゆる情報コンテンツが個人レベルで集約、再構築して発信できる“コスト0”で構築できるインフラが整ってしまいました。
ここで、送り手の概念が始めて大きく変わり始めたのではないかと思います。これまでのマスは解体され始めます。個々のユーザーが発信し始め、送り手としての役割も果たすようになります。
これにともないメディアとしての伝送路やコンテンツ中心の話からユーザー間のコミュニケーションの質の内容の話が中心になってきます。メディアやコンテンツプロバイダーは、そういうユーザーコミュニティに対して、どういう場や価値が提供できるのか、とういうことを考えるようになります。
Facebookの「いいね」ボタンやソーシャルブックマークの機能によって、ネット上のあらゆるマルチメディア情報が相互に連関します。コミュニティが形成され、その中で新しい信頼関係が構築されはじめます。マスメディアによるレコメンドが信頼のベースだった時代から、レコメンドエンジンによる情報アクセスが進展、さらにソーシャルレコメンドによる、個々人にとって、より信頼度、納得度が高い情報アクセスのルートが生まれつつあります。
信頼に足るプロの送り手がソーシャルメディアを活用し、個人の責任のもとで情報や見解を発信するようになってきました。アーティストも自らパフーマンスやコンテンツ発信するようになってきました。
UstreamとTwitterなどソーシャルストリームを連携させることによって、本当の意味でのリアルタイムな双方向にコミュニケーションできる場が実現されてきました。そこには、一方向だけだったメディアとは違う没入体験が生まれ始めます。
Foursquarのような位置情報を使ったサービスも普及。AR技術などを連携させながらリアルな場、リアルなイベントとバーチャルに連関させる情報ルートもインフラが整ってくるように思います。
◆これからのメディア体験は?
じゃあ、こんな変化から、これからメディアはどのような捉え方をされるようになるんだろう? (続く)
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