小林秀雄の「信ずることと考えること」という講演CDがあります。小林秀雄は戦後日本を代表する知識人、批評家、哲学者ですが、その小林さんが1974年に大学生にした講演を収めたものです。
5年以上前のこと、僕は、この講演の存在を茂木健一郎さんの本「脳と仮想」(小林秀雄賞受賞)で知りました。茂木さんは、かつて、この講演テープを車に入れて、何度も何度も擦り切れるぐらい繰り返して聞いたそうです。興味をもって僕もCDを買いました。それから、それこそ、何十回も聞きました。内容が濃いというのもありますが、口調が落語家の志ん生に似ているんです。本の文章は東大入試で常連の、とてつもなく難解なものなのに、話し言葉は、とてつもなく、べらんめいで甲高く、おちゃめ。
僕はこの講演CD含め、出ている全講演CDを買って聞きました。知的で且つ、おもしろいです。
↑「魂はあるかないか、あるに決まっているじゃないか!」
震災のこともあり「信じる」ということを考えるとき、僕は、この小林さんの話を思い出しました。「信じる」という言葉の重みを感じたからだと思います。
この講演の中で盛り上がりの箇所の一つが以下です。べらんめい口調です。
「信じるってことは責任をとることです。
僕は間違って信じるかもしれませんよ。万人のごとく考えないんだからね僕は。僕流に考えるんですから勿論僕は間違います。でも責任はとります。それが信ずることなんです。
だから信ずるという力を失うと、人間は責任をとらなくなるんです。そうすると人間は、集団的になるんです。会がほしくなるんです。自分でペンを操ることが、信じられなくなるからペンクラブがほしくなるんです。(略) 左翼だとか右翼だとか、あんなもんに「私」なんてありゃしませんよ。信念なんてありゃしませんよ。どうしてああ徒党を組むんですか?日本を愛するなら? 日本を愛する会なんてすぐこさえたくなるんですよ。馬鹿ですよ。
日本てのは僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんだよ。気がつかないだけだよ。こんな古い歴史を持った国民がね、じぶんの魂の中に日本を持っていないはずがないですよ」
小林さんは「日本人は、気づかないかもしれないけど、それぞれの魂の中に日本を持っていないはずがない」と言い切っています。
これと同じように、みんなが個々で自分流に信じること、その魂は、表現は異なり、感覚は違うかもしれないけれど、心のどこかにある筈だと思っています。それを自分の言葉として言えるようになりたいなと思うわけです。
.
0 件のコメント:
コメントを投稿