2011年4月8日金曜日

【糸井重里さんの話】

そんな「信じる」なんですが、今ほど、いろんなメディアから「信じる」とか「believe」の文字が溢れていることはなかったんじゃないかと感じます。 通勤電車の広告ではBLENDAの「I Believe ~信じてる、自分を、未来を、日本を。~」ってコピーの表紙が新鮮でした。

一方、今週出ているBRUTUSは、糸井さんの特集号なんですが、そこでも糸井さんの「言葉」の話や「信じる」話がたくさん出てきました。(但し、糸井さんへの取材は震災前のものです)。ちょっと紹介します。
BRUTUS (ブルータス) 2011年 4/15号 [雑誌]

●お金より信用
奇跡みたいな出来事を起こすのはなんなのか、ということを僕らは考えていかなくちゃいけないんです。そこで“お金より信用”という話になる。(略) 僕の言いたい信用は、(略) 「この人たちと一緒になにかを作ったら楽しかった」、「明るさを取り戻せた」、「希望を感じた」とか、そういった種類のものだと思っています。 (略) 信用をちょっとずつでも増やしていけば、お金はいつか誰かがもってきてくれるかもしれない、いつか稼げるようになるかもしれない。 僕は信用さえあれば、そっちはなんとかなると思ってるんです。

●信じきれば失敗なんてないじゃん。
信じるって、リスクもあるし、理にかなってないかもしれないし、損することもあるかもしれない。だけど、その損なんて大したことないでしょう。(略)信じきちゃってバカをみても大したことじゃないんだと。「失敗してやろう」とまで信じられたら。失敗なんてないじゃん。

●信じあう。そこから価値が生まれる。
0から1を作ることが一番価値があるし難しい事なのに、他人が言った「種」をどうこうしようとするばかりになっている。大事なのはまず「1」を生むことなんじゃないか。(略)人間同士が集まると、何だかわからない、名づけようのない価値が生まれるんです。(でも人間同士が知り合おう、信頼しあおうことに対して自分で)自分を邪魔しているものが、ものすごく多いんですよ。 それを解くための方法っていうのは、まずゆっくりと信じあうことなんだと思うんです。

●理想的な組織の矛盾
「理想的な組織に近づけば近づくほど、どうしたって穏やかな宗教みたいになっていくわけですよ。みんなが、同じように組織にとって正しいこと、なおかつ社会やお客さんが喜ぶことを考えている状態で、誰に聞いてもちゃんと全体がわかっていることを言うって状態。」(略) (でも一方で、企業が社員みんなに) 「“こう思ってほしい”と思うことがあるんだけど、それをやった時には、矛盾して、みんなが閉じた世界で完成度が高くなるほうにいく。世の中と違うところで快適になってしまうと、外に出て行ったときに、もう開くことができなくなると思うんです。これは答えがないから頭が痛いよね。」

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僕は、こんな文章を読んでいて会社における理念、ビジョンってのも、ある種、穏やかな宗教みたいなものなのかとも思いました。 リスク覚悟で、多少理にかなってなくても信じきる。もちろん、盲目的、集団的に信じる、頼るというものであってはいけないと思います。個々人が考えることが大事なんです。
そんな人と人が集まり、信頼しあうことによって、生まれる価値がある。その価値が希望や、明るさ、楽しさになっていく。 その価値を生み出す過程の共有が信用につながる。最終的に、そういう信用の蓄積がお金になりビジネスになっていく。 

その後、糸井さんは「ほぼ日」で“「信」って、「人の言」って書くんだねー。びっくりした。”って書いてました。http://www.1101.com/20110311/20110404.html
確かに「信」という字は「人」+「言」と書きますよね。辞典によれば、言は、言明(はっきりいう)の意。信は「人+言」で、一度言明したことを押し通す人間の行為をあらわす。途中で屈することなく、まっすぐのび進むの意を含む。「信」とは“人が言明したことや約束したことをどこまでも守り通すこと”が会意なんですね。
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P.S
教えてもらったサントリーのCMがみれるサイト。音楽で涙がでます。
http://www.suntory.co.jp/enjoy/movie/d_s/880953901001.html


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